岡田武史サッカー日本代表監督のやってきたことを、まとめてみる。現在までの結果を先ず上げてみよう。
①まず、ワールドカップまでのこの重要な1年で、35位から45位へと世界ランクを下げている。
②次いで、選手選考にトルシエがやったような競争原理が全く働いてこなかった。現に、補強メンバーを試合で鍛えることがほとんどできていないのがその証拠だ。強化試合などの結果が悪くて、最強メンバーで戦わざるを得ない状況にどんどん追い込まれていったからでもある。
③指摘され続けてきた上記のことを、監督自身もやっと今、認めている。セルビア戦総括でこんな事を述べていた。『ポジティブなこと?あんまりない。一番(の収穫)は(主力が)11人そろったときにはそこそこできるけど、ケガ人が出たとき、同じ戦いは厳しいということ』
④これでは、主要メンバーに故障が出た時、疲弊しきった時の替えや、相手によって使い分ける選手が全くいないということだ。特に、長谷部。次いで中澤、闘利王、本田。彼らに何かあったら、一体どうする積もりなのだろう。
こうして総体として見て、ジーコジャパンよりも弱くなっていることは明らかであろう。同じようにメンバー固定でやってきたジーコよりもサブメンバーの力がさらに落ちると思うし。ジーコと同様に代表監督としてやってはならない「クラブ育成型」を取ってきた上に、本番選手選考期限ぎりぎりになって大失敗と判明してしまった姿と言える。選手人材は日本代表史上最高と言われたジーコ時代よりも良いと思う。中田に匹敵する長谷部がいるし、岡崎、本田と予想外の急成長もあり、石川の異能も世界に通用することが一昨日証明された。アジアMVPの遠藤もいるし、俊輔の経験値も格段に上がっている。こうして、日本の欠点・得点力は岡田にとっては偶然と言えるものも重なって、増えていると見て良いだろう。
問題は、守備だ。オランダ、ガーナ、セルビアなど強豪国とやる時に常にこの弱点が露呈されてきた。走力、組織力を生かした「(全員攻撃)全員守備」は良いのだが、裏は取られるし、1対1やセットプレーに弱く、もの凄く守備陣の層が薄い。日本のDFに高さ、強さが欠けるのは、初めから分かっていたことである。ならばどうして、オシムのように守備にもスピードを求めなかったのか。また、何故もう少し「全員守備型」のメンバー構成をも併用してこなかったのか。守備にスピードを求めたオシムは、阿部と今野をレギュラー的に使っていた。また、ブラジルと日本を知り尽くした元大分監督のシャムスカの、4-2-3-1として岡田との違いはここだ。右サイドバック徳永、同左サイド今野で、阿部をファーストボランチとして遠藤を2列目に出している。なお、シャムスカは阿部をこのように評価している。
『優秀なファースト・ボランチはJリーグでも少ないが、私のチョイスは阿部。ファウル無しに相手ボールを奪う技術があり、当たり負けしない。空中戦に強く、展開力もある』
シャムスカがこれだけ褒める阿部がこの時期になってやっと先発したセルビア戦であのように惨めな組織的プレーしかさせてもらえないという、岡田はそんな監督であったと言うしかないのだと思う。
このようにオシムやシャムスカの「日本人サッカー観」は、「全員攻撃全員守備」でも守備を重視しており、その守備にスピードを求める発想と言って良い。
サッカー、と言うよりも集団球技一般は彼我の現状分析から総てが始まる。岡田はそこですでに誤ったのだと思う。オシム路線を継承した「走力・組織力」の「全員攻撃全員守備」は良いのだ。ただし、ワールドカップの圧倒的多数が格上相手なのだから日本が第1に臨むべき方向は、守備から入ることではなかったのか。「全員攻撃全員守備」が攻撃に偏って「攻撃は最大の防御」などとバルサかアーセナルのようにやるのは十年早いのだと思う。いや、クラブではなく代表チームでは不可能なのだと思う。ただでさえ日本サッカーには、守備の文化が希薄なのだから。
ジーコの「世界を驚かす」と岡田の「世界4位」は、現状分析不足の「砂上の楼閣路線」ではなかったか。夢はよいのだが、出発点である現状分析が誤っていたということだろう。
2大会に渡って「砂上の楼閣路線」を取った日本サッカー協会には、次期監督は是非、よく考えて選んで欲しいものだ。
①まず、ワールドカップまでのこの重要な1年で、35位から45位へと世界ランクを下げている。
②次いで、選手選考にトルシエがやったような競争原理が全く働いてこなかった。現に、補強メンバーを試合で鍛えることがほとんどできていないのがその証拠だ。強化試合などの結果が悪くて、最強メンバーで戦わざるを得ない状況にどんどん追い込まれていったからでもある。
③指摘され続けてきた上記のことを、監督自身もやっと今、認めている。セルビア戦総括でこんな事を述べていた。『ポジティブなこと?あんまりない。一番(の収穫)は(主力が)11人そろったときにはそこそこできるけど、ケガ人が出たとき、同じ戦いは厳しいということ』
④これでは、主要メンバーに故障が出た時、疲弊しきった時の替えや、相手によって使い分ける選手が全くいないということだ。特に、長谷部。次いで中澤、闘利王、本田。彼らに何かあったら、一体どうする積もりなのだろう。
こうして総体として見て、ジーコジャパンよりも弱くなっていることは明らかであろう。同じようにメンバー固定でやってきたジーコよりもサブメンバーの力がさらに落ちると思うし。ジーコと同様に代表監督としてやってはならない「クラブ育成型」を取ってきた上に、本番選手選考期限ぎりぎりになって大失敗と判明してしまった姿と言える。選手人材は日本代表史上最高と言われたジーコ時代よりも良いと思う。中田に匹敵する長谷部がいるし、岡崎、本田と予想外の急成長もあり、石川の異能も世界に通用することが一昨日証明された。アジアMVPの遠藤もいるし、俊輔の経験値も格段に上がっている。こうして、日本の欠点・得点力は岡田にとっては偶然と言えるものも重なって、増えていると見て良いだろう。
問題は、守備だ。オランダ、ガーナ、セルビアなど強豪国とやる時に常にこの弱点が露呈されてきた。走力、組織力を生かした「(全員攻撃)全員守備」は良いのだが、裏は取られるし、1対1やセットプレーに弱く、もの凄く守備陣の層が薄い。日本のDFに高さ、強さが欠けるのは、初めから分かっていたことである。ならばどうして、オシムのように守備にもスピードを求めなかったのか。また、何故もう少し「全員守備型」のメンバー構成をも併用してこなかったのか。守備にスピードを求めたオシムは、阿部と今野をレギュラー的に使っていた。また、ブラジルと日本を知り尽くした元大分監督のシャムスカの、4-2-3-1として岡田との違いはここだ。右サイドバック徳永、同左サイド今野で、阿部をファーストボランチとして遠藤を2列目に出している。なお、シャムスカは阿部をこのように評価している。
『優秀なファースト・ボランチはJリーグでも少ないが、私のチョイスは阿部。ファウル無しに相手ボールを奪う技術があり、当たり負けしない。空中戦に強く、展開力もある』
シャムスカがこれだけ褒める阿部がこの時期になってやっと先発したセルビア戦であのように惨めな組織的プレーしかさせてもらえないという、岡田はそんな監督であったと言うしかないのだと思う。
このようにオシムやシャムスカの「日本人サッカー観」は、「全員攻撃全員守備」でも守備を重視しており、その守備にスピードを求める発想と言って良い。
サッカー、と言うよりも集団球技一般は彼我の現状分析から総てが始まる。岡田はそこですでに誤ったのだと思う。オシム路線を継承した「走力・組織力」の「全員攻撃全員守備」は良いのだ。ただし、ワールドカップの圧倒的多数が格上相手なのだから日本が第1に臨むべき方向は、守備から入ることではなかったのか。「全員攻撃全員守備」が攻撃に偏って「攻撃は最大の防御」などとバルサかアーセナルのようにやるのは十年早いのだと思う。いや、クラブではなく代表チームでは不可能なのだと思う。ただでさえ日本サッカーには、守備の文化が希薄なのだから。
ジーコの「世界を驚かす」と岡田の「世界4位」は、現状分析不足の「砂上の楼閣路線」ではなかったか。夢はよいのだが、出発点である現状分析が誤っていたということだろう。
2大会に渡って「砂上の楼閣路線」を取った日本サッカー協会には、次期監督は是非、よく考えて選んで欲しいものだ。
「慣れ親しんだ連携とは別の個の力に頼るのは断念した。この連携に期待していくしかない。故障者が出たら大変困るが」
これでおおかたのメンバーは決まったと思う。キーパー3、DF7、MF8、FW5として、僕の予想はこうだ。
DFは、吉田の抜擢があるならば徳永も岩政も落ちて、今野は入る。
MFは、故障中の憲剛次第。彼が間に合えば、稲本、小笠原は落ちる。阿部、本田、松井、石川は入るだろう。
問題はFWだが、岡崎、玉田、佐藤、そして組織に溶け込んできた平山までは上がる。残り1人がMFに回される可能性もある。MFに、本田、石川というFW以上の点取り屋がいて、ワントップの可能性が高いからである。
でも僕は、小笠原を是非入れて欲しいなー。心の強い人間が、日本代表には是非必要だと思う。
その欠点に加えてもう一つ僕が思うのは、「相手によって戦術を変えることができない」ことです。
先のセルビア戦、セルビアは3日間の準備期間をすべて対日本用の戦術確認に費やしたそうです。その結果、日本と同じように初めてのメンバー構成だったのにもかかわらず、選手全員の意思統一ができていてカウンターを何度も成功させました。
それに対して日本は、セルビア戦のみならず今までの試合全てを同じ戦術・コンセプトで戦ってきています。W杯で重要とされている監督同士の読み合い、駆け引きを初めから放棄しているようなものです。
しかし相手によって戦術を変えることは、日本人が最も不得意なことにも思えます。
岡田監督は初めから「本気でチャレンジする」と言い続けています。日本人らしい長所を伸ばし続け、その一点で格上の相手を驚かせ困らせる。その長所とはオランダを驚かせた中盤の連携だと思いますが、それをこのレベルまで持っていくには固定メンバーで同じ戦術で戦い続けるしか無かったのではないでしょうか。
それぞれの欠点が致命的すぎて、決して決勝トーナメント進出の確率は高くはないですが、見ててつまらないチームでは無い。
「怪我人が出ないことを祈るしかない」と開き直った岡田監督を、それでも僕は応援したいです。
できればどちらか削除していただけるとありがたいです。申し訳ありません。
ところで、アメリカ野球では監督のことをマネージャー、時にはヘッド・コーチと呼ぶということですが、この国では、野球マネージャーと聞くと先ず思い浮かべるのは、高校野球のマネージャーであり、プロではゼネラル・マネージャーと言われた根本陸夫氏しか思い浮かびません。
映画、演劇、音楽分野で、ディレクター、マネージャーと呼ばれている監督と、野球・サッカーの監督の同位相違はどこなのでしょう。
その上で一考すると、オシムと岡田の違いがより鮮明になるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
初めに、只今さんへ
集団球技監督には、弱点補強という育成の面と、当面の相手との戦略家の面が必要と思います。集団で相手と闘うのだから、全てが相手との比較になりますが。初来日した弱小千葉や、ワールドカップで示したように、オシムは両方が備わっています。世界相手での岡田は両方とも中途半端を免れず、特に戦略力が低いのではないでしょうか。育成は札幌で一定水準を示していますが、戦略はせいぜい横浜でJ1優勝程度ですから。
さてカジュさん、例によって実によい論議を出された。世界中の集団球技を巡る本質的問題であり続けてきたことだ。勝利第1か、スポーツとしてのなんらか興味深さ、何らかの神髄、あるいは美しさなどをも求めるのか。
イタリアの「1対0主義」。ドイツサッカーの「集団守備の伝統」。これらは、「他チームから金でエースを何人も引き抜く勝利第一主義野球」にも通じるものがある。「負けない」を目指すのね。あまり面白くない。
こういうイタリアやドイツには、「あんなのよりも、4対5で負ける方が余程面白い」という批判が、オランダ人などから出てきます。アンチ・ヤンキース、アンチ「巨人軍」は、育成上手の広島や落合監督に注目するはず。これらは、スポーツには勝つ事以外の着眼点もあると示してくれる。
スペイン小兵選手の「世界1の技とスピード」。イングランド・サッカーは、まるで柏戸のような「一直線的力の魅力」を今でも見せており、なんというか潔い。サッカーには、近年ではオランダが創ったような「組織的スピード」というのもある。
でもやはり、「美しく勝つ」でしょう? どこかもろかったが美しいと言われてきたスペインやオランダのサッカーも、いまやっと勝てるようになって、さらに人々の心をつかんでいる。長い苦労がありましたが、歴史を先取りしていたということでしょうか。
日本は今、世界に通じる日本流のサッカーを作っている真っ最中でもあるのでしょう。目前のワールドカップ勝利よりも、その一里塚の前進を見る方が大切で面白いと、そういう人々がいても全くナチュラルなことだと思います。僕もどちらかと言えば、そっちに近い。でも、上の拙稿は、セルビア戦に腹が立ちすぎて、その側面をちょっと忘れていました。
より大きな楽しみを思い出させてくれて、有り難う。
セルビア戦を見ていて、そう思いましたね。
セルビアは、代表とは名ばかり、あの一戦の為に国内からかき集められた急造チームで、チームとしての練習はせいぜい三日程度。
組織的なサッカーなどできるはずもなく、事実ボールキープ率は日本が圧倒していました。
それでも、二三人が飛び込んで得点できてしまうんですよね。
「監督が‥」とか、「システムが‥」とか、言う前に、個人のレベルアップをはかるのが先だと思い知らされた一戦でした。
「走力が、当り強さの代用になる」ってのは、「日本代表がバルサやアーセナルのようなサッカーをできる」てのと同レベルの幻想だと思いますよ。
過剰な走力信仰を改めて、(韓国や中国のように)地道にガタイのある選手を育てるべきでは?
さて、いつも僕が反論を書いてもほとんどお返事がないのだけれど、いつもと同じお応えね。改めて。
①まずセルビアのことは、変な評論家の言葉と一緒といつも反論を書いてます。こういう反論が正しかったと既に証明もされた。僕が言った通り、セルビア選手たちは凄く本気でやったし、寄せ集めにしては組織的にしっかりしており、凄く水準も高かったと、試合の後でもっぱら言われています。それを認めないのは、貴方と同じことを最初から述べていて、ゲーム後もその言葉を換えたくない不誠実か、理解力のない評論家だけです。「独り言を言い続けるしかできない評論家」ですね。
②どんなチームでも、「個人のレベルアップ」や「当たり強さ」がもっと必要なのは当たり前。問題は、「そのチームが今度のワールドカップで出来るだけ良い成績を収めるために、今何が最も必要なのか」ということ。そういう全体的根本的議論でしょう? すると、僕が書いた文章内容になるのですよ。
たまには、お返事を書いてみてください。ただし、僕の論点に合わせた反論が欲しいものです。
【「走力が、当り強さの代用になる」ってのは、「日本代表がバルサやアーセナルのようなサッカーをできる」てのと同レベルの幻想だと思いますよ。過剰な走力信仰を改めて、(韓国や中国のように)地道にガタイのある選手を育てるべきでは? 】
これはまー、僕の次の部分への反論なのでしょうね。
【日本のDFに高さ、強さが欠けるのは、初めから分かっていたことである。ならばどうして、オシムのように守備にもスピードを求めなかったのか。また、何故もう少し「全員守備型」のメンバー構成をも併用してこなかったのか】
守備選手にも、「当たり強さ」とか「ガタイ」だけとかいうように、この力さえあれば他は欠けてもよいという第1の要素なんてものはありませんよ。少なくともこれだけが均等というぐらいに必要なはずです。
ガタイ、全体的筋力、スピード(瞬間走力と技術的スピード)、持久走力、広い視野に基づく判断の速さ。そして何よりも、これら全体を日頃身につけていくことができるような賢さと、自己規制力。他にもまだあると思いますが、まず思いついたことを上げてみました。
ガタイと筋力が頭抜けていても、他が比較的劣っていれば世界トップ水準内部でさえこういうことが起こるはず。
「自分のドリブルボールを、豊かな瞬間スピードで追い抜かれた相手に、素速くちょこんと足を出されて奪われてしまう。持久走力が足らなければ、こんな事を終盤にしょっちゅうやられることになる」
こういうことがあるから、北欧やドイツのDFが、スペインの小さなFWにやられることがあるのでしょうね。
日本人のガタイと筋力は一般に、スペイン人よりも劣るでしょう。が、上のこういうものは「人種的に劣る」とは言えないと思います。【技術的スピード、持久走力、広い視野に基づく判断の速さ、これら全体を日頃身につけていくことができるような賢さと、自己規制力】
こういうものを生かした「日本的守備術」というのが必ずあるはずです。クラブレベルは別として国代表レベルで長く勝てなかった小兵民族スペインが最近強いのは、自国民にあった戦い方を発見し、身につけてきたからと考える以外にありません。ガタイで決まるなら、北欧の方が圧倒的に強いはずです。前にも書きましたが、カンナバーロやプジョールは大きいとは言えません。
というように、サッカーのどういう点でも、多面的に見なければならないと言いたいです。