(紫式部/浄智寺・鎌倉)
男には独特の臭、匂がある。
知人の奥さんが言う。
『主人は50代になった途端、枕からオヤジ臭がするようになった。嫌な臭いじゃないがいくら洗っても取れないの』。
男は新芽のような匂いの幼年時代、甘酸っぱい匂いの青年時代を経て、社会の辛酸をなめながら自分の体臭と付き合っている。
男の匂いを歴史から見れば、聖徳太子の身体からは常に芳しい香りが漂っていたと言う。又源氏物語の「光源氏」を初め「薫の君」も「匂宮」も際立ってよい香りがしたとある。
鎌倉の居酒屋での話し。
ある女性は、素足に草履で足を踏みしめて凛々しく歩く雲水に男のニオイを感じたと言う。
別の女性が男とヨリを戻した話をしてくれた。
『分かれて二年も経った頃、ある席で偶然、元彼と再会した。後日食事をした。その時付き合っていた当時と同じニオイがした。その懐かしいニオイにトキメキが一瞬に蘇った』。再び付き合い始めたと言う。
その場で一緒に聞いていた他の女性がその逆の事を言い出した。
その女性も別れた彼氏と久し振りに食事をした。付き合っていた当時と同じニオイを嗅いだ途端に『この人、何にも変わっていない。別れて良かった』と思ったと言う。
匂いを判断する中枢神経は記憶中枢の隣にあるらしい。匂いで記憶が再現するのは当然なのだ。
男は事実の記憶は得意だが、女のように匂いとか情緒の記憶は不得意だ。それに臭覚の性能は女のほうがはるかに良い。とても男は女に太刀打ち出来ない。
思い出しても子供の頃。父親の側に行くと、タバコの匂い、酒の匂いに混じり合って父親のニオイがした。それは大人のニオイだった。大人になればこんなニオイになるのだと遠い未来にワクワクすると同時に不安にもなったものだ。
子供の頃に感じた父親のニオイは、今は加齢臭と呼ばれる。
洗濯機ではオヤジの洗濯物を別にする、箸で摘まんで落とすというテレビコマーシャルを見てから久しい。
家族のため一日汗して働き、やれやれと我が家に帰り『ただいま』と言うなり、擦れ違いざまに出掛ける娘から『お帰り』もなく、『オヤジ、チョウー臭い!』と言われたショックを、同席していた父親が嘆く。ついこの間まで一緒に風呂に入り『大きくなったらパパのお嫁さんになる』と無邪気に言っていただけに、娘が一瞬にして他人になってしまったと感じるのは無理もない。
加齢臭は人生の勲章、年齢を重ねれば自然に溢れ出てくる男のフェロモンと大いに威張って良い。