チュニジア革命についてウィキが果たした役割で、二つのニュースを紹介しましょう。一つは、毎日JPから。こちらは、この事件の世界的・歴史的意味に触れています。そして今一つは、アサヒ・コムからです。こちらはこの親米旧政権の酷さが分かります。アメリカも戦々恐々でしょうが、独裁政治的なサウジ、エジプト、リビアなども怖がっているようです。今時、国王一族らの少数支配なんて、専政の実態はどんどん暴かれればよい。
【 毎日JPより 毎日新聞18日社説:チュニジア情勢 中東の変化見守りたい
パーレビ国王を国外退去に追い込んだ79年のイラン革命では、国外にいるホメイニ師(後の最高指導者)の説教を録音テープで聞いた民衆が次々に決起した。先週、ベンアリ前大統領が国外に逃亡した北アフリカ・チュニジアの政変では、ネットを通じた呼びかけで反政府デモが盛り上がったという。
ウィキリークスが暴露した米外交公電によって、ベンアリ氏と家族らの腐敗や政治の私物化が明らかになり、国民の怒りの火に油を注いだ面もある。民衆の決起により指導者が国外に逃亡するのは中東では極めて異例だ。しかも、あれよあれよという間の政権崩壊は、情報が瞬時に伝わって人々を動かすネット時代ならではの現象として注目したい。
今回の政変は、チュニジアを代表する花にちなんで「ジャスミン革命」と呼ばれる。抗議行動の発端は昨年12月、野菜などを売って生計を立てていた青年が当局に販売を禁止され、抗議の焼身自殺を企てたことだという。治安当局の強圧的なデモ鎮圧などで多くの市民が死亡したのは痛ましいと言うしかない。
情勢はなお不透明ながら、メバザア暫定大統領(前下院議長)の下で近く挙国一致内閣が発足するというのは、国家の安定に関して歓迎すべきである。生活難にあえぐ国民の意を酌み、新政権は生活再建に努めてほしい。新大統領を選ぶ選挙も速やかに行うべきだろう。
多くの観光名所があるチュニジアは、外見的には穏やかな親米国家だった。その国で起きた政変は、他の中東諸国にとって、決して「対岸の火事」ではない。ベンアリ氏は23年も最高権力者として君臨したが、近隣のリビアではカダフィ大佐が69年から約40年権力を握り、エジプトでは81年から約30年、ムバラク大統領による政治が続いている。
「強権政治」とは、ベンアリ氏だけに向けられる批判ではあるまい。米ブッシュ政権の「中東民主化」構想には、イラク戦争を正当化する口実の色彩が濃厚だったが、中東諸国の民主化自体は必要だ。ベンアリ氏が逃げ込んだサウジアラビアにしても、サウド家による少数支配が続き、明確な憲法や政党はないし女性の権利も厳しく制限されている。
だが、中東での民主化はしばしばイスラム原理主義への揺り返しを生む。90年代に自由選挙を行った隣国アルジェリアでは原理主義政党が圧勝し、選挙結果が取り消されたため流血の混乱が続いた。チュニジアにも原理主義勢力「アンナハダ」が根を張っており、選挙を通じてイスラム色が強まる可能性もある。新政権がどんな政策を打ち出すか、情勢を注意深く見守りたい。 】
【 一族の横暴、米公電で露見 国外脱出のチュニジア大統領
2011年1月18日
[ワシントン=望月洋嗣]チュニジア国外に脱出したベンアリ大統領一族のぜいたくぶりや腐敗を米外交官が把握していたことがわかった。米紙ニューヨーク・タイムズが16日、民間告発サイト「ウィキリークス」が公開した外交公電の内容として報じた。
「お前の物は私の物」と題された2008年6月の公電は、ベンアリ氏のおいがフランス人実業家からヨットを取りあげた事例を挙げ「ベンアリ一族は欲しい物はすべて手に入れる」と報告している。
09年7月の公電は、駐チュニジア米大使がベンアリ氏の娘婿宅であった晩餐(ばんさん)会で目撃した様子を詳述。娘婿は虎を飼っており、大使は、ライオンを飼っていたフセイン元イラク大統領の息子を思い出した。「一族がチュニジア人に嫌われる理由がはっきりした」としている。
米政府はこうした状況に懸念を深める一方で、ベンアリ政権のテロ対策の成功を評価し、正面から取りあげようとしなかったという。(アサヒ・コムより) 】
【 毎日JPより 毎日新聞18日社説:チュニジア情勢 中東の変化見守りたい
パーレビ国王を国外退去に追い込んだ79年のイラン革命では、国外にいるホメイニ師(後の最高指導者)の説教を録音テープで聞いた民衆が次々に決起した。先週、ベンアリ前大統領が国外に逃亡した北アフリカ・チュニジアの政変では、ネットを通じた呼びかけで反政府デモが盛り上がったという。
ウィキリークスが暴露した米外交公電によって、ベンアリ氏と家族らの腐敗や政治の私物化が明らかになり、国民の怒りの火に油を注いだ面もある。民衆の決起により指導者が国外に逃亡するのは中東では極めて異例だ。しかも、あれよあれよという間の政権崩壊は、情報が瞬時に伝わって人々を動かすネット時代ならではの現象として注目したい。
今回の政変は、チュニジアを代表する花にちなんで「ジャスミン革命」と呼ばれる。抗議行動の発端は昨年12月、野菜などを売って生計を立てていた青年が当局に販売を禁止され、抗議の焼身自殺を企てたことだという。治安当局の強圧的なデモ鎮圧などで多くの市民が死亡したのは痛ましいと言うしかない。
情勢はなお不透明ながら、メバザア暫定大統領(前下院議長)の下で近く挙国一致内閣が発足するというのは、国家の安定に関して歓迎すべきである。生活難にあえぐ国民の意を酌み、新政権は生活再建に努めてほしい。新大統領を選ぶ選挙も速やかに行うべきだろう。
多くの観光名所があるチュニジアは、外見的には穏やかな親米国家だった。その国で起きた政変は、他の中東諸国にとって、決して「対岸の火事」ではない。ベンアリ氏は23年も最高権力者として君臨したが、近隣のリビアではカダフィ大佐が69年から約40年権力を握り、エジプトでは81年から約30年、ムバラク大統領による政治が続いている。
「強権政治」とは、ベンアリ氏だけに向けられる批判ではあるまい。米ブッシュ政権の「中東民主化」構想には、イラク戦争を正当化する口実の色彩が濃厚だったが、中東諸国の民主化自体は必要だ。ベンアリ氏が逃げ込んだサウジアラビアにしても、サウド家による少数支配が続き、明確な憲法や政党はないし女性の権利も厳しく制限されている。
だが、中東での民主化はしばしばイスラム原理主義への揺り返しを生む。90年代に自由選挙を行った隣国アルジェリアでは原理主義政党が圧勝し、選挙結果が取り消されたため流血の混乱が続いた。チュニジアにも原理主義勢力「アンナハダ」が根を張っており、選挙を通じてイスラム色が強まる可能性もある。新政権がどんな政策を打ち出すか、情勢を注意深く見守りたい。 】
【 一族の横暴、米公電で露見 国外脱出のチュニジア大統領
2011年1月18日
[ワシントン=望月洋嗣]チュニジア国外に脱出したベンアリ大統領一族のぜいたくぶりや腐敗を米外交官が把握していたことがわかった。米紙ニューヨーク・タイムズが16日、民間告発サイト「ウィキリークス」が公開した外交公電の内容として報じた。
「お前の物は私の物」と題された2008年6月の公電は、ベンアリ氏のおいがフランス人実業家からヨットを取りあげた事例を挙げ「ベンアリ一族は欲しい物はすべて手に入れる」と報告している。
09年7月の公電は、駐チュニジア米大使がベンアリ氏の娘婿宅であった晩餐(ばんさん)会で目撃した様子を詳述。娘婿は虎を飼っており、大使は、ライオンを飼っていたフセイン元イラク大統領の息子を思い出した。「一族がチュニジア人に嫌われる理由がはっきりした」としている。
米政府はこうした状況に懸念を深める一方で、ベンアリ政権のテロ対策の成功を評価し、正面から取りあげようとしなかったという。(アサヒ・コムより) 】
西欧の支配を脱して
良い社会がやってくると
思っていましたが・・・
その民族主義者も腐敗して
いったんですね。
日本でも身分制社会でなくなって65年、まだまだ権力の上に胡座をかく輩が絶えない昨今。検察や官僚のやり口を観ても、パワハラの多発なども。