「ジェームスに会いたかったぁ~,去年から楽しみにしていたのに~」
「----ビデオを借りなっ!」
と、決して小さくない声が閑静な住宅街に響いている。
鎌倉にも古民家や遺したい建築物も少なくない。北風が冷たい日の午後、雪ノ下の洋風建築物に加え、周囲の和風建築物や門、塀などの工作物を撮っていた時、斜め前の平屋の和風建築・「川喜多映画記念館」から、その声は聞こえてきた。
何事かと興味を引かれ窓口に行ってみると、「本日上映-エデンの東」とある。隣のポスターには「本日の映画鑑賞席は売り切れました」と張り紙がある。
時ならぬ反響した声の原因はこの張り紙だった。窓口から離れ肩を落とし、建物から立ち去る60歳代のおネエさん達の後ろ姿は気の毒なぐらい肩が落ちていた。
一日に一回しか上映しないとは言え、50席もあるここが満席になるなんて不思議な現象だなと考えていたら、次にやって来た同世代の三人連れのおネエさん達が
「えっ、売り切れ!」
「予約しておけば良かった---」、後は全員が声になっていない。
鑑賞にやって来るのは、年齢が似たようなおネエさん達ばかり、夫婦連れ等は皆無だ。
ジェームス・ディーンは、24歳の若さで彗星のようにこの世を去り、1950年代アメリカの白人の若者たちにとって、マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーと共に青春の象徴であった、と自分には認識していた。
日本人でも当時の女性は印象の捉え方や、思い出が自分とは根本的に違うらしい。
今改めて写真などを見ると、彼のハンサムでニヒルな中の可愛さは頷ける。しかもドラマチィックで悲劇的な死などが永遠のアイドルとして存在し、現在でも彼のカレンダーは売れているという。
誰かが言っていた。
「女性は恋をしていない状態で映画を観たり音楽を聴いていて、恋の感情を引き出される事がある。それは特定の男性の顔の浮かび上がらない恋である」
歳を重ね、女性の心理は解る積りになっていたが、やはり謎だらけだ。
男が女の、女が男の悪口を言う時、
男「あいつは・・・」 女「男って・・・」だそうである。
つまり、男は具象的、女は抽象的な捉え方をするそうです。抽象的でいる間は戦いにはならない。しかし、何も解決しない。でも、平和。男は反対。
若いときは何でも具体的に、挑戦的が好きでしたが、歳をとるとあまり刺激の強い生き方よりも、少々不満でも平和的解決を選ぶようになりました。明らかに老化ですが、それが身を守る術でもあると,心と身体がサインを出しているのでしょう。
ボケ準備でしょうかね。