海側生活

「今さら」ではなく「今から」

意地悪ジイさん

2015年05月17日 | 感じるまま

                           明月院/鎌倉にて
自分は何と愛想の悪い性格かと、最近特に感じることが多くなった。

駅近くのカフェでコーヒーでも飲もうと立ち寄ると、カウンター越しに若いお嬢さん、又は昔は若かっただろうおネエさんに例外なしにニッコリと笑顔で「コンニチハ~」と迎えられる。何故だか「コンニチワ~」の語尾の「ワ~」を、まるで歌うかのように引っ張っての発声。こんな時は決まってムッツリと返事はしないでサッサと注文をする。
たまにいつもとは違うモノを注文したいなと正面の壁のメニューを眺めていると、そのお嬢さんは先ほどまでの笑顔は消しジッとこちらを睨んでいる。普通ならば「お食事ですか?」とか「何かお困りですか?」と聞いてくれても良さそうにと思いつつ、その沈黙に耐え切れず、「コーヒー」と言ってしまう。受け取ったカップを手にして、目指す席に向かおうと、カウンターに背を向けた途端、次の客に対しての「コンニチワ~」が聞こえてくる。

世間では、人間らしい会話が出来なくなった分、小うるさいほどの会話マニュアルが増えすぎたのか。

先日も病院で採血の際、「手は楽にしていて下さいネ」とか「少しチクッとしますョ」など呟くような言葉が耳に入ってきた。血液検査のために採血台に向き合った以上、ほとんどの人はされることは分かっている。丁寧なのではない、相手をバカと想定しているのか。また一応この年まで文明社会に生きてきたのだ。注射ぐらい飽きるほどしてきた。「分かっている」と言いたい言葉を飲み込んでムスッとしている。

自分は誰とでもいつでも普通の会話をすることは大好きだ。しかし会話がマニュアル化されたら、新鮮さも個性も失われ煩いばかりだ。
しかし多くの若い人は自分の言葉で話すことが出来ない。架空体験に過ぎないITと繋がって居るだけで、生きた濃厚な歴史が自分に無い上、本も読まないから、見知らぬ人と即興で自由な会話を楽しむことが出来ない。

出来合いの言葉の氾濫には気力まで奪われそうだ。

意地悪バアさんならぬ意地悪ジイさんになったのかな?