海側生活

「今さら」ではなく「今から」

看板の無い町

2009年12月21日 | ちょっと一言

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「歴史散策」を生活の一部にしている自分は、初冬とは言え晩秋のような風情を残す鎌倉の町を今日も歩いた。

この町には歴史上、神社仏閣等も多い。
信仰心の無い自分でも、美しいお像を前にすると、良くは判らないが、気持が解きほぐされていくような気がする時がある。
しかし、神社仏閣から一歩外に足を踏み出したとたんに、それまでの雰囲気と町並みの景観が全くチグハグで、普通の町並みに戻ってしまう。

それもその筈だ。
鎌倉は地域内に多くの歴史遺跡を持つ古都だが、室町時代中期以降に衰退したため、「都市・鎌倉」としての歴史は連続していない。江戸時代後期には地域内の寺社が多くの参詣客を集めるようになるが、明治初期でも鎌倉大仏や長谷寺を擁する長谷地区に都市的な集落が分布するだけで、現在のような鎌倉市の市街地は形成されていなかった。明治中期以降、今から120年前、現在の横須賀線が軍需用線として開通してから、保養・別荘地として、そして昭和以降に観光地として発展をした。
だから中世都市の遺構は存在しても、中世以降の都市景観というものは存在しない。

それにしても、この町には看板が多い。
今、鎌倉は「武家の古都・鎌倉」として、24件の歴史資産を世界遺産として登録を目指している。
その中心資産になるであろう鶴丘八幡宮、それに続く若宮大路の両側でも、あらゆる種類の看板が立ち並んでいる。
世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨でない事も理解出来るが、この看板類や施設への案内方法等、もう少しスマートにできないものか。
稀な歴史資産が有るが故に、行政は胡坐をかいている訳ではないだろうが、折角の歴史資産が色あせてしまう。

眼を閉じて空想してみた。
鎌倉一帯から看板や広告プレートが消え、あるのは限られた歴史資産への標識だけ。元々歴史や自然風景は優れた地域だ。
すぐに全国に、いや世界に伝わり多くの人が訪れる、一度来た事がある人でもまた訪れてくれる。

「看板の無い町」こそ最大の広告になる。