海側生活

「今さら」ではなく「今から」

漁師誕生

2011年03月04日 | 浜の移ろい

K

K君は笑顔を浮かべながら沖の漁場から港の浜に戻ってきた。どうやら豊漁だったらしい雰囲気を感じる。
奥さんが迎える。傍らには乳母車の中で赤ちゃんが眠っている。この二月に生まれたばかりの男の子だ。

彼はこの浜のベテラン漁師に二年前に弟子入りし、春夏秋冬それぞれの漁を手伝いながら必死になって網漁や覗突漁を教わり、身をもって覚えた。その間無給だった。そして今独り立ちした。
彼はそれまで渋谷・原宿で服飾の企画・デザインを十年以上も行っていた。ある時、何となく知人に同行してマリンスポーツ店に行った際、自分の感性にマッチするデザインのサーフボードが目に留まり思わず買ってしまった。それ以来、波を求めて方々に出掛けた。気に入ったのが逗子の波だった。
サーフィンをやるためになるべく海に近い所をと希望して引っ越してきた。気に入ったそのアパートは漁師町にあった。
暫くは原宿まで通勤していたが、その間に地元の女性と知り合い結婚した。そして彼は転職することを決意した。
独立の時、彼は仕事のために小さな船を調達した。船体の色も変えた、片側はグレイでもう片方は黒、さすが元ファッションデザイナー
だ。この港には30艘があるがこんな色合いの舟は見たことが無い。また自分の身なりもこざっぱりと黒と灰色に統一している。
舟の名前もそれぞれの父親の頭文字を一文字づつ貰って命名した。夫々の両親は漁業には全く関係ない人達だ。

現代は様々な働き方がある。社員、契約社員、派遣、パート、アルバイトなど、また農業分野ではボラバイトと呼ばれる働き方も有る。
サーフィン好きが高じて、湘南のサーフショップに勤めたり、或いは自分で飲食店等を開設した人は多いが、漁師に転職した人には会ったことがない。

先輩漁師達とは同じ海・地域で獲る魚や漁法も同じ、彼にとって互いに競争相手でも有る。
そして新米と言えど、漁をするにもまた販売面でも様々な組合の制約や、浜独自の慣習や決め事もある。それらと葛藤も続くだろう。

「まだ新米ですから一生懸命です」と屈託が無いが、あと二、三年もすれば「パパ」と息子が波打ち際まで駆け寄り、パパの沖からの帰りを出迎える光景を目にすることが出来る事だろう。その時まで、渋谷・原宿での全ての経験と人脈を、どんな形で自分の漁師としての業と結び付けていけるか。
彼がサーフィンのように、今後漁師として波に乗れるかどうかは、従来とは違った販路開拓次第だ。

“好きなことがしたい”という一生懸命な生き方に拍手をして激励したい。


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1 コメント

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     生き方を変へて漕ぎ出す春の海 (宮本靖夫)
2011-03-08 10:52:51
     生き方を変へて漕ぎ出す春の海
若い漁師さんへの挨拶句です。頑張り続けてほしいですね。経済的には決して恵まれることのない職種ですから奥さんや子供の協力が必要と思います。でも、街中の家族ではとうてい得られない味わいや喜びがまっていることと思います。こういう人を大事にしたいですね。彼はそのことを十分承知して、人生の舵を大きく切ったのでしょうね。
彼とその家族に乾杯。
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