好むと好まざるとを問わず、昔聞いた歌というものは、いやでも自分の過去を思い出させるものだ
葉山の景勝地・森戸海岸の岬に森戸神社がある。境内の海側には石原裕次郎の映画『狂った果実』の歌詞が彼の胸像と共に、500m先の灯台を望むかのように設置してある。その灯台は、石原裕次郎の三周忌を記念して兄・慎太郎が基金を募って建てられたと言う通称“裕次郎灯台”だ。
そこは、ただ静かな海面が広がっているようにしか見えないが、低潮時でも水面に姿を見せない危険な暗岩があり、それまではレジャーボート等が乗り上げ、度々事故があったらしい。
石原慎太郎・裕次郎兄弟がデビューした昭和30年代から40年代にかけて、その頃のヒーロー・石原裕次郎の映画を見た少年は、映画館を出る一瞬、石原裕次郎になった。どんなに短足の少年でも数歩は、膝から下を投げ出すようにして歩くヒーローの歩き方を真似、その気になった。今思えば滑稽であった。しかし、この滑稽さの良いところは、すぐに正気に戻ることで、周辺に映画館からの流れの人々がいなくなると、チョコチョコといつもの自分の短足なりの歩き方に戻ったものだ。
そんな雰囲気を経験したことがあるであろう従弟が奥さんと共に佐賀県・唐津から、10月上旬に遊びに来る。
当時、彼は運転していた機械とともに掘削溝に転落し、両足を複雑骨折した。その後六ヶ月間入院し、完治したものの、社会人として華々しくも痛いスタートを切った。横須賀の住宅地造成現場での出来事だった。
その後、彼は地元で職に就いた。そして、ある女性と恋仲になり結婚した。奥さんは、今でも一緒にいると不思議と心が安らぐ魅力を持った方だ。
彼の思い出を連れて、裕次郎灯台と彼の『My骨折記念地』も訪ねてみよう。
灯台は今でも、3秒に1回、白色光が点滅している。
思い出を手に取るようにして、それに触れた時、改めて明日からの自分が見えることがある。
裕次郎といえば我々初老の男共のヒーローでありました。とうていなれないスタイルと生き方にあこがれたものです。その奥さんの北原三枝もかっこよかった。
兄貴の石原慎太郎の「太陽の季節」は衝撃的であった。これからの日本の未来を象徴するかのような出来事であった。
日本中エネルギーに溢れていた。
東日本大震災の悲劇を吹き飛ばすような人や出来事がこないのだろうか。
先日のなでしこジャパンと昨日のサッカー日韓戦に勝利したことは、元気が必要な日本のために良かったと思う。