(東慶寺にて)
マティニーと言う飲み物がある。
ジンとベルモットで作るのだが、通ほど、このベルモットの量にこだわる。少なければ少ないほどドライで粋と言うわけだ。小説『007』のジェームス・ボンドもそんな一人で、超ドライのマティニーが好みだった。しかもシェイクするのではなく、マドラーでかき混ぜるだけのものを愛飲した。
たまに立ち寄る赤坂のバーでは、頭髪に白いものが見え始めたバーテンダーが、大きめの氷をベルモットで洗い、そのベルモットの香りのする氷をシェイカーに入れ、ジンを注ぎ入れ素早くシェイクする。キリッと冷えたものをグラスに注ぐ。その手際と素早さには、いつ観ても惚れ惚れしてしまう。
マティニーに入れるベルモットの分量は女の人が付ける香水のようなものではないかと思う。
カウンターに他の客がいないのを幸いにバーテンダーが問いに答える。「ベルモットの分量が多くても少なくても他人には迷惑は掛けませんが、香水の付け過ぎは店でもはた迷惑になるから罪が重いです。耳の後ろや手首などの脈打っている身体中に全部点々と付けたら、それは付け過ぎでしょう。香水も少なければ少ないほど粋ではないでしょうか」
やはり、香水はふとした拍子やすれ違いざまに微かに香るものではないか。その儚げな残り香こそ異性を惹きつけ優雅ではないだろうか。
男は良く香水臭いと言う言い方をする。臭いと言うのは嫌悪を表している。すれ違う5メートルも手前から匂って来るほど付ける人は何か特別な訳があるのだろうか。すれ違いざまに思わずクシャミをしてしまいそうになる。いずれにしても香水臭いと言われるのは女の恥ではないか。
香水と言うのは臭いのではなく、香り良く匂うものでなければならない。
香水をつける時、赤坂のバーテンダーやジェームス・ボンドのようにベルモットのこだわりを思い出せば、粋な香水の達人になれるかもしれない。