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小説 俺のスポーツ賛歌(3)   文科系 

2020年11月04日 06時25分14秒 | 文芸作品
 
 定年近くのこんな俺を、同居生活という近くで見続けてきた母が度々口に出していた言葉がある。
『若い頃順調に一直線で来た男性は老後に苦労する。何らか意味がある寄り道をした人の方が豊かな老後になる。人生プラスマイナスゼロにできてるということなんだろうねー』
これは、老後が即余生になってしまった父や、当時既にそうなりそうだった弟を見ていて、母なりに出した人生訓なのだ。ちなみに、先にも見た同窓会誌「桜陰」寄稿にもこんな一節がある。
『同居している次男夫婦も共働きですので、昼間は相変わらずの一人暮らしですが、二人が帰宅し、共にする夕食は楽しく、孤独を忘れることの出来るひとときです』。俺が五〇歳の頃から俺らは同居を始めて、その二年後に父が亡くなったその後の家庭風景を母なりに描写したものである。なお、この夕食時間は俺にとっても忘れられないものになっている。食卓に、母と連れ合いと二人それぞれの二品ずつほどが並んで、華やかな、楽しい食卓だった。なお、四人の兄弟姉妹の中で、両親が最も望まない青春時代を送った俺が晩年の両親と同居したというのは、皮肉というよりはむしろ当然の結果と今の俺は捉えている。博士号を持った外科医である兄は同じ名古屋市の同じ区内に住んで、八十歳を超えた今もなおパート勤務医として働いているが、父母共に兄夫婦とはいろいろあってむしろ疎遠といって良かったからだ。「一直線」の青春を過ごした息子やその配偶者とは、その親もなかなか親しく付き合えるものではないらしい。まして、全国区の大学を出た妹、弟は、それぞれ東京練馬区と横浜高台の自邸に住みついて、名古屋には帰ってこない。全国有数の大学卒業という優秀な子を持つということは、そんな覚悟も要るということである。なお、妹は母と同じ大学の大学院を出ている。


 五九歳の時に職場がスポーツジムの法人会員になったのを機会に、ランニングを始めた。その時に分かったことなのだが、入門して間もなくなんの苦もなく走れるようになって行ったのは、それまでのスポーツ好き、自転車人生があったからだった。自分の最高心拍数の七割程度で走りつづけると最も効率よく心肺機能を伸ばすことができるというランニング上達理論があると後で知ったのだが、素人が継続できる高速サイクリング心拍数がちょうどその辺りに来るものなのだ。つまり、俺はそれまでの自転車人生によってランニングに最適な心肺機能訓練を続けてきたわけだ。走り始めて一年ちょうどほど、六十歳で出た十キロレースで四九分台という記録を持っている。そして今七十七になる俺は、週に三回ほど各十キロ近いランニングをしている。その話が出たり、ダブルの礼服を着る機会があったりする度に連れ合いがよく口に出す言葉がこれだ。
「全部、自転車のおかげだよね」。
 この礼服は、三十一歳の時、弟の結婚式のために生地選びまでして仕立て上げたカシミア・ドスキンとやらの特上物である。なんせ、俺の人生初にして唯一の仮縫い付きフル・オーダー・メイド。これがどうやら一生着られるというのは、使い込んだ身の回り品に愛着を感じる質としてはこの上ない幸せである。よほど生地が良かったらしく、何回もクリーニングに出しているのに、未だに新品と変わらないとは、着るたびに感じる二重の幸せだ。弟の結婚式から父母の葬式までを見続け、「自分の大人時代を今日までほぼ共に歩んできた礼服」。それも今できる品質なんだろうかとか、今作ったらいくらするんだろうとか思わせるような五十年物なのである。こんな幸せさえもたらしてくれる一六九センチ・五八キロ、体脂肪率十二%内外の「生涯一体形」も、「生涯スポーツ」、特に有酸素運動と相携えあって歩んで来られたということである。もちろん俺は、若い頃に医者に教えてもらったポリフェノールのことも忘れてはいない。酸素を多く取り入れ過ぎてきたその手当をしていないスポーツマンは早死にするとは、医者なら皆が語ること。それは酸素とともに空気から取り入れてしまう活性酸素が細胞を最も激しく老化させる有害物質だからである。これを中和してくれるのが、ポリフェノール。かくして俺の食生活は、晩酌が赤ワイン、野菜は馬みたいに食ってきたし、最も多くする間食は、チョコレートに煎茶だ。つまり、こういう食生活習慣がいつの間にか楽しいものになっているというわけである。

 ランニングとサイクリングの楽しさは、俺の場合兄弟みたいなもの。その日のフォーム、リズム、気候諸条件などが身体各部の体力にぴったり合っているらしい時には、各部最小限の力によって気持ちよくどこまでも進んで行けるという感じの兄弟。そして、そんな時には身体各部自身が協調しあえていることを喜び合っているとでもいうような。
 自転車が五九歳にしてランを生み、退職後はランが自転車を支えて、まだまだ長く続いていきそうな七十七歳の俺の活動年齢。パソコンにぶっ通し五時間座っていても腰背痛にも縁がないし、目も大丈夫と、これらすべて有酸素運動能力のおかげ。「パソコン五時間」というのは、現役時代から仕入れて今も続いている同人誌の編集活動に必須の、現に日夜重宝している能力である。文章創作というこの頭脳労働にまた、有酸素運動が威力を発揮している。走った日の後二日ほどは、老人になって特に感じる朝の脳の冴えと同じものを感じ、走らない日が三日も続くとたちまちどんよりとしてくるのである。人間の身体で酸素を最も多く消費するのが頭脳であるという知識を思い出せば、誰にでも分かる理屈だろう。ちなみに、人間個体が窒息死する時、この死が最も早く起こるのも脳細胞であるらしい。

 週に複数回以上走ることを続けてきたほどのランナー同士ならばほとんど、「ランナーズ・ハイ」と言うだけである快感を交わし合うことができる。また例えば、球技というものをある程度やった人ならば誰でも分かる快感というものがある。球際へ届かないかも知れないと思いながらも何とか脚を捌けた時の、あの快感。思わず我が腿を撫でてしまうというほどに、誇らしいようなものだ。また、一点に集中できたフォームでボールを捉え弾くことができた瞬間の、体中を貫くあの感覚。これはいつも痺れるような余韻を全身に残してくれるのだが、格闘技の技がキレタ瞬間の感じと同類のものだろうと推察さえできる。スポーツに疎遠な人にも分かり易い例をあげるなら、こんな表現はどうか。何か脚に負荷をかけた二、三日あと、階段を上るときに味わえるあの快い軽さは、こういう幸せの一つではないか。これらの快感は、たとえどんなに下手に表現されたとしても、同好者相手にならば伝わるというようなものだ。そして、その幸せへの感受性をさらに深め合う会話を始めることもできるだろう。
 こういう大切な快感は、何と名付けようか。イチローやナカタヒデなどこのセンスが特別に鋭い人の話をする必要がある時、このセンスを何と呼んで話し始めたらいいのだろう。音楽、絵画、料理とワインや酒、文芸など、これらへのセンスの存在は誰も疑わず、そのセンスの優れた産物は芸術作品として扱われる。これに対して、スポーツのセンスがこういう扱いを受けるのは日本では希だったのではないか。語ってみればごくごく簡単なことなのに。スポーツも芸術だろう。どういう芸術か。聴覚系、視覚系、触覚系? それとも文章系? そう、身体系と呼べば良い。身体系のセンス、身体感覚。それが生み出す芸術がスポーツと。スポーツとは、「身体のセンス」を追い求める「身体表現の芸術」と言えば良いのではないか。自分の視覚や聴覚の芸術ならぬ、自分の身体感覚が感じ導く自作自演プラス鑑賞付きの、誰にでも出来る身体芸術である。
 勝ち負けや名誉とか、健康や体型とかは、「身体のセンス」が楽しめるというそのことの結果と見るべきではないだろうか。そういう理念を現に噛みしめているつもりの者からすれば、すっかり体型がくずれてしまった体協の役員の方などを見るのは悲しい。勝ち負けには通じられていたかも知れないが、「身体のセンス」の楽しみはどこか遠い昔に置き忘れてこられたように見えるから。その姿で「生涯スポーツ」を説かれたとしても何の説得力もなく、「言行不一致」を免れることはできない。

 さて、こんな俺のロードレーサーが、先日初めての体験をした。直線距離三〇〇メートルとすぐ近くに住んで、今は週三日も我が家に泊まっていく仲良しの女の孫・ハーちゃん八歳と、初めて十五キロほどのサイクル・ツーリングに出かけた。その日に乗り換えたばかりの大きめの自転車やそのサドル調整がよほど彼女の身体に合っていたかして、走ること走ること! 「軽い! 速い、速い!」の歓声に俺の速度メーターを見ると二十四キロとか。セーブの大声を掛け通しの半日になった。
「じいちゃんはゆっくり漕いでるのに、なんでそんなに速いの?」
「それはね、(かくかくしかじか)」という説明も本当に分かったかどうか。そして、こんな返事が返ってきたのが、俺にとってどれだけ幸せなことだったか。
「私もいつか、そういう自転車買ってもらう!」
 そんなことから二回目には、片道二十キロほどの「芋掘り行」サイクリングをやることになった。農業をやっている俺の友人のご厚意で宿泊までお世話になる企画だった。
 人間の子どもの力って凄い。初めての長距離ツーリングなのに、行きも帰りも俺の速度メーターはおおむね二〇~一五キロ、二時間ほどで乗り切った。名古屋市を、北部から南へ縦断して隣の豊明市までというコースだから歩道を走ったのだし、信号は多いし、海に近い天白川の橋の真ん中から水鳥や魚を探すなどの長い休憩時間も二回ほどとったのだけれど。帰りなどはその上、途中にある大高緑地公園遊園地を二時間以上も飛び回ったうえで、さらに一〇キロ近くを文句も言わずに走り通した。けろっとして本人曰く、「私は身体が強いからね!」。初めは半径三キロ以内はこれまでにすべて征服したと豪語できる公園遊びから始まって、自転車から、正しい走り方までも俺が教えて来たこの小学二年生は、五〇メートルを九秒切って走り、二重跳び三十回とかの縄跳びも大好きなのである。俺のスポーツ好きが乗り移ったようなこの子と、まだまだ一緒に遊べる体力を持ち続けていたい。そして今は、やがて青春を迎えるだろうこの子との一日百キロサイクリング、これが俺の夢だ。俺の経験からいって、今のように週二~三日、一回十キロ近いランニングが出来ているならば、一日百キロのサイクリングは容易だと目論んでいる。ちなみに、そういう高齢者は、サイクリングが盛んな英仏などにはうじゃうじゃいる。そして、彼女がその年齢までサイクリングを熱烈な趣味と出来るか否かは、俺が我が父母の教育力をどれだけ換骨奪胎して受け継ぎ得たかに掛かっていると考えている。
 ハーちゃんは二〇一〇年九月生まれ、今はもういない父母はともに一九一〇年九月生まれ、きっかり百歳の歳の差だ。
 
(終わりです)
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