(妙法寺/鎌倉)
政治家も大変だ。
アメリカ大統領選挙の報道を聞きながら思わず考えた。
人の眼があり、重箱の隅をつつく能力に長けた人が多く、又それらは一瞬にして世界中に拡散する現代では、ちょっとした失敗なども頭を掻きながら「ゴメン」では済まない社会である。
勿論日本でも、政治家だけではない。経営者や教育者、更にスポーツマンや芸能人も同じである。少しでも有名になり、目立つ立場に立った人は、たちまち過去から現在まで公私の区別なく解体される。それこそ履歴の失点になりそうな事柄は、癌細胞を見つけるCTやMRIのように機能させて発見し、「アンタの失敗」として社会に告知し糾弾される。
法を破るのは良いか悪いかと言うと、悪いに決まっている。しかし法にも軽重があり、裁きの場で死刑から説論まで差がつけられる。しかし社会的な告知と糾弾は死刑も説論も同じで、下手をすると抹殺されてしまっている。
だから今後、政治家を志したり、ヒーローやヒロインを夢見ている人は、これまでの過去を消すか、無菌状態で生きるしか方法がない。
自分以外の人には完璧を求め、すこしでも欠点や失敗が見つかると袋叩きにする社会って何だろう。
他人に対しては異常なまでの潔癖主義、暴力的なまでの完璧主義で裁いている。現代の我が国では失敗は引き算ではなく、マイナスの掛け算であるから、持ち点がどんなに多い人でも、たちまちマイナス点になってしまう。敗者復活不能のシステムが働いている。これが常識として罷り通ってしまうと、リーダーもヒーローやヒロインも誕生しなくなる。
つまり、自動車の免許取得後、一度もハンドルを持ったことが無い人が、無事故無違反で最優秀ドライバーとして表彰されるようなもので、何もしなかった人だけが褒められるような社会になってしまう。
だからと言って、この最優秀ドライバーの自動車に乗る気にはならない。
秋天へ温き木目の擬宝珠かな
普通、擬宝珠は金属か石でできているのが多いですが、木製は珍しいですね。ブログのように折角の人材を失っていることが多いですね。
マスコミやら民衆の声が大き過ぎるのですね。だから、大衆におもねるスケールの小さな人しか世に出られなくなってしまうのですね。
ブログ氏の考え方を指示します。