海側生活

「今さら」ではなく「今から」

友が逝った

2014年02月10日 | 最大の財産

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                                                (侘助/妙本寺・鎌倉)

『うちの人、今朝、心臓が止まりました』
節分の豆を、今年はどんな風に楽しもうかと考えていた昼前に、突然その電話は鳴った。

告別式に向かう車窓からの八ヶ岳連峰は冠雪したそれぞれの頂きを、曇り空に白く大きく聳えさせていた。気持ちが落ち着かない。
今までも、友人の家族の誰かが亡くなると、その家にお悔やみに行くのが急に気重になってしまっていた。思っていることが言えないからだ。儀礼的に行く場合は割合に気が楽だが、遺族の人の気持ちを考えると何一つ言葉にならない。お悔やみの言葉は、人の口から出ると、言葉だけが浮いて空々しくなるものだ。

D,Tさんはまさに無くてはならない友だった。家族ぐるみでお付き合いさせて頂き、ブライベートでも様々な時間を共有した。前職で同じ課に配属になった、まだ駆け出しの頃から、今日までずいぶん時が流れた。高度成長期に彼は仙台、横浜、福岡、大阪などに栄転を重ねた。自分が大阪、名古屋、グアム、オートラリア、横浜などに移動し、お互いに責任ある立場になってからは同じ職場になることは無かった。いつも遠く離れていた。しかし、いつも何処で会っていた。

彼は海のように懐が深く大きな人だった。見識が有り、モノを見る目が確かだった。何事に付け自分は惹かれていた。

弔辞を述べていた時、思い出が蘇り嗚咽が込み上げそうになり弱った。話す間を十分にとり、何とか声が再び出てきた。
『逝ってしまうのは、チョット早過ぎるよ!』、『ユックリ休んで下さい』で閉めた。

法要の後、90歳になると言う道士から「諸行無常」の話を聞いた。一瞬の間にも全ては変化すると。言葉では解っている。でも友の死は辛い。

老いを見つめると言う事は、考えようによっては、残り少なくなった時間を見つめると言う事か!