海側生活

「今さら」ではなく「今から」

答えの無い「なぜ」

2011年03月16日 | 感じるまま

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その時、地震発生時には自分は「鎌倉の歴史と伝承」の教室に座り講義を聴いていた。
今まで幾度と無く地震は体感しているが、身体に感じる揺れ方や時間から判断し、初めての事だったが自分は「外に出ましょう」と大きな声で言って建物の外に出た。

余震が続いている。停電した。交通信号も消えた。電車もバスも止まった。津波警報も出た。小町通りのオミヤゲ店のカウンターに置かれたラジオから絶え間なくニュースが流れている。ケイタイに地震情報が飛び込んできたのを知る。しかしケイタイ通話は通じない。メールはやや時間が掛かっているが通じた。

歩いて住まいまで帰ったが、途中浜で漁師に聞くと、50cmぐらい水位が上がったと言う。明るい内に夜の準備をした。電気が止まるとエレベーターも動かない、灯りが無い、エアコンが使えない、水も出ない、トイレの水も流せない、風呂も沸かせないと当然の事が改めて分かる。
被害状況が明らかになるにつれ、自分の多少の不便さの感覚はどこかに吹き飛んでしまった。

今でも40万人を超すと言う避難者に思いを馳せるとき、その心労はいかばかりかと落ち着かない、胸が痛くなる、他の事が手につかない。
この大事な時に、今生きている自分は何も手助けが出来ない。義援金を送る位の事しか出来ないのか。

地震列島国に住む日本人は皆ある程度は覚悟をして日常生活をしていると思うが、「なぜ」自分の町が、自分の家族がと想像を超えた事態に遭遇した時、頭をよぎるのは「なぜ」と言う言葉だろう。被災者の怒りや疑念は当然だが、答えの無い「なぜ」もあるのが辛い。 

しかし原子力発電の事故を除いて-?-。

今、自分には何が出来るのか、もう一度考えてみたい。