(瓶の井/明月院・鎌倉)
晩秋の鎌倉では、目に飛び込んで来るような大きな花はない。神社や寺にも何も無い。山々が紅葉で彩られるまで、もう暫くは、雑踏でも目を引く七五三の晴れ着の鮮やかな色ぐらいだ。
しかし目を下に落とすと、名も知らぬ草花が路地や庭の隅に、小さな草花がまるで何かに遠慮でもしているかのようにヒッソリと色とりどりに咲いている。
思い出しても幼い頃から、動物には親しんでも植物には殆ど興味を持てなかった。花をちぎって友達の顔に命中させたり、葉の先っちょで前の子の耳や首をくすぐったりがせいぜいであって、植物の名前など殆ど知らなかった。
北鎌倉から鎌倉方面に散策していた時、ある民家の庭先でピンクペッパーのような赤い実が固まって無数に実っているのを見つけた。小さなピンクの花もまだ残っている。背の高さは30cmぐらい。水遣りをしていた家人に聞いた。『この雑草の名前は何ですか』。家人は水遣りの手を止める事もなく、静かな口調で『雑草って、貴方が名前を知らないからでしょう---』。確かに聞き方が失礼だった。詫びて改めて聞き直した。『この植物の名前は何と言うのですか』。手を止め家人は丁寧に教えて呉れた。
三時草(サンジソウ)。昼過ぎから午後三時頃咲き、夕方まで花を開くと。
また、その日、宝戒寺(ほうかいじ)に寄った。
夏に来た時、教わっていた「子が患わ無い」と書く無患子(むくろじ)を見たくて。その時、高さ15mぐらいの樹の枝先には淡緑色の小さな花を無数に円錐状につけていた。秋には果実がなり、球形で黄褐色に熟し、やがて黒くなると聞いていた。古くから羽子板の羽根の重みや数珠にも使われるなど縁起物とされているとも。
境内に入り、無患子の樹には子供ずれの先客があった。
夏には気が付かなかったが、樹の根元に赤い前掛けをしたお地蔵様が置かれている。それに向かい手を合わせている。母親と共に屈んでお参りしている晴れ着姿の三歳の女の子は、片手に千歳飴を提げている。晴れ着の袖が地に着いている。
宝戒寺には神社はない。どこかの神社でお参りした後、無患子が有るここまでわざわざ娘のために、やって来たに違いない。
母娘と擦れ違う時に見た女の子の白く化粧した顔と赤い口紅が鮮やかだった。
樹の側に行ったら、実が樹の根元に無数に落ちていた。実の皮を剥いたら黒くて硬い実が一個出てきた。
草花の美しさ、その営みを面白く思うためには歳月が要る。齢を重ね、人生の経験を積んで、やっと目覚めるものかも知れない。
植物を楽しむためには、まだまだ知的トレーニングも必要だ。