海側生活

「今さら」ではなく「今から」

喪中挨拶状

2011年12月07日 | 海側生活

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何の変哲も無い一通の喪中挨拶状を受け取った。

これまでは今年も早、師走を迎えたかと一人感慨に耽けながら、静かに目を通していた。この瞬間だけは謙虚になる。
彼のお父さんは長生きしたな、彼女のお母さんは100歳になっての大往生だった等と故人を偲ぶ。兄弟姉妹など近親者を亡くすほど辛い出来事は他には無い。
仕事を通じての付き合いで、その両親や兄弟姉妹にはお会いしたことが無くても、知人の人柄からして亡くなった方を偲ぶことは出来る。ただ冥福を祈る事と残された身内の方々の自愛を祈るだけだ。

そのH,Tさんからの一通には衝撃を受けた。春以来、気にしていた事が現実だったのだ。
他の喪中挨拶状と同じように薄色の墨で縁取りがあり、文面も淡々と短く事実だけが書き並べてある。
自分は読み間違いをしていないか、一字一字をまた前後の文を何度も読み返した。どこかに説明書きがないかと狭い葉書の表と裏も繰り返し見た、何も書き加えられてはいない。

「本年三月十一日に発生した東日本大震災で、父八十二歳、母七十六歳にて永眠いたしました」

そうだ、彼の奥さんは宮城・東松島の出身だった。後で聞くと、その日の津波でご両親は長い間行方が知れなかったらしい。やっと11月になり葬儀も営まれたと言う。
幼い頃からの思い出と共に全てを失くした奥さんの心情には、「なぜ、どうして」と、答えの無い自問とやり場の無い無念さが付いて回っているだろう。

奥さんは、これからいつもとは大きく違う年の瀬と正月を家族と共に迎えるが、自分には何も出来ない。慰めの言葉なんて見つからない。
ただ自分の身体だけは留意してとしか言えない。それ以上、言おうとしたら何かが溢れ出しそうだ。そして遠くからご両親のご冥福を改めて祈りたい。

人の死は時間の経過と共に、その想いを薄める事も可能だ。しかし、この未曾有の震災はこれからを生きる人のために生かされなければならない。


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1 コメント

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        北からの喪中の便や冬茜 (宮本靖夫)
2011-12-07 12:37:16
        北からの喪中の便や冬茜
この冬は特別な冬となるでしょうね。喪ったものはどうすることもできません。悲しみを癒すものは時間だけでしょう。ただ、長くかかる人と、短くてすむ人の個人差はかなりあります。生きている者としては短い方がいいです。
悲しみの中に生きるよりも、喜びや楽しみの中に身をおくことができるなら早くそうしたいものです。こんなときこそ落合さんの励ましの言葉がほしいのではないですか。
海外の友達から、慰めと励ましの言葉をもらった時は嬉しかったです。

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