海側生活

「今さら」ではなく「今から」

和食って

2016年05月07日 | 感じるまま

(東慶寺/鎌倉)
日本ほど毎日の食事で様々な料理を食べている国は無いだろう。

中国に住んで居れば毎日が中華料理だし、イタリアに住めば毎日がイタリアンだ。
我々は、朝は味噌汁に納豆で、昼はパスタで、夕は酢豚なんて正に日常茶飯だ。
なんでも食べられる毎日は幸せなようで日本人らしさが失われているのかもしれない。今の日本人に食の定型なんてない。取り敢えず美味ければ良いのだ。
和食の定番の寿司、天ぷら、ウナギや蕎麦は江戸後期に完成したらしい。案外歴史は新しいメニューで当時は斬新で奇抜な料理だった。
このどれもが屋台から生まれたから、武士や上流階級の口には入らなかった。職人衆や小僧どんが、立ったまま小腹ふさぎのためにつまむ食べ物だった。婦女子もなかなか手を出し難かったし、「買い食い」をはしたないとする風習の上方でも広まらなかった。単身者の多い江戸でこそ流行ったとある。

ところが現代はそれらが和食を代表する料理となった。海外からのお客様には寿司や天ぷらを真っ先に薦めるのだから、時代も変われば変わるものだ。
鎌倉・逗子・葉山でも現在、話題となる和の名店は、洋の素材を巧みに生かしているのが評判になっている。バターや生クリームは当たり前でフォアグラ、キャビア、トリュフ、オリーブオイル、バルサミコ酢、豆板醤、ズッキーニ、ポルチーニとなんでも和食にしてしまっている。

和食って何だろう。
「だし」と言う人もいれば抽象的に「こころ」と言う人もいる。
醤油味だと和食らしい感じもするけど、醤油が普及したのも江戸中期以降でそんなに歴史がある調味料ではない。我々の先祖がずっと食べてきた伝統的な和食とは、塩辛いタクアンや梅干しなどの副食で、豆類や雑穀、たまに小魚と貝を並べた、ひたすらシンプルな食卓だった。

僅か100年余りで日本人の食が、ここまで変わり大丈夫なのだろうか。
生物の進化にはとてつもない長い時間がかかるのに。習俗はアッと言う間に変わり失われる。
美味しいだけでは多分ダメだ。

「飛魚だし」の懐かしくホッとする味噌汁が欲しい。