「不整脈ランナーの手記」という連載を09年11月2日から11年2月26日まで、25回にわたってここに書いてきた。最後の25回目は「ランナー断念」という題名で終わっている。そこまでの内容はこんな風だ。
不整脈を抱えても、走れることの「酸素吸収力に起因すると思われる様々な効用」が捨てがたく、医者と相談し、脈拍数を管理しながら走ってきた。不整脈はやがて慢性心房細動へと進み、即カテーテルアブレーションという手術を決断。こんな結末になるとは、この手記を書き始めた時には全く予期しないことだった。07年の西春マラソン10キロの記録54分18秒を超えてやろうと思いつつ、手記を書き始めたのだから。
10年の2月と10月にこの手術をやった。右大腿付け根を切開して、そこの静脈からカテーテルを心臓内側まで入れ、心臓内壁の余分な電気伝達経路を低温焼却するというものだ。さて、その後いろいろあったけれどまだよたよたとでも走っている。その後今日までの経過を記してみたい。まず、前回の手記最終回の様子。11年2月26日のエントリー一部を再掲する。
【 随筆 不整脈ランナーの手記(25) ランナー断念 文科系 2011年02月26日
突然のことだが、「ランナー断念」ということになった。2月初旬までは少しずつ運動量を伸ばし、時には1キロほど走ったりして、きわめて順調に来ていたが、突然こんなことが起こったのである。
16日水曜日夕刻、いつもの階段登りをやり始めて10往復ぐらいで、不整脈が突発。それもきちんと脈を取ってみると、最悪の心房細動である。ここまで順調にやれて来て、11日にも階段110往復を何の異常もなくやったばかりだったから、全く寝耳に水の出来事であって、青天の霹靂、気分は暗澹。
翌日も何の改善もないから掛り付け医に行く。すぐに「(カテーテル手術をした)大病院の救急病棟に予約を取ったから、今行ってください」とのこと。そこでは、ちょっと診察してこんな宣告。「全身麻酔で、AEDをやります。多分治ります」。このAEDで事実治った。そして、もの凄く嬉しかった。なんせ、前日の「青天の霹靂」、「暗澹」の一日後のことだったから。が、以降普通に生活しているのに、どうも怪しい。そして24日木曜日昼頃、ギターを弾いているだけなのに「期外収縮」発生。これは、僕の今までの経験上「今ちょっとした運動をやると慢性心房細動になるよ」という前兆、サインとも言える。25日金曜日、掛り付け医に行き、「今後の心臓相談」とあいなった。いろいろ質問し、改めて学び、考え、合意の上で決めてきたことが、これだけだ。
・年齢並みの心拍数に落とす。最高120、できたら100~110まで。
・突発性の期外収縮だけなら、トンプク的に薬を飲む。
・心房細動が起こったら、以前の薬を常用の上、AEDか再手術か。
・お酒は今までの通常範囲ならばよい。アルコール換算で、ビール1本程度まで。
さて、最高心拍数120までとするならもう走れない。速度にもよるが130~150は行っていたからである。僕も今年で70歳。走るのを断念して、少しでも細く長く生きる道を選ぶしか無くなったと覚悟した。走るのをほぼセーブしていて体質がどんどん変化していると感じるが、それも仕方あるまい。ランナーとして年貢の納め時なのである。(以下略) 】
その後のざっとした経過はこうだ。11~12年は、細々と散歩、ロードレーサー転がし、家の18階段往復などを続けていた。往復数の初めは50往復ほどまで、秋にはやがて100往復へと伸びていった。せめてその程度の体力はという未練から出発したものだが、やがて、心拍数で130~140程度は問題ないと気づきはじめた。そこから、散歩途中などでちょくちょく走ってみた。そのすえに12年9月23日、再度ジムに通い始めた。最初の日の手帳には「15分で1.6キロ。および15分バイク」と書いてある。つまり、時速6キロという、まー速歩き程度だ。