文科省が、次官二代続き辞任などで世を大騒ぎさせて来た。その新聞を見る限り辛うじて汚職に引っかかるのかも知れないが、よく読むとある重大な危惧を抱かざるを得なかった。
先ず「汚職」金額の問題が目に付いた。次官が「62,000円超」で、初等中等教育局長に至っては「2万円」という飲食・タクシー代とあり、いずれも辞任に追い込まれている。これ以上に疑問なのが、これらのニュースソース(垂れ込み元)と思われる谷口というコンサルタントにこの金を使わせた会食場面のことだ。政治家の名で招待されたから、「政治家は利害関係者には該当しない」という認識で出席したと、この次官らが語っている。
さらに新聞記事などをよく読むと、もう一つ、僕には不思議な点があった。上の二人以上の金額、11万5000円を汚職したという高等教育局長は辞任せず、こんな談話を語っていると報道されていた。
『現在手掛ける大学改革などの政策を挙げ「しっかり推進する事で責任を取りたい」と語った』(22日中日新聞)
辞任させられた初等中等教育局長と同格で、汚職金額も彼よりずっと多いこの高等教育局長は、何故「大学改革の推進」を許されたのだろうか。
どうだろう、これほど大騒ぎになる問題だろうか? 政治家の名による招待に応じたという意味で汚職か否かの境界判定が難しい問題とも思われるのだが、どうなのだろうか。これも新聞をよく読むと分かるのだが、彼らは、収賄罪で既に起訴されたある同僚人物に支払いを申し出て、「会費、支払いは不要」と応えられてもいる。重ねて言うが、金額が最も多かった高等教育局長(辞任した初等中等教育局長と同格のはずだ)が辞任せず「大学改革をしっかり推進」と語っている点も、以下に見るように大変気になったものだ。実際の罪よりも、例えば、彼らの思想傾向、日常の姿勢が前川喜平氏に近かったか否かなどということで今回の断罪が成されたのでなければよいのだが。内閣人事局を作って行われ始めた官僚に対する政治優位がこんな形で運用され始めたとしたら、この日本の近い将来は真っ暗闇である。
ちなみに、財務省・佐川氏の当初の昇進は、「こんな形で運用され始めた」ことの明白な証拠の一つと思われる。そして、今回の文科省処分はこれとは正反対、信賞必罰を嘲笑うがごとき事十二分と、そんな事も訝っていたものだ。
さて、安倍長期政権によって文部行政がどんどん歪められ始めるのではないか。ちなみに、前川前次官辞任とそれ以降判明してきた出来事とからも同じことを感じていた。文科省が「忖度・財務省」などとは違って、文科次官を筆頭にモリカケ問題で内閣に抵抗していたと。そして、前川氏をやり玉に彼らに対して、内閣が報復的な行動に出ていたことも明らかだった、と。
以上について、状況証拠をもう一つ挙げてみよう。安倍政権は、歴史修正主義の名が冠されてきたことに示されるように、近現代日本史の書き替えに熱意を燃やし続けてきた。そしてこのことが、文部行政と数々の確執を起こしてきた。さらには、近年の大学など高等教育においては、「軍事研究の是非」を巡る政権と現場との確執も大詰めを迎えているやの感があった。
「文科行政」の長い歴史には、こういう教訓がある。古くは焚書坑儒、新しいものなら美濃部達吉事件や滝川事件のように、政権が右傾化するときには特に必ず、教育、学問の府と確執を起こしてきたのである。
今回の文科省辞任問題がそういうものでなければよいのだがと、大変な危惧を抱いている。
先ず「汚職」金額の問題が目に付いた。次官が「62,000円超」で、初等中等教育局長に至っては「2万円」という飲食・タクシー代とあり、いずれも辞任に追い込まれている。これ以上に疑問なのが、これらのニュースソース(垂れ込み元)と思われる谷口というコンサルタントにこの金を使わせた会食場面のことだ。政治家の名で招待されたから、「政治家は利害関係者には該当しない」という認識で出席したと、この次官らが語っている。
さらに新聞記事などをよく読むと、もう一つ、僕には不思議な点があった。上の二人以上の金額、11万5000円を汚職したという高等教育局長は辞任せず、こんな談話を語っていると報道されていた。
『現在手掛ける大学改革などの政策を挙げ「しっかり推進する事で責任を取りたい」と語った』(22日中日新聞)
辞任させられた初等中等教育局長と同格で、汚職金額も彼よりずっと多いこの高等教育局長は、何故「大学改革の推進」を許されたのだろうか。
どうだろう、これほど大騒ぎになる問題だろうか? 政治家の名による招待に応じたという意味で汚職か否かの境界判定が難しい問題とも思われるのだが、どうなのだろうか。これも新聞をよく読むと分かるのだが、彼らは、収賄罪で既に起訴されたある同僚人物に支払いを申し出て、「会費、支払いは不要」と応えられてもいる。重ねて言うが、金額が最も多かった高等教育局長(辞任した初等中等教育局長と同格のはずだ)が辞任せず「大学改革をしっかり推進」と語っている点も、以下に見るように大変気になったものだ。実際の罪よりも、例えば、彼らの思想傾向、日常の姿勢が前川喜平氏に近かったか否かなどということで今回の断罪が成されたのでなければよいのだが。内閣人事局を作って行われ始めた官僚に対する政治優位がこんな形で運用され始めたとしたら、この日本の近い将来は真っ暗闇である。
ちなみに、財務省・佐川氏の当初の昇進は、「こんな形で運用され始めた」ことの明白な証拠の一つと思われる。そして、今回の文科省処分はこれとは正反対、信賞必罰を嘲笑うがごとき事十二分と、そんな事も訝っていたものだ。
さて、安倍長期政権によって文部行政がどんどん歪められ始めるのではないか。ちなみに、前川前次官辞任とそれ以降判明してきた出来事とからも同じことを感じていた。文科省が「忖度・財務省」などとは違って、文科次官を筆頭にモリカケ問題で内閣に抵抗していたと。そして、前川氏をやり玉に彼らに対して、内閣が報復的な行動に出ていたことも明らかだった、と。
以上について、状況証拠をもう一つ挙げてみよう。安倍政権は、歴史修正主義の名が冠されてきたことに示されるように、近現代日本史の書き替えに熱意を燃やし続けてきた。そしてこのことが、文部行政と数々の確執を起こしてきた。さらには、近年の大学など高等教育においては、「軍事研究の是非」を巡る政権と現場との確執も大詰めを迎えているやの感があった。
「文科行政」の長い歴史には、こういう教訓がある。古くは焚書坑儒、新しいものなら美濃部達吉事件や滝川事件のように、政権が右傾化するときには特に必ず、教育、学問の府と確執を起こしてきたのである。
今回の文科省辞任問題がそういうものでなければよいのだがと、大変な危惧を抱いている。