海側生活

「今さら」ではなく「今から」

共に26歳

2010年05月06日 | 感じるまま

Y_012

散策をしていると、歴史上の一つの出来事が、別の出来事や自分の記憶と不意に結び付く時がある。

自分は幼い頃から、日本の中世の軍記物語が好きだった。源義経と弁慶の活躍に胸が躍り、彼等の落のびる描写には心動かされ、屋島・壇ノ浦の戦いには一喜一憂し、また耳なし芳一の話には恐怖を感じなど、今思えば中世歴史の流れの断片しか記憶に無かった。知識としても不十分だった。今、「そうだったのか!」と全体の流れが理解でき、別の興味が湧いてくる。


この漁港のはずれに八大龍王神社がある。その由来書きには、漁業に携わるものの守護神で、主として水中に住み、雨や雲を起こす神通力を持つと信じられ、法華経では釈迦が教えを説いたときに、その説法を聞いた八尊の龍王の名が八大龍王と称されている。また、小坪の漁師にも厚い信仰があり現在に伝えられている、とある。

八大龍王と言えば、鎌倉の三代将軍・源実朝が詠んだ歌が残っている。
  時により過ぎれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまえ

この時、実朝は20歳。父・源頼朝を6歳の時亡くし、12歳で兄である二代将軍・頼家を亡くして、将軍となり朝廷との関係や幕府内の勢力争い等の陰謀、術策の渦巻く時代を生きた。そして建保7年(1219年)右大臣の地位を得、そのお礼のために八幡宮参詣の帰途、今年三月に倒れた大銀杏に隠れていた甥の公暁(兄・頼家の子)に襲われ若い命を落とした。満26歳だった。
子は無く、源氏将軍は三代で絶えた。


その21年前、平家の嫡流・六代御前(平維盛の子・平清盛の曾孫)が斬首され、その墓は樹齢数百年になるであろう、大人が三人でも手を回しきれないほどの欅の木二本に守られているかのように、逗子湾に注ぐ田越川のたもとにヒッソリと建っている。
六代御前は、平氏滅亡後捕らえられ、文覚上人の助命嘆願もあり処刑を免れ、その後、妙覚と号し僧としての修行に旅に出た。
そして文覚上人の三左衛門事件で再度捕らえられ、鎌倉に送られ処刑された。満26歳だった。
子は無く、平家は途絶えた。


改めて「平家物語」冒頭の『祇園精舎の鐘の声・・・・・・・、おごれる人も久しからず、唯春の夢の如し』が、口をついて出る。

源氏も平家もその嫡流が途絶えたのは共に満26歳だった。
自分の記憶や想像の中の源平の戦いも、やっと終わりを告げた。

それでも時だけは、正確に過ぎ去っていく。