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書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和   文科系

2017年08月04日 06時05分36秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
河出書房新社、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上下」の書評、内容紹介を続ける。終わりということにはなっていないが、今回はこれで終わっていく積もりです。


「部族社会時代の名残がある時代には、戦争は善(悪ではなかったという程度ではない)だった」という文章を紹介した。今は防衛戦争を除いては、良くて「必要悪」になっていると、コメントで書いた。だからこそ、こう言えるのであるとさえ(これは僕が)書いた。
 防衛戦争でもないのに国民が熱狂したイラク戦争などは、太平洋戦争同様国民が欺されたから起こったというものだと。

 さて、今書いたことがこの時代の真実であるかどうか? もし真実だとすれば人間の未来は、戦争が地上から無くなるか、政権とマスコミが国民を欺し続けられるか、このどちらかだということになるが・・・。


 さて、この歴史学者の本「サピエンス全史」には、こういう歴史的知識が溢れている。暴力,戦争についてのそれを、さらに続けて紹介してみたい。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かって世界が今よりはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう』

『世界のほとんどの地域で人々は、近隣の部族が真夜中に自分たちの村を包囲して、村人を一人残らず惨殺するのではないかとおびえることなく眠りに就いている』

『生徒が教師から鞭打たれることはないし、子供たちは、親が支払いに窮したとしても、奴隷として売られる心配をする必要はない。また女性たちも、夫が妻を殴ったり、家からでないよう強要したりすることは、法律によって禁じられているのを承知している。こうした安心感が、世界各地でますます現実のものとなっている。
 暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している。現在の殺人の世界平均は、人口10万人当たり年間わずか9人で、こうした殺人の多くは、ソマリアやコロンビアのような弱小国で起こっている。中央集権化されたヨーロッパ諸国では、年間の殺人発生率は人口10万人当たり1人だ。』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない。最も明白な例はおそらく、ヨーロッパの諸帝国の崩壊だろう。歴史を振り返れば、帝国はつねに反乱を厳しく弾圧してきた。やがて末期を迎えると、落日の帝国は、全力で生き残りを図り、血みどろの戦いに陥る。・・・だが1945年以降、帝国の大半は平和的な早期撤退を選択してきた。そうした国々の崩壊過程は、比較的すみやかで、平穏で、秩序立ったものになった』
 こうしてあげられている例が、二つある。一つは大英帝国で、1945年に世界の四分の一を支配していたが、これらをほとんど平和裏に明け渡したと述べられる。もう一つの例がソ連と東欧圏諸国で、こんな表現になっている。
『これほど強大な帝国が、これほど短期間に、かつ平穏に姿を消した例は、これまで一つもない。・・・・ゴルバチョフがセルビア指導部、あるいはアルジェリアでのフランスのような行動を取っていたらどうなっていたかと考えると、背筋が寒くなる』
 この共産圏諸国の崩壊においても、もちろん例外はちゃんと見つめられている。セルビアとルーマニア政権が武力による「反乱」鎮圧を図ったと。

 こうして、どこの国でも右の方々が陥りやすい「社会ダーウィニズム」思想(無意識のそれも含めて)は、こういうものであると断定できるはずだ。世界史を知らず、今の世界でも自国(周辺)しか観ることができないという、そういう条件の下でしか生まれないものと。社会ダーウィニズムとは、こういう考え方、感じ方、思想を指している。
「動物は争うもの。人間も動物だから、争うもの。その人間の国家も同じことで、だから結局、戦争は無くならない。動物も人間も人間国家も、そういう争いに勝つべく己を進化させたもののみが生き残っていく」
 この思想が誤りであるとは、学問の常識になっている。
 今の世界各国に溢れているいわゆる「ポピュリズム」には、この社会ダーウィニズム思想、感覚を持った人々がとても多いように思われる。今のこの「ポピュリズム」隆盛は、新自由主義グローバリゼーションの産物なのだと思う。
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書評「サピエンス全史」(2) 平和な歴史的現代   文科系

2017年08月03日 10時26分55秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 河出書房新社、ユヴァル・ノア・ハラリ著、「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上下」の書評、内容紹介を続ける。いつものように、僕のエントリーで『 』が付いた言葉は全て、対象文章の引用であることを示す。


『暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している』

『これらの諸帝国の後を受けた独立国家は、戦争には驚くほど無関心だった。ごく少数の例外を除けば、世界の国々は1945年以降、征服・併合を目的として他国へ侵攻することはなくなった。こうした征服劇は、はるか昔から、政治史においては日常茶飯事だった』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない』

 最後に、こういう現代の現象を学者達はうんざりするほど多くの論文で説明してきたとして、4つの原因を挙げている。
①核兵器によって超大国間の戦争が無くなったこと。
②人的資源とか技術的ノウハウとか銀行とか、現代の富が複雑化して、戦争で得られる利益が減少したこと。
③戦争は採算が合わなくなった一方で、平和が他国からの経済的利益を生むようになったこと。
④そして最後が、グローバルな政治文化が生まれたこと。以上である。

 今回の最後に、こんな文章も上げておく意味は大きいだろう。
『2000年には、戦争で31万人が亡くなり、暴力犯罪によって52万人が命を落とした。犠牲者が1人出るたびに、一つの世界が破壊され、家庭が台無しになり、友人や親族が一生消えない傷を負う。とはいえ、巨視的な視点に立てば、この83万人という犠牲者は、2000年に死亡した5600万人のわずか1・48%を占めるにすぎない。その年に自動車事故で126万人が亡くなり、81万5000人が自殺した』

もう一つ、こんな文章もいろいろ考えさせられて、興味深いかも知れない。
『(これこれの部族は)アマゾンの密林の奥地に暮らす先住民で、軍隊も警察も監獄も持たない。人類学の研究によれば、これらの部族では男性の4分の1から半分が、財産や女性や名誉をめぐる暴力的ないさかいによって、早晩命を落とすという』

 なお、もちろん、以上これら全ての文章に、学者は学者らしく出典文献が掲げてあることは言うまでもない。


(もう1回続きます)
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書評「サピエンス全史」(1)野心的人類史  文科系

2017年08月02日 13時08分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 例によって、要約付きの書評をしていくが、なんせこの本は題名が示すとおりハードカバー2冊合計500ページを優に超えてびっしりという大部なもの。ほぼ全部読み終わったが、人類史をその通りの順を追って紹介してみても仕方ないので、この本の特徴とか、目立った章の要約とかをやっていく。その第1回目として、この本の概要と特徴。

 オクスフォードで博士号を取った40歳のイスラエル人俊秀の歴史学者が書いた世界的ベストセラー本だが、何よりも先ずこの本の野心的表題に相応しい猛烈な博識と、鋭い分析力を感じさせられた。中世史、軍事史が専門とのことだが、ネット検索にも秀でていて、古今東西の歴史書を深く読みあさってきた人と感じた。ジャレド・ダイアモンドが推薦文を書いているが、このピューリッツァー賞学者のベストセラー「銃、病原菌、鉄」や「文明崩壊」(当ブログにこの書の書評、部分要約がある。06年7月8、19、21日などに)にも匹敵する守備範囲の広い著作だとも感じさせられた。両者ともが、一般読者向けの学術書をものにして、その専門が非常な広範囲わたっている人類学者の風貌というものを成功裏に示すことができていると思う。

 まず全体が4部構成で、「認知革命」、「農業革命」、「人類の統一」、「科学革命」。このそれぞれが、4、4、5、7章と全20章の著作になっている。
「認知革命」では、ノーム・チョムスキーが現生人類の言語世界から発見した世界人類共通文法がその土台として踏まえられているのは自明だろう。そこに、多くのホモ族の中で現生人類だけが生き残り、現世界の支配者になってきた基礎を見る著作なのである。
 「農業革命」は言わずと知れた、奴隷制と世界4大文明との誕生への最強の土台になっていくものである。
 第3部「人類の統一」が、正にこの作者の真骨頂。ある帝国が先ず貨幣、次いでイデオロギー、宗教を「その全体を繋げていく」基礎としてなり立ってきたと、読者を説得していくのである。貨幣の下りは実にユニークで、中村桂子JT生命誌研究館館長がここを褒めていた。ただし、ここで使われている「虚構」という概念だが、はっきり言って誤訳だと思う。この書の中でこれほどの大事な概念をこう訳した訳者の見識が僕には疑わしい。哲学学徒の端くれである僕には、そうとしか読めなかった。
 第4部は、「新大陸発見」という500年前程からを扱っているのだが、ここで語られている思考の構造はこういうものである。近代をリードした科学研究は自立して深化したものではなく、帝国の政治的力と資源・経済とに支えられてこそ発展してきたものだ、と。

 さて、これら4部を概観してこんな表現を当てた部分が、この著作の最も短い概要、特徴なのである。
『さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか?・・・・もしそうでなければ、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?』(下巻の214ページ)


 日本近代史の偏った断片しか知らずに世界、日本の未来を語れるとするかのごとき日本右翼の方々の必読の書だと強調したい。その事は例えば、20世紀後半からの人類は特に思い知るべきと語っている、こんな言葉に示されている。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない』
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
 と語るこの書の現代部分をこそ、次回には要約してみたい。こんな自明な知識でさえ、人類数百年を見なければ分からないということなのである。げに、正しい政治論には人類史知識が不可欠かと、そういうことだろう。第4部「科学革命」全7章のなかの第18章「国家と市場経済がもたらした世界平和」という部分である。

(続く)
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書評「シリア情勢」(4)  文科系

2017年07月19日 15時09分22秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 この本は、2016年12月末に国連がイニシアを取ったシリア全土停戦にも言及して、この3月22日に第一刷発刊となったもの。イスラム国などの敗勢から、「シリア内戦の『終わりの始まり』」に触れている。この部分が今回紹介する「第6章 真の『ゲームチェンジャー』」と「おわりに」である。ついては、政権復活の下で、部外者らの誰が事態を複雑にし、どういう思惑でこの国の平和に抗ってきたのかが、鮮やかに示された箇所とも言えるのではないか。この本の結論を言えば以下のようになるだろう。

 15年9月末に始まったロシアの大々的爆撃が長年の戦乱を鎮めたのである。ロシアは、トルコがギュレン・クーデターの背後にアメリカを疑っている状況を生かしてトルコを懐柔し、合わせて欧米をも説得して、対アサド最強硬派とも言えたサウジ・カタールを疎外しつつ、その支援を受けた過激派反政府勢力にも「穏健派反政府勢力」にも、無差別に爆撃を加えて、鎮圧していった。ただし、この両派は戦闘員の流出入が激しく、団体同士も合従連衡を繰り返すなどと入り乱れて変化していて、どれがどういう性格なのかさえ、分からなくなっている。
 ロシアは、長距離大型爆撃機を派遣したし、カスピ海の潜水艦から巡航ミサイルを打ち出した。巡航ミサイル発射は、ロシアにとって史上初という出来事である。また、イランは、西部航空基地をロシアに提供し、16年4月、ファトフ軍に対して正規軍を派遣している。正規軍派遣も、共和制イラン国初の出来事だ。
 欧米諸国がこれらの攻撃に対してフリーハンドを認めたのは、「テロとの戦い」「難民問題」で、悩み抜いてきたからであると述べられている

 ロシア空爆開始の直後15年10月に、ジュネーブ三平和協議がウィーンに17か国が集まって開かれた。ここでは、イスラム国以外のアルカイダ勢力をどう処遇するかで最後まで紛糾した。結局、サウジが、支援してきたシャーム自由人イスラム運動、イスラーム軍(イスラム国ではない)等とともに、この協議内容に反対して協議そのものから脱退していく。なお、このシャーム自由人イスラム運動には、人道的救命救急団体と称してきたホワイト・ヘルメット(この団体には日本の資金も出ているとは、前々回に述べた)が行動を共にしている。
 また、これらの「解決」方向に関わっては、国連シリア問題担当特別代表デミストラの仲介も大きかった述べられてあった。

 なお、米国が支援し、トルコが長年の敵としてきたシリア内クルド人勢力は、極めて複雑な立場に置かれることになった。例えば、こんな混乱した諸状況も起こったのである。イスラム国の拠点・ラッカ陥落を目指したクルドには米国は支援し、バーブ市におけるクルドはトルコばかりではなくアメリカからも攻められたのだった。
 かくて就任直前の米大統領トランプはシリアについてこんなことを語ることになる。
「関与すべきでない外国政権の打倒に奔走することはやめる」

 今回のまとめの最後を、この本の帯にも付けられた「おわりに」の中の言葉で締めくくりたい。この言葉は、この本全体のまとめでもあり、世界の今後への教訓ともなるものだろう。
「シリア内戦における混乱を再生産しているのは、シリアにとって異質な部外者であり、シリアの人々は彼らが繰り広げるゲームの駒になりさがってしまった」


 今回でもってこの書評、要約を終わります。ここまでお読み下さった方々、有り難うございました。
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書評「シリア情勢」(3)   文科系

2017年07月18日 16時13分43秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今回は「第5章シリアの友グループの多重基準」を要約する。2011年3月にシリアにも波及した「アラブの春」が、「軍事化」、「国際問題化」を経て、「アル=カーイダ化」からさらには「テロとの戦い」へと進展していく様が描かれる。この展開は、シリア内の反政府軍勢力と、このそれぞれを支えてきた「シリアの友」諸国の離合集散、合従連衡の過程と言って良い。

 化学兵器問題によってアメリカ開戦寸前まで行った動向が英仏の消極姿勢によって回避されたのが、2013年夏。2014年6月までには、国連の努力でシリアの化学兵器も国外に撤去された。これはシリア政権の後ろに付いていたロシアがアメリカに持ちかけて実現したものであった。
 これらの動きから、シリア政権は言わば、国連、その他関係諸国によって国の代表と認められたに等しくなっていった。この時点から、米国の戦争介入を期待しつつアサド政権を認めないと言い続けたシリア国民連合は、急速に力を無くしていく。2014年1月に国連主催の下にジュネーブに40か国が参加した第2回シリア和平会議では、こんなことも起こっている。アメリカに支えられたシリア国民連合は反政府側の唯一の代表と認めさせることには成功したが、シリア政権の出席を認めないとあくまでも言い張って破れたのである。このことによってシリア国民連合の幹部半分が一時脱会するという大事件にまで発展している。

 さてこれ以降は言わば三つ巴の戦争となる。政権軍、イスラム国、後にファトフ軍となるその他無数の勢力と。ただし、イスラム国とその他勢力との間にさえいつも流出入があるし、その他勢力にもヌスラ戦線などアルカーイダ系過激派が大勢力であったから、反政府軍と言ってもいわゆる「穏健派」などとは言えない。アメリカなどが訓練までして何度も育成を繰り返した、シリア国民連合と関わりが深い自由シリア軍などはむしろ弱小勢力と言って良かった。百戦錬磨のイスラム国、アル=カーイダ系列軍に比べれば現に弱かったし、他軍への集団逃亡も絶えなかったからである。

 さて、2012年夏頃から激しくなっ戦いには、サウジ、トルコ、カタールが金も人も武器も出してきた。ただ、彼等が頑張るほどに、ロシア、イラン、レバノンのヒズブッラーの政権側支援も膨らんでいった。諸外国の経済制裁によって政権支配地域を縮小せざるを得なくなっていたから、余計にそうなって行った。が、イスラム国の台頭により、事態はさらに変化していく。

 シリアのイスラム国が他との違いをはっきりさせ始めたのは、シリア最大のアル=カーイダ・ヌスラ戦線と決裂した2013年ごろからで、アメリカはこのイラク・シャーム・イスラム国をイラク・アルカーイダの別名と見ていた。特にイラク・モスルでバクダーティーが、2014年6月にカリフ制イスラム国を建国宣言した後にはアメリカは、これを「
最大の脅威」と観て「テロとの戦い」の真っ正面に据えることになった。この8月にはイラクで、9月にはシリアで、イスラム国への米軍による爆撃が始っている。
 なお米軍によるシリア人軍事訓練キャンプは、以下のものが有名である。一つは、2013年3月の英米仏によるヨルダンキャンプ。2015年1月にはトルコで15000人の長期訓練を行っている。同じ年11月には、またヨルダンにおいて「新シリア軍」なるものの育成、編成に務めた。このようにして訓練した兵士が過激派部隊へ武器諸共に逃亡していくことが多かったとは、前にも述べたとおりである。なお、CIAが独自に行う反政府軍兵士育成キャンプも存在した。

 イスラム国の台頭の結果、サウジとトルコが手を結ぶようになる。2015年1月にサウジに新国王が生まれると、その3月には両国支援のシリア反政府軍の統一が行われて、これがファトフ軍と名付けられた。対シリアで最も強硬姿勢を取っていたカタールもこのファトフ軍を支え始めて、以降しばらくファトフ軍とイスラム国との相互支援的挟撃によって、政権軍はまたまた後退を続けて行くことになった。

(続く)
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書評 「シリア情勢」(2)  文科系   

2017年07月17日 14時39分47秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今回は「第2章『独裁政権』の素顔」、「第3章『人権』からの逸脱」、「第4章『反体制派』のスペクトラ」の要約をする。

 アサドの父ハーフィズはバース党の若手士官として政権を掌握し、長く共和制首長として君臨してきた。その次男がこれを世襲したから、シリア政体は世襲共和制と呼ばれる。アサドはイギリスで学んだ眼科医で、その妻も英国生まれの元JPモルガン銀行幹部行員である。父の時代のいわば強権安定政権に対して、37歳で世襲後は一定の政治自由化に努めた。政治犯を認めて恩赦をなし、メディア規制を緩和したなどである。
 政体を支える組織は強力で、このようなものがある。政権の蔭の金庫役「ビジネスマン」。数万人の武装部隊にも成り代わることが出来る「シャッビーア」と呼ばれる裏組織。及び、国防隊などの予備軍事組織である。つまり、血族を中心に大きな参加型独裁ともいうべき政体ということだ。

 これに対する「人権派」諸組織はシリアの友グループと呼ばれる外国勢力によって支えられていた。米英、サウジ、カタール、トルコである。彼らは、アサド政権の背後にいたイラン、ロシア、レバノン・ヒズブッラーをも、人権抑圧派として当然批判した。

 シリアの友グループのデモなどが過剰弾圧されたというのは事実である。樽爆弾やクラスター爆弾などが、解放区などにも使用されているからだ。ただし、両勢力のどちらがこれを使ったかは、判明していないものが多い。シリア人権ネットワークの発表は解放区のみの映像などであって明らかに偏向があるし、シリア人権監視団も「民間人」というのはまやかしの側面がある。
 また、アサド政権が難民を作ったというのも、おかしい。難民が急増した時期がイスラム国やヌスラ戦線などの台頭によってアルカーイダ化が進み、国民の命が脅かされる事態が進んだ時期と重なるからである。

 初め、英米はシリアに経済制裁をしようとしたが、国連ではすべてロ中の拒否権にあって有志国としてやっている。ただし、欧米は初め「政権崩壊」を楽観視していて、アルカーイダ化が進み、テロが激化して国際問題になるにつれて、アサド政権の「化学兵器使用」を強調し始め、オバマによる制裁戦争寸前の地点まで行った。が、政権側の化学兵器全廃、引き渡しがロシア・国連の努力で成功すると、戦争は遠のいた。シリア国民連合はこれに反対したが、他二つの反体制派政治団体はこれを歓迎した。
 なお、2014年のマスタードガス使用がイスラム国によってなされたことは、はっきりと分かっている。

 いわゆる「反体制派」「自由・民主派」がいかにも強大なように語るのは、実力で政権を挫いたイスラム国やヌスラ戦線の拡大、残酷な仕業を隠すやり方でもある。それこそ無数の「穏健派」武装勢力が、イスラム国やアルカーイダと、外国人も含めた戦闘員の相互流出入を絶えず繰り返していたことでもあるし。欧米などシリアの友グループは、シリアのアルカーイダなら、政権抵抗勢力として支持していたと言って良い。現に、イラクで14年6月にカリフを名乗ったバグダーティーと、シリア・イスラーム国のジャウラーニーとは、仲違いをしている。イラクとシリアのイスラム国は別組織になったとも言えるのである。米英サウジなどシリアの友グループは当初、シリアのイスラム国を「民主化闘争勢力」と扱っていたことさえとも言える。

 ホワイト・ヘルメットとよばれ、ノーベル賞候補にも上がった「中立、不偏、人道」の救助・救命・治療団体が存在した。2016年には8県にまたがる114のセンターを有し、2850人を擁する大きな組織だ。が、これが不偏というのは偽りであろう。「解放区」でしか活動していないから、イスラム国、アルカーイダ、その他諸団体のいずれからも認められてきた一方で、政府軍地区ではなにもやっていないのだから。この組織を作ったのは、英国人ジェームズ・ルムジュリアー、元NATOの諜報員であり、国連英国代表部にも在籍し、2000年代半ばからはUAEの危機管理会社に移っている。このルムジュリアーが、2013年にトルコのイスタンブールでシリア人の教練を始めたのがホワイト・ヘルメットの発足であった。この組織には、米英独日の資金が流れ込んでいる。アメリカは13年に2300万ドル、イギリスも12~15年で1500万ポンドをここに支出している。


(もう一回は、続きます)

 
 
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書評 「シリア情勢」(1)  文科系

2017年07月16日 13時44分13秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 青山弘之著「シリア情勢  終わらない人道危機」の要約第一回目である。東京外大アラビア語科と一橋大学院社会学研究科を出て、日本貿易振興会付属アジア経済研究所などを経られた、シリア研究30年という研究者である。
 この本全6章と「はじめに」「おわりに」の8つのうち、今日は「はじめに」と1章を要約する。ここはこの本の概要が最もよく分かる箇所だ。世界を騒がせているが日本政府は冷淡な難民問題の最大震源地。かつ、イラクと並ぶ21世紀の悲惨極まりない世界史的大事件。こういう地点には、現代世界史が集約されていると言うことも可能と愚考した。


 はじめに

 ダマスカスという世界最古都市の一つを有し、かつては中東随一の安定、強国を誇ったシリア。その面影は、2011年3月「アラブの春」(この作者が括弧付きで使う言葉は全て、「そう呼んでよいのか?」という疑問符付きと、ご理解頂きたい)の失敗以来すっかり消えてしまった。47万人が亡くなり、190万人が傷を負った。636万人の国内難民と、311万人の国外難民とを合わせると、全国民の46%が家を追われたことになる。
 この悲劇の根本的な原因の一つは確かに、このこと。シリア・アサド政権の初動の誤りである。過剰防衛弾圧と述べても良い。ただし、通常言われる所の「内戦」とか「自由と人権を求めた反政府派」などという通常解釈も頂けない。内乱の最大主役、イスラーム国とかヌスラ戦線とかはシリア内部の反乱などとは言えないからである。シリアへの米軍空爆は、2014年8月にイラクで起こった翌9月にシリアでも始まったものであるし、2015年9月にロシアが大々的に始めた空爆が、結局この「内乱」を終わらせる雲行きになっている。2015年はまた、シリア内乱がイスラム国による世界的テロ事件として広がった年でもある。

 シリア研究30年の筆者として、この「内戦」をば、可能な限り「冷静」、「冷淡」に記述してみたいと、述べていた。


 第1章 シリアをめぐる地政学

 シリアの「内戦」は、以下のような5段階を辿った。「民主化」「政治化」「軍事化」「国際問題化」「アル=カイーダ化」である。そのそれぞれを記述していこう。

 まず当初の「民主化」は、以下のようにハイジャックされた。
 シリアの「民主化」勢力は強い政権に対して小さかったが、2011年8月の「血のラマダーン」で1000人ほどの国民が虐殺されると、一挙に急進化した。「アラブの春」のどこでも軍の離反が起こり、シリアも例外ではなかったが、2~6万とも推計される「自由シリア軍」では、すぐに海外亡命が始まっている。以降、反政権政治勢力3派による「政治闘争化」していくのだが、これらのうちクルド民族関連を除いては通常の社会生活とはほとんど接点を持たず、海外在住でお金持ちの「ホテル革命家」など夢想家たちの団体ともいえる。
 シリア国民連合は、カタールはドーハでアメリカの金と支援により結成されたものだし、国民調整委員会はダマスカスで結成されたが、古くからのアラブ主義者、マルクス主義者などから成っていた。民主統一党だけが、5万人の人民防衛隊や女性防衛隊を持つなど社会との接点を持っているが、これはクルド民族主義政党なのである

 この政治化混乱は2011年後半から内乱に発展していき、政府支配地がどんどん縮小されていく。諸外国の猛烈な「援助」があったからだ。①欧米とサウジ、カタール、トルコなど「シリアの友グループ」は、政権を一方的に否定し、「国民を保護する」と介入したし、②ロシア、イラン、中国は、「国家主権は尊重されねばならぬ」という立場だった。③インド、ブラジル、南アフリカ(今で言うBRICS諸国の一角である)は、アサドの過剰防衛を批判はしたが、国家主権尊重という立場であった。
 世界史的に見てシリアの地政学的位置が極めて大きいから、こういう事態になったという側面がある。まず、東アラブ地区というのは、反米・反イスラエルのアラブ最前線基地であった。冷戦終結後に米の強大化から、親イラン・ロシアの性格を強めた。レバノンのヒズボラ、パレスティナ諸派とも結びついていく。ロシアは、地中海唯一の海軍基地をシリア内に有しているし、2015年以降にはラタキア県フマイミール航空基地に空軍部隊を常駐させている。イランとは、1979年王制打倒革命以降フセイン・イラクを共通の敵とした味方同士である。
 つまり、各国がせめぎ合う地点における前線基地として、「それぞれの正義」が飛び交って来た国なのである。「自由と人権」「国家主権」そうして残ったのが「テロとの戦い」。

 この混乱の中でそもそも一体、誰が「悪」なのだろう。
 アル=カーイダとは総司令部という意味だが、イスラム原理主義に基づくこの組織はアフガンにおいてビンラディンが創始し、ザワーヒリーを現指導者としている。この性格は以下の通りである。
 ① 既存社会を全否定し、イスラム化を図る。
 ② ①の前衛部隊として武装化を進め、ジハードを行う。
 ③ 目標はイスラム法に基づくカリフ制度の復興である。
 なお、著者はこの勢力は他の反政府派とは全く違うとして、こう断定している。この点は極めて興味深い。
『懐古趣味や「神意」を引き合いに出して展開される利己主義がそれを下支えしている点で異彩を放っていた』

 シリアのアル=カイダはヌスラ戦線とイスラーム国が主だが、これ以外にもいわゆる過激派は多く、また、無数の反政権派軍事勢力からこの二つへの流入流出も多いのである。なお、「自由」「人権」よりも、「イスラーム」を提唱した方が義援金や武器取得で有利という特徴が存在し続けてきたのも大きな特徴だ。
 外国人戦闘員の数は、2015年末の推計で約100カ国から3万人。多い国はこんな所である。チュニジア6000人、サウジ2500人、ロシア2400人、トルコ2100人、ヨルダン2000人などだ。なお、これらの外国人戦闘員はサウジ、カタール、トルコなどに潜入支援をされて、トルコ、ヨルダン経由などでやってくる。


(あと数回続きます。途切れ途切れになるとは思いますが、頑張ります。なんせ21世紀世界史の最大悲劇の一つですから)
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書評の予告「シリア情勢」   文科系

2017年07月13日 04時22分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 シリア情勢は、現在世界政治の焦点の一つだ。そもそも、現世界で最も多くの人々が亡くなられている出来事が進行中の国なのだし、世界を揺るがせている難民問題の最大源泉なのだし、この日本にも大きな責任の一端がある事件でもあるのだから。イラク戦争がなければ、シリア問題は間違いなく存在しなかった。そして、我が日本国はこのイラク戦争に有志国として参戦している。日本国憲法の解釈を強引にねじ曲げてまでも。

「死者47万人、難民311万人、負傷者190万人 かくも過酷な事態を生んだ複雑な地政学を読み解く」
 これが、この本の帯の言葉。「シリア情勢 終わらない人道危機、青山弘之著、岩波新書、17年3月第一刷発行」
 この本の裏帯にもこんな文章があった。
「シリア内戦における混乱を再生産しているのは、シリアにとって異質な部外者であり、シリアの人々は彼らが繰り広げるゲームの駒になりさがってしまった。(本書「おわりに」より)」

 さて、この本を一応読み終えたその第一印象は、なによりもこの二つ。日本に広がっている報道内容と何と異なった印象であることか。どこが違うのか。

① 反体制派、反政府軍ついて、日本のマスコミは「過激派」と「穏健派」という区別、峻別をしてきたと記憶するが、この区別がこんなにも難しく、この後者はもう無数の派閥がいるということ! のみならず、両派の共闘などは日常茶飯事で入り乱れており、穏健派って一体何なのだなどなどと、何が何だか分からなくなるということである。

② この無数の反体制派の後援国がまた、軍事教練などを直接行ってきたアメリカを筆頭に多数存在して、これも何が何だか分からないという状況が存在する。一例として、2014年1月22日、国連主催第二回シリア和平協議参加状況を見てみよう。実に四〇カ国が参加している。
『シリアの友グループ諸国、ロシア、中国、イラク、レバノンなど四〇カ国、そして欧州連合(EU)、アラブ連盟が参加したこの会議は、アサド政権と「反体制派」が戦闘停止と政治移行プロセス開始に向けて直接協議を行う場として用意された。
 だが、会議は開催前から難航した。その理由は、シリアの友グループが批判を続けるシリア軍の攻撃継続ではなく、「反体制派」内での主導権争いにあった』(112ページ)
 と言う具合に、「穏健な反政府軍」が諸派に入り乱れているのである。その理由は、背後に諸大国が控えていること。アメリカ、サウジ、トルコ、ロシア、イランなどなどである。それも米ロのみならず、トルコ、サウジ、イランの役割が大きいとあった。それぞれが軍隊を派遣しているも同然というように。


 なお、青山弘之というこの著者は、こういうお方である。東京外語大アラビヤ語科、一橋大学大学院社会学研究科を出られて、フランス中東研究所とかJETROアジア経済研究所とかにも在籍されていた、と。


 
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僕が政治論以外も書くわけ   文科系

2017年06月20日 11時20分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論などなど9条、政治に関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まって足かけ13年、その前半の頃しばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。


 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察しているような。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもありうるのだし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいことも、意味も、希望もあると子孫に実際に示して見せてみせろよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。

 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。


 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。
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ある書評として(1) 公の意味  文科系

2017年05月21日 07時49分29秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 書評「グローバル・ジャーナリズム」  文科系

 澤康臣という人のこの本も、いずれちゃんとした書評を書きたい。共同通信記者、そこの幹部を務めた人で、国連記者会理事とか、オクスフォード大学ジャーナリズム研究所客員研究員という経歴もある方だ。
 この本の書き出しは、去年世界を騒がせたパナマ文書の発端や分析経過。世界主要ジャーナリズムの記者400人が秘密裏にこれに携わってきたのだが、日本では共同通信と朝日新聞に声がかかり、参加してきたとのこと。

 さて、この本の中の最も大きな論点の一つがが、公共ということ。この社会通念、理解にかかわって、日本社会最大の弱点と語られてある。僕自身にとっても、以下に書いてあるように「おおやけ」が広辞苑でどう定義されてきたかの説明部分などは特に、(自分の目でも広辞苑を確かめてみたが、この通りとあって)本当におどろいた。いろんな意味で目から鱗が落ちた思いというのは、正にこういう時に使うのだろう。そういう実感だった。今回は、そんな部分一か所だけを抜粋する。
 全5章のうち第5章、「そして日本は・・・」からの抜粋である。

『 実際、民主主義の大前提として、市民は公共の一員である。英語の新聞では「通行人が発見して警察に通報した」というときの「通行人」のことを「メンバー・オブ・ザ・パブリック」と書くことがよくある。パブリックとはお上のことではない。ピープルとも関連が深い単語で、市民みんなのことだ。だから「公開」の意味もある。「パブリックに尽くすため、政府に立ち向かう」という言い方は何ら不思議ではない。パブリックの一員であるなら、社会のため一肌脱ぐこともある。となると、参加や自治に基づく民主主義の発想と関係が深い。
 一方、日本語では公共の「公」、おおやけとは「①天皇。皇后。中宮②朝廷。政府。官庁。官事・・・・」(『広辞苑』)である。市民が自分たちのことを「公」とは思いにくいわけである。「公」でないなら統治には携わるような立場でもない。その代わり、多くの人に注目されたり意見を求められたりする負担もないということになりそうだ。これでは市民はただ統治される立場である 』(P243)
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書評「サピエンス全史」(2) 現代の平和   文科系

2017年05月03日 09時19分02秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 「サピエンス全史 下巻」が見つかったので、予告した要約をする。


『暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している』

『これらの諸帝国の後を受けた独立国家は、戦争には驚くほど無関心だった。ごく少数の例外を除けば、世界の国々は1945年以降、征服・併合を目的として他国へ侵攻することはなくなった。こうした征服劇は、はるか昔から、政治史においては日常茶飯事だった』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない』

 最後に、こういう現代の現象を学者達はうんざりするほど多くの論文で説明してきたとして、4つの原因を挙げている。
①核兵器によって超大国間の戦争が無くなったこと。
②人的資源とか技術的ノウハウとか銀行とか、現代の富が複雑化して、戦争で得られる利益が減少したこと。
③戦争は採算が合わなくなった一方で、平和が他国からの経済的利益を生むようになったこと。
④そして最後が、グローバルな政治文化が生まれたこと。以上である。

 今回の最後に、こんな文章も上げておく意味は大きいだろう。
『2000年には、戦争で31万人が亡くなり、暴力犯罪によって52万人が命を落とした。犠牲者が1人出るたびに、一つの世界が破壊され、家庭が台無しになり、友人や親族が一生消えない傷を負う。とはいえ、巨視的な視点に立てば、この83万人という犠牲者は、2000年に死亡した5600万人のわずか1・48%を占めるにすぎない。その年に自動車事故で126万人が亡くなり、81万5000人が自殺した』

もう一つ、こんな文章もいろいろ考えさせられて、興味深いかも知れない。
『(これこれの部族は)アマゾンの密林の奥地に暮らす先住民で、軍隊も警察も監獄も持たない。人類学の研究によれば、これらの部族では男性の4分の1から半分が、財産や女性や名誉をめぐる暴力的ないさかいによって、早晩命を落とすという』

 なお、もちろん、以上これら全ての文章に、学者は学者らしく出典文献が掲げてあることは言うまでもない。
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書評「サピエンス全史」(1) 文科系

2017年05月01日 20時47分58秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 書評「サピエンス全史」(1)野心的人類史  文科系

 例によって、要約付きの書評をしていくが、なんせこの本は題名が示すとおりハードカバー2冊合計500ページを優に超えてびっしりという大部なもの。ほぼ全部読み終わったが、人類史をその通りの順を追って紹介してみても仕方ないので、この本の特徴とか、目立った章の要約とかをやっていく。その第1回目として、この本の概要と特徴。

 オクスフォードで博士号を取った40歳のイスラエル人俊秀の歴史学者が書いた世界的ベストセラー本だが、何よりも先ずこの本の野心的表題に相応しい猛烈な博識と、鋭い分析力を感じさせられた。中世史、軍事史が専門とのことだが、ネット検索にも秀でていて、古今東西の歴史書を深く読みあさってきた人と感じた。ジャレド・ダイアモンドが推薦文を書いているが、このピューリッツァー賞学者のベストセラー「銃、病原菌、鉄」や「文明崩壊」(当ブログにこの書の書評、部分要約がある。06年7月8、19、21日などに)にも匹敵する守備範囲の広い著作だとも感じさせられた。両者ともが、一般読者向けの学術書をものにして、その専門が非常な広範囲わたっている人類学者の風貌というものを成功裏に示すことができていると思う。

 まず全体が4部構成で、「認知革命」、「農業革命」、「人類の統一」、「科学革命」。このそれぞれが、4、4、5、7章と全20章の著作になっている。
「認知革命」では、ノーム・チョムスキーが現生人類の言語世界から発見した世界人類共通文法がその土台として踏まえられているのは自明だろう。そこに、多くのホモ族の中で現生人類だけが生き残り、現世界の支配者になってきた基礎を見る著作なのである。
 「農業革命」は言わずと知れた、奴隷制と世界4大文明との誕生への最強の土台になっていくものである。
 第3部「人類の統一」が、正にこの作者の真骨頂。ある帝国が先ず貨幣、次いでイデオロギー、宗教を「その全体を繋げていく」基礎としてなり立ってきたと、読者を説得していくのである。貨幣の下りは実にユニークで、中村桂子JT生命誌研究館館長がここを褒めていた。ただし、ここで使われている「虚構」という概念だが、はっきり言って誤訳だと思う。この書の中でこれほどの大事な概念をこう訳した訳者の見識が僕には疑わしい。哲学学徒の端くれである僕には、そうとしか読めなかった。
 第4部は、「新大陸発見」という500年前程からを扱っているのだが、ここで語られている思考の構造はこういうものである。近代をリードした科学研究は自立して深化したものではなく、帝国の政治的力と資源・経済とに支えられてこそ発展してきたものだ、と。

 さて、これら4部を概観してこんな表現を当てた部分が、この著作の最も短い概要、特徴なのである。
『さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか?・・・・もしそうでなければ、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?』(下巻の214ページ)


 日本近代史の偏った断片しか知らずに世界、日本の未来を語れるとするかのごとき日本右翼の方々の必読の書だと強調したい。その事は例えば、20世紀後半からの人類は特に思い知るべきと語っている、こんな言葉に示されている。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない』
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
 と語るこの書の現代部分をこそ、次回には要約してみたい。こんな自明な知識でさえ、人類数百年を見なければ分からないということなのである。げに、正しい政治論には人類史知識が不可欠かと、そういうことだろう。第4部「科学革命」全7章のなかの第18章「国家と市場経済がもたらした世界平和」という部分である。

(続く)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」⑤最終回  文科系

2017年03月13日 21時05分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年1月刊)の要約・書評第5回目、最終回になった。今回は、全4章「勃興するアジア」の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」と最終章「同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵」の要約である。

 東アジアの生産通商状況が世界一の地域激変ぶりを示している。80年代中葉から2000年代中葉にかけて一度、2000年代中葉から後にもう一度。前者は太平洋トライアングルから東アジア・トライアングルへ、後者は「三様の新機軸」という言葉で説明がなされている。

 太平洋トライアングルというのは、日本、東アジア、アメリカの三角関係だ。日本が東アジア(主として韓国、台湾)に資本財、生産財などを輸出してそこの物作りを活発にし、日本、アジアがそろって米国に輸出した時代である。その「日本・アズ・ナンバーワン」の時代が、世紀の終わり20年程でこう換わったと語られる。アジアの生産、消費両方において、アメリカとの関係よりもアジア域内協力・互助の関係が深まったと。最終消費地としてのアメリカの役割がカジノ資本主義・超格差社会化によって縮小して、中国、東南アジアの生産と消費が急増し、東アジア自身が「世界の工場」というだけでなく、「世界の市場」にも変容したと述べるのである。
 例えば日本の東アジアへの輸出依存度を見ると1985年、2000年、2014年にかけて17・7%、29・7%、44・5%と増えた。対して対米国の同じ依存度は、46・5%、29・1%、14・4%と急減である。
 ちなみに、世界3大経済圏(の世界貿易シェア)という見方があるが、東アジアはアメリカを中心とした北米貿易協定をとっくに抜いて、EUのそれに迫っているのである。2015年の世界貿易シェアで言えば、EU5兆3968億ドル、東アジア4兆8250億ドル、北米2兆2934億ドルとあった。


 次にさて、この東アジアが2000年代中葉以降には更にこう発展してきたと語られる。
 東南アジアの生産性向上(従って消費地としても向上したということ)と、中国が主導役に躍り出たこと、および、インド、パキスタンなどの参加である。
 この地域が世界で頭抜けて大きい工場・市場に躍り出ることになった。
 例えば、世界からの直接投資受入額で言えば2013年既に、中国・アセアンの受入額だけで2493・5億ドル、EUの受入額2462・1億ドルを上回っている。
 これらの結果リーマンショックの後には、世界10大銀行ランクもすっかり換わった。中国がトップ5行中4つを占め、日本も2つ、アメリカは1つになった。

 さて、こういう世界経済の流れを踏まえてこそ、日本のあるべき発展、外交、防衛策も見えてくる。最終章「グローバル化を生き抜く智恵」というのは、そういう意味なのだ。世界経済発展の有り様と東アジア経済の世界的隆盛とを踏まえれば、日本の広義の外交の道はこうあるしかないだろうということだ。
 最初の例として、中国への各国直接投資額が、2011年から2015年にかけてこう換わったと指摘される。増えたのが、韓国、フランス、ドイツ、EU4か国などからの投資額で、それぞれ、58・0%、58・4%、38・0%、24・4%の増加。減ったのがアメリカ(11・8%減)と、日本に至っては49・9%減なのである。

 次に、新たな外交方策として、アジア重視のいろいろが提言される。アジア各国の生産と消費との良循環を作ることを通して得られる様々なものの指摘ということだ。今のアジア各国にはインフラ充実要求もその資金もあるのに日本がこれに消極的であることの愚かさが第一。この広域インフラ投資を進めれば、お互いの潜在的膨張主義を押し留めるという抑止力が働くようになるという成果が第二。こうして、アジアが経済的に結びつくことによって不戦共同体が出来るというのが、最後の意義である

 最後に述べられるのがこのこと。日本が見本とすべきだと、日本と同じアメリカの同盟国カナダの対米外交史を示していく。アメリカと同盟関係にありつつも、中国との国交回復では米国に先行してきた。この時の元首相トルドーはアメリカのベトナム戦争に反対したし、その後のカナダもまたアメリカのシリア軍事介入に反対した。このように、カナダの対米外交は対米同盟絶対主義ではなく、国民民生重視の同盟相対主義なのだと解説される。その対中累積投資額は580億ドルとあって、カナダにとって第2位の貿易パートナーが中国なのである。アメリカ帝国の解体と日本の対中韓孤立状況を前にして、カナダのこの立場は極めて賢いものと述べられる。


 さて、この書の結びに当たるのは、こんな二つのテーマだ。英国のEU離脱とは何であり、現在のグローバル化は過去とは違うこういう積極的なものであると。
 英国のEU離脱を引き起こした『(EUの難民)問題はだから、(エマニュエル・トッドが語るような)EUではない。中東戦争の引き金を引いた米欧の軍事介入だ。それを支える米国流“民主化”政策だ」
 そして、現在のグローバル化とはもはや、米英流金融マネーゲームのそれではなく、こういうものだと語られる。
『一方で先進国の不平等を拡大させながらも、他方で先進国と途上国間の不平等を限りなく縮小させているのである』


(終わり)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」④  文科系

2017年03月05日 13時22分36秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」の要約、書評第4回目だ。
 今回要約部分各節の表題を上げておく。第3章「勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて」全3節のうち、1節「ジャカルタの夏」、2節「勃興するアジア資本主義」の二つだ。と言ってもこの部分はこの書全220頁ほどの内40頁程を占める。次の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」とともに、「アメリカ終焉」と並んで、本書のもう一方の「アジアという柱」なのである。
 ちなみに、「資本主義の終焉を超えて」というのは、近ごろこの終焉が語られるのを意識して、「どっこい、こう続いている」という意味である。「知名のエコノミスト、水野和夫教授や榊原英資氏は、・・・『資本主義の終焉』を示唆し強調する」(P137)という問題意識なのである。さて・・・・


 2014年のIMF報告によると、「新興G7」のGDPは37兆8000億ドル、いわゆるG7のそれ(34兆5000億ドル)を追い越したと言う。前者は、BRICs4国に、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えたものだ。ちなみに後者は、米日独英仏伊加である。なお、2011年には南アが加わって、BRICsはBRICSと5か国になっている。この国連合が2015年に作ったのがBRICS開発銀行、同年12月にはアジアインフラ開発銀行(AIIB)も設立された。発足時加盟国57,17年度には82か国になる見込みだ。因みに後者には日本の鳩山由紀夫氏が国際顧問に就任したとあった。
 この「南北逆転」にかかわって、2012年の日本エコノミスト誌「2050年の世界」は、有名なアンガス・マディソン(フローニンゲン大学)の資料に基づいて、「アジアの隆盛、欧米の沈滞」という予想をしている。また同じことを、近ごろ有名なユーラシア・グループ代表イアン・ブレマーの言葉を採って「Gゼロの世界」とも呼んでいる。このグループは、世界政治の危険因子研究などを通して、企業の世界戦略策定への売り込みを糧にしようとした企業と言って良い。

 次に出てくるのが先述の「資本主義の終焉」論争である。「金利生活者の安楽死」を予言したケインズを採って、利子率の長期的低下からこの終焉到来を述べてきた水野和夫氏らの論に対して、著者はこんなことを語る。先進国はゼロ金利でも、新興G7はずっと5%金利であると。ただし、中国だけが16年にやや下げたと、断りが付いている。こうして、プラント輸出なども含めて日米の金も、水とは違ってどんどん高い所へ流れていったと。なお、国際銀行の貸付金にこの逆流が起こったのは04年のこと、アメリカなどのゼロ金利政策が固定化され始めた頃であるのが面白い。また、08年のリーマン後は、アジアへのこのお金の流れが激増した。こうして、
「資本主義の終焉ではなく、資本主義の蘇生だ」(p141)

 次にアジア資本主義の勃興ぶりだが、情報革命が物作りを換えたという。資源労働集約型から知識資本集約型へ。次いで、東アジア単一経済圏という「地理の終焉」。東京・バンコック間は、ニューヨーク・ロス間と変わらないのであって、「早朝東京を発てば先方で重要な商談をやって、その日のナイトフライトで翌朝東京本社へ」という解説もあった。

 さらに、EU統合などと比較して、こんな特徴も語られる。EUは法優先の統合だったが、アジアは事実としての統合が先に進んでいると。これについては、ある製品を面、部分に分けていろんな国で作ってこれを統合するとか(モジュール化)、その単純部分は後発国に先端部分は日本になどと発注してコストをどんどん下げるとか、後発国の所得水準をも上げることに腐心しつつ一般消費市場を拡大していくとか、等などが進んでいる。この結果としての、いくつかの製品、輸出などの国際比較例も挙げてあった。

 先ず2015年の自動車生産シェア(%単位)。アジア・北米・欧州の比率は、51・2、19・8、20・2であり、アジアの内訳は、中国27・0、日本10・2だ。
 結果として例えば、インドが、新日鉄住金を2位に、中国企業を3~5位に従えた鉄鋼世界一の企業を買い取ったというニュースも、何か象徴的で面白い。ルクセンブルグの本社を置くアルセロール・ミッタル社のことである。
 
「東アジア主要産業の対世界輸出における各国シェア」という資料もあった。電気機械、一般機械、輸送機械三区分の世界輸出シェアで、1980年、2000年、2014年との推移資料でもある。三つの部門それぞれの、1980年分と2014年分とで、日中のシェアを見てみよう。電気は、日本69・7%から11・1%へ、中国は、0・7%から42・8%へ。同じく一般機械では、日本88・6から19・1と、中国1・5から51・7。輸送機械は日本が最も健闘している部分でそれでも、97・4から44・8、中国0・2から18・5。なお、この最後の輸送機械については韓国も健闘していて、0・6から20・8へと、日本の半分に迫っているとあった。


(最終回へ続く ただし、次回はちょっと間を置きます)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」③  文科系

2017年03月04日 10時27分13秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日の第一刷発行)の要約、書評第3回目だ。
 今回要約部分、各節の表題を上げておく。第1章2節「解体するアメリカ」、3節「過剰拡張する帝国」、第4節「情報革命の逆説」、第5節「失われていく覇権」。そして、第2章に入って、その1~3節で、「テロリズムという闇」、「テロリズムとは何か」、「新軍産官複合体国家へ」。

 オバマは、アメリカの荒廃に立ち向かおうとしたが、全て破れた。金融規制も医療制度改革も骨抜きにされた。その結果が、今回の大統領選挙の荒れ果てた非難中傷合戦である。2010年に企業献金の上限が撤廃されて、この選挙では70億~100億ドルが使われたという。1996年のクリントン当選時が6億ドルと言われたから、政治がどんどん凄まじく荒廃してきたということだ。

 帝国は、冷戦に勝ってすぐから、その世界版図を広げ続けてきた。1991年、湾岸戦争。1992年はバルカン・東欧紛争から、95年のボスニア紛争。01年にはアフガン戦争、03年にはイラク戦争。11年がリビア空爆で、14年がウクライナ危機、シリア戦争。
「専制国家を民主主義国家に換えて、世界の平和を作る」とされた、帝国の「デモクラティック・ピース論」は全て破綻しただけではなく、3重の国際法違反を犯し続けてきたこともあって、帝国への憎しみだけを世界に振りまいてしまった。第1の違反が「平和を作るアメリカの先制攻撃は許される」。そして、ドローンなども使った「無差別攻撃」。最後が「国連の承認無しの加盟国攻撃」である。この3様の国際法違反などから、イラク戦争開始直前に行われた中東6か国の世論調査にも、こんな結果が出ている。「イラク戦争は中東にデモクラシーを呼ぶ」を否定する人69%で、「イラク戦争はテロを多くする」が82%だ。「米国に好感」に至っては、エジプト13%、サウジ4%である。つまり、その後の自爆テロや難民の激増は、必然だったとも言えるのである。

 一体、テロとは何だろう。シカゴ大学の「テロと安全保障研究調査班」が、ある大々的な調査を行った。1980~2013年に起こった2702件のテロを対象にして、様々な要素(候補)との相関関係を出していく調査である。その結論はこうなったと紹介されていた。
『問題は占領なのだよ!』
 喧伝されるように「文明の衝突」などでテロ起こるのではなく、祖国の占領、抑圧、困窮、それらへの恨みなどが生み出した「弱者抗議の最終手段」が自爆テロなのだと。ちなみに、占領地の現状はこんなふうだ。
 バグダットの米大使館は国連本部の6倍以上の規模であり、加えてイラクには数百の米軍基地がある。と、こう報告したのは、クリントン政権下の大統領経済諮問委員会委員長、ジョセフ・スティグリッツ。基地には、3000~3500メートルの滑走路各2本、トライアスロン・コースあり、映画館やデパートまでも。米軍関係者が、要塞並みの防御壁の中で、これらを楽しんでいるとも続けている。かくて、06年の米軍海外基地建設費用は12兆円。

 次に続くのは、この帝国の終焉が3様の形を、経済力の劣化、社会力の脆弱化、外交力の衰弱を取るということだ。
 経済力は、高値の兵器に企業が走って、民生技術が劣化しているということ。
 社会力は、戦争請負会社の繁盛。米中心に世界にこれが50社以上あって、総従業員は10数万人。冷戦後の軍人の新たな職業になっていると語る。ここで問題が、新傭兵制度。高い学資、奨学金によって年1万人以上生み出されているという借金漬け大卒者が食い物になっている。学生ローンの総残高が実に144兆円とあった。自動車、カードとそれぞれのローン残高さえ、各120兆円、80兆円程なのだ。かくして、中東からの帰還兵は累計200数十万人。言われてきたように、PTSD、自殺者も多い。
 外交力の衰弱については、2例があげられている。一つは、外交即戦争ということ。この象徴が中東関連の戦費であって、今や累計9兆ドルに膨れあがった。先のスティグリッツ報告が出た当時08年には3兆ドルと報告されていたのだ。外交衰弱の2例目は、TPPの挫折。膨大な年月と人、費用を費やして追求してきたものをトランプが破棄した。

 こうして、第2章の結びはこんな表現になる。
 9・11とアフガン戦争から15年。イラク戦争から13年。戦争がアメリカをすっかり換えてしまった。もはや世界秩序維持を図るどころか、破壊するだけ、世界の憎まれっ子国なのである。
 こういう観点からこそ、トランプのいろんな「強がりの言葉」を解釈してみることも可能だろう。
『世界の警察はやめた。その分、同盟国に応分の軍拡を求めたい』
『中東7か国国民は、米国に入ってはならぬ』
『日中は保護貿易を止めろ』
『IMFの言う事など聞かぬ。むしろ脱退したい。国連からさえも・・・(と言う雰囲気を語っている)』
 これが、ここまで読んだ来た僕の、最も鮮やかな感想である。
 
(続く)
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