僕の包括的九条論 文科系
今まで断片的に述べてきた僕の標記のことを包括的に提示してみます。少し長いですが、必要なことだろうと考えました。
1 日本に攻めてくる国は戦後は殆どなくなったのではないか。この点において、過去の長い人類史と比べるのではなく、戦後の特殊性をみよう。戦後は以下のことが起こったはずだ。
・独裁国が減り、男女平等普通選挙下の民主主義国が増えた。そこは決定的に戦 争がしにくい。選挙を意識せずしては何の行動も起こせないからだ。
・非同盟諸国が増え、その下で国連の権威も上がった。その意向を計算しないで は、どの国もやはり行動を起こせない。戦争への憎しみも決定的に増した。ア メリカでもこういう世界の意向を無視できなくなっている。
・日本は経済大国であり、こういう国へ攻めていった例は戦後ないはず。そうい う国へ攻めて来れば世界経済を大混乱させることになる。また戦争放棄の国と しても有名だ。つまりいろんな意味で世界を敵に回し続けるという覚悟がない と攻められない国なのだ。世界を敵に回したら自分に将来どういう事が起こる かも考えなければならないはずだと思う。
2 むしろこういう資本主義大国が軍隊を持つと、攻めていくという不安のほうが僕には強い。政治家の自由意志でではなく、利権などなどを巡って周囲がそうさせることになってきた。特にアメリカとの同盟の下ではこの不安が強い。ベトナム、アフガン、イラクそして今、イラン。いつも言ってきたようにかえる派の方々は防衛戦争のことしか語らないのだが、それは間違いである。1の状況はありながら、アメリカに観るように世論操作に成功すれば民主主義国家でも戦争は起こせる。ただアメリカの教育水準は極めて低い。現在高校を卒業できない人が、白人でも4人に1人、黒人やヒスパニックでは半分だ。教育水準は人間の主体性に重大な関わりがあると考える。
3「攻めてくることはある」と考える人は一種のそういう「思想」、「固定観念」のようなものを持っているのではないか。まず「歴史上いつも争いがあった」と言明し、そこに着目するのは良いが、以下の論理にまで行ってしまう人もいるようだ。国家間の争い一つ一つの原因の違いを考えないで一括りに「何か共通の性格、本質があるのではないか」と類推し、その果ては「人間は動物、動物は争うものだ」というような社会ダーウィニズムのような「感じ方」、「哲学」までに。こうなると当然、僕が1で観たような「戦後の世の中の違い」などは観ないことになる。ちなみにかえる論の方々は、戦前の日本を擁護するときにだけこの違いを持ち出されるようだ。「それは歴史の後知恵だ。当時の社会、白人はもっと乱暴だったよ」などという時に。
4 九条堅持。職業保障をして自衛隊は解散、警察力を大きくする程度でよい。資本主義大国でこういう国が一つぐらいあった方が世界平和の確立、貧困の撲滅のためにも良いことだと思う。憲法前文にあるとおりに「平和を願う世界の人々の気持ちを信頼します」と改めて言明するのである。
今まで断片的に述べてきた僕の標記のことを包括的に提示してみます。少し長いですが、必要なことだろうと考えました。
1 日本に攻めてくる国は戦後は殆どなくなったのではないか。この点において、過去の長い人類史と比べるのではなく、戦後の特殊性をみよう。戦後は以下のことが起こったはずだ。
・独裁国が減り、男女平等普通選挙下の民主主義国が増えた。そこは決定的に戦 争がしにくい。選挙を意識せずしては何の行動も起こせないからだ。
・非同盟諸国が増え、その下で国連の権威も上がった。その意向を計算しないで は、どの国もやはり行動を起こせない。戦争への憎しみも決定的に増した。ア メリカでもこういう世界の意向を無視できなくなっている。
・日本は経済大国であり、こういう国へ攻めていった例は戦後ないはず。そうい う国へ攻めて来れば世界経済を大混乱させることになる。また戦争放棄の国と しても有名だ。つまりいろんな意味で世界を敵に回し続けるという覚悟がない と攻められない国なのだ。世界を敵に回したら自分に将来どういう事が起こる かも考えなければならないはずだと思う。
2 むしろこういう資本主義大国が軍隊を持つと、攻めていくという不安のほうが僕には強い。政治家の自由意志でではなく、利権などなどを巡って周囲がそうさせることになってきた。特にアメリカとの同盟の下ではこの不安が強い。ベトナム、アフガン、イラクそして今、イラン。いつも言ってきたようにかえる派の方々は防衛戦争のことしか語らないのだが、それは間違いである。1の状況はありながら、アメリカに観るように世論操作に成功すれば民主主義国家でも戦争は起こせる。ただアメリカの教育水準は極めて低い。現在高校を卒業できない人が、白人でも4人に1人、黒人やヒスパニックでは半分だ。教育水準は人間の主体性に重大な関わりがあると考える。
3「攻めてくることはある」と考える人は一種のそういう「思想」、「固定観念」のようなものを持っているのではないか。まず「歴史上いつも争いがあった」と言明し、そこに着目するのは良いが、以下の論理にまで行ってしまう人もいるようだ。国家間の争い一つ一つの原因の違いを考えないで一括りに「何か共通の性格、本質があるのではないか」と類推し、その果ては「人間は動物、動物は争うものだ」というような社会ダーウィニズムのような「感じ方」、「哲学」までに。こうなると当然、僕が1で観たような「戦後の世の中の違い」などは観ないことになる。ちなみにかえる論の方々は、戦前の日本を擁護するときにだけこの違いを持ち出されるようだ。「それは歴史の後知恵だ。当時の社会、白人はもっと乱暴だったよ」などという時に。
4 九条堅持。職業保障をして自衛隊は解散、警察力を大きくする程度でよい。資本主義大国でこういう国が一つぐらいあった方が世界平和の確立、貧困の撲滅のためにも良いことだと思う。憲法前文にあるとおりに「平和を願う世界の人々の気持ちを信頼します」と改めて言明するのである。
攻められる可能性の低さについて、①民主国家の増大。②非同盟国の増加。③無視できぬ国連の権威の増大。④日本の経済大国化。を挙げられました。
それぞれに納得する面もあるのですが、疑問もあります。
その一つは、国連に対して少し過大評価し過ぎているのではという点です。戦後、国連は国際紛争について色々コメントしてきましたが、各地での宗教・民族紛争、経済・領土紛争、そして何より超大国主導の侵略まがいの戦争を抑止できたでしょうか。
また、そんな国連でも外交の機軸としてその中で発言力を強めるとすれば、軍事的な分担も必要になるのではないでしょうか。
とすれば、ますます世界のどこかに喧嘩があれば行って詰まらないから止めろと言い、それでも聞かねば相談して喧嘩がそれ以上にならないように止めに入る力をもったそんな国に私はしたい。
「5 国連には軍隊不保持を改めて表明し、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を出す。合わせて、こう表明する。
『軍隊を持たない代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう資本主義大国が存在するのは世界の未来にとってこの上なく大きい意味があると考える。ついては代わりに以下の要求をさせて頂く。世界の平和を目指すという善意に信頼を置いてこういう決断をするわけだから、この要求の資格も当然あると考えている。〈この国に他国が攻めてくるということがないようにする努力を、また万万が一攻められるようなことがあった場合には、世界の国々で即座に支援して頂くという約束と体制を〉」
以上は理想的に過ぎるかも知れませんが、意外に賛成、協力の国が多いと僕は思っているのです。
私どもは(民間でこれだけを行っている)日本国憲法2.0開発部です。よろしくお願いします。
このたび、情熱を込めて、人権明記憲法として、
日本国憲法 2.0
と名づけた草案を開発し、満を持して発表致します。
あとは上の名前をクリックしてご覧ください。
で・・。戦後日本が決定した大事なことは、自衛に徹して、戦前のような満州国を作るとか、韓国や台湾などの合併などはしないということです。私もそれでいいと思っています。ただ、国連の要請などがあれば、戦闘地域であっても自衛隊を派遣すべきだと思っています。
かつ米国との集団安全保障は堅持すべきでしょう。
21世紀という時代と20世紀は、異なった危機の世界だと思います。
さて、この投稿を初めに書いたとき、また「岩国市の投票問題」で貴方と論争したとき、貴方のような方がこの投稿にコメントしてくれないかなーと、実は僕は待ち望んでいたのですよ。
例によって「酷いものです」とか「中学生以下の内容です」とか、説明なしでファッショ的・感情的(あなたがこれであることは既に、別項で説明しました。もう反論もないことですし)な、面と向かって語ったら喧嘩になりそうな品のない言葉が続きますが、そういう礼儀知らずは許してあげましょう。何しろ待ち望んだ内容を送って下さったのだから。
貴方の投稿にはいつも思うのですが、相手の議論全体に合わせた応えをしないで見当違いの「断片の話」だけを持ち出される。こんな「我田引水の反論」は反論にはなりえないのですが、まず一つ。日本へ攻めてくる国を想定して独裁国家が減り、選挙を気にしないでは為政者はどんな行為もできないと僕が言っているのに、なぜアフリカ諸国の話を持ち出してくるのですか。
ついで二つ、自衛隊解散なら安保破棄に決まってるでしょう。
また米ソ過剰緊張の、どっちかのボタン押し違えから世界破滅が来たかも知れない時代より、今のが日本にとって危機だという証明をして下さい。軍備増強を言う人はオオカミ少年や米ソよろしく、いつも「危機、危機」と語るから、信用できません。
それから何よりも僕が自身の歴史観など語ってもいないのに「歴史観というのが酷いというか」と述べられました。こういう点に言及されるならせめてご自分が、僕が触れた「社会ダーウィニズム」じゃないというぐらいは応えられるというのが、最低の筋じゃないですか。これも僕の論議の断片に見当違いの論議をされていることになる。
なお、日本が僕の言うようになったら、そんな日本に攻めてくるような国はまずないし、必死で守ってくれる国はいっぱい生まれると僕は考えていますよ。「貧困の撲滅」に大いに力を貸した国々などが、です。だからアジアの仲間は大事にしましょう。シナなどとも言わないようにね。
それから、シナというのを侮辱しているように、文科系さんは思っているようですが、一度、辞典を引いて、そのシナの語源を理解して下さい。最後に貧困の撲滅に貢献した国は、軍事力もないし、こんな遠い日本に駆けつけてくれる国がどこにあるのですかね。ある意味で文科系さんのような人達、いわば大東亜共栄圏などという出来ない理想を掲げるのです。それは出来ないのです。経済だけでは、駄目というか尊敬も信頼もされないのです。
それこそシナ除きの大事なアジアの仲間からです。
それからボタンは押し間違いがないようにしているのです。しかし人間だからわかりませんよね。まあそれならそれでいいのでしょう。この地球にとって、人間ほどアホな動物はいないのです。神も間違うのでしょう。しまったなと・・。
社会ダーウィニズムを、広辞苑はこう書いています。
「特に生物界における生存競争・適者生存の原理を人間社会に適用し、社会には闘争と優勝劣敗の原理が支配すると主張する思想。(中略)適者生存によって利他主義的倫理も発展するとしたH・スペンサーを含めることがある」
あなたは進化という言葉への連想からか、進歩ということを考えられたみたいですが、進歩の側面は上記のスペンサーに見るような派生的なものです。なおまた、僕は社会ダーウィニズム(本流の)信奉者ではなく、「改憲論者にはこういう『感じ方』の人が多いのではないか」と初めに述べたわけでした。またなお、僕はいわゆる「進歩論者」ではありません。
シナは、語源(二つの系統がありますね)などもほぼ総て調べました。ご指摘有り難うございます。ただし、これに関わる貴方への僕のお返事としては以下のものが適当でしょう。
「なお支那という言葉自体に蔑視の意味はないが、日中戦争などで侮蔑的に使用されたりした経緯から中国人の反発を受け、第2次大戦後はこの使用を避けることが多い。こうしたことから、中国では〈東支那海〉〈南支那海〉などの呼称は使用せず、それぞれ〈東海〉〈南海〉と読んでいる」(百科事典・マイペディアから)
日本人が使い続けてきたからと言って、中国人が嫌う言葉を使うのは、国際交流上全く悪いことと思います。「ある世界」では、こういう侮蔑を承知で敢えて使っているみたいですね。なお、悪いです。
「経済だけでは、駄目というか尊敬も信頼もされないのです」は、真理です。また、僕は若い頃はいざ知らず現在は、日本人であることにそれなりの誇りを持っています。
さて、私はダーニズムは、不得意ですが、一面の真理があると思っています。やはり、鳥類でも猿でも強い雄が雌を掴まえますし、雌も選びます。人間の雌もひ弱い男より強くて逞しい雄を、さらに最近は、金持ちの男を選ぶ傾向があります。でもそれだけではないと思うから恋愛というドラマが生まれるのです。最近、TVで話題になった「愛と死をみつめて」も、伊豆の踊り子なと・・・。これが動物と異なる人間の社会です。所で改憲論者の何処がダーニズム
の信奉者と言えるのですか。ともすれば、この近代とか資本主義は、弱者を切り捨てにしかねない、その典型がアメリカでしょう。こんなアメリカにしようと、あるいは歴史を否定したソ連など、あれこそ強権的で、大虐殺を行い、適者適存どころではありませんよ。国際交流というのは、相手に譲ればいいというものではありません。歴史の改竄にもなります。最近の教科書は日中戦争といいます。でも当時は日支事変です。事変と戦争は違いますよ。事変といったのは、日本にとって、シナの中に、共産党や国民党などがあって、敵の政府がわかりにくいことと、戦争にはしたくないという日本政府の意思があったのです。近衛首相が、「相手とせず」というのは、相手がわからない程に、シナの国内は乱れていたのです。だから事変と戦争では、歴史の改竄になると言っているのです。ついでながら古代史の中でも、朝鮮などから来た人達をかっては帰化人と言っていたのですが、最近は渡来人と書いてあります。渡来したというか、招聘した人もいますが、多くは、朝鮮半島の戦争や動乱によってこの日本の逃れてきたのですね。それを普通は帰化人というべきものでしょう。あたかも文化文明を持ってきたかのような渡来人というのもおかしな話でこれも歴史の改竄です。保守というのは、日本の伝統や慣習を大切にすることです。だからといって、何も変えないといっているのではありませんよ。まずは、日本の長い長い歴史や文化、文明が培ってきた美意識や倫理性などを基本において、改善するものは改善するというものです。
そこが日本の左翼とかアメリカ信奉者と異なる所です。
文科系さんの日本の誇りとは、一体何を指しているのでしょうか。私も文科系さんもお袋、親父、爺さんお婆さんいや、まだまだ続く先祖がいて現在の私達がいます。私達がこれから生きていくであろう子供や孫達に何を残してあげれるのでしょうか。文化系さんの考える何を残してあげるのですか?少なくとも、せめてこの日本がアメリカの属国とか、シナや韓国に言いたい放題いわれたり、あの北朝鮮に拉致される日本でいいのですか。恐らく明治の日本人や戦前の日本人達は、そんなことはさせなかったのです。
国家が国民の生命と誇りを失うような状態を放置しているというのは、おかしいでしょう。文科系さんの子供が孫が、北朝鮮に拉致されていたら、どうしますか。九条改正反対、馬鹿らしいでしょう。相手が核やミサイルまで持って、日本を敵国扱いしているのです。とりわけ中国とは平和条約まで結んでいるのですよ。一体、これって何です
か。文科系さんのいう国際政治は、理想的にはいかないのです。全て現実主義なんです。日本の国民を守るには、ハードな外交力、精密な情報力、そして軍事力がいるのです。それが国際政治の現実です。文化系さんの誇りを守る為にはです。では。
どうも貴方と話していると話がごちゃちゃになるだけですね。本論には派生的な断片的な話ばかりを持ち出してくるのは、自分の土俵にひっぱりこみ、中心の話をうやむやにするためなのでしょうか。あらためて、僕の5箇条に順番に応えて下さい。一つ一つ番号を付けて。特に、3番については「弱肉強食論を持っておられるから、攻めてくるはずだ」ということではないかを、しっかり応えて下さい。