(ハクモクレン/長谷寺・鎌倉)
いよいよ花の季節である。
週末の朝、近くのカフェの外の席でコーヒーを味わいながら季節の移ろいを肌が感じている。海から吹き寄せる風が、まだヒンヤリとした冷たさが頬を撫でている、しかし陽の光はずいぶんと優しくなった。
梅や満作が散り、やがて山茱萸(さんしゅゆ)や辛夷(こぶし)が咲き、さらに雪柳や木蓮が咲けばすぐに、めくるめく桜の洪水が押し寄せる。同時にPM2.5の飛来が気掛かりだ、また花粉の飛散には、罹っている人にはつらい日々が続く
日頃、花を愛でるココロの無い人でも、さすがにこの時期ばかりは気もそぞろになる。桜と言う絶世の美女に誰もがココロを奪われる。古来わが国では、花と言えば桜の意であったらしい。
満開の桜は一人で見るのが良い。訪れる人もいないささやかな木でも良いから、その根元に座り、散りかかる花にまみれるのである。じっと、そうしていると、人生には他に何も要らないと言う気分になる。
ココロが満ち足りる。つまり幸福である。自身の入院や友人との永久の別れ、あるいは大切なものを捨てたり壊したりと、忙しい一年であったけれども、桜はわずか数日の花の命で人のココロを満たしてくれる。
『ねがわくば 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ』
西行法師は幸福な人である。