海側生活

「今さら」ではなく「今から」

三暑四涼

2018年09月19日 | 季節は巡る

    (紫式部/大巧寺)
朝夕の涼しさにホッとして、やっと猛暑から解放かと気を緩めているとまた暑さがぶり返してくる。
残暑は夏の思い出探しの時、という何かのコマーシャルコピーに出会っても、それどころではない行動が鈍る暑さだった。

でも、この涼しくなる季節だと、過ぎし日に想いを馳せる。
酒場で飲んでいると、十時ころまでは時間は遅々として進まない。時計を見てまだこんな時間かと思う、夜は長い。十時ころまでは酒場では時間はユックリ流れる。隣り合った人も同じ感じを持っていた。ところが十時を過ぎると十二時までは、アッという間である。乗り物の終電時間である。なぜ時間が変身したようになるのかは分かっている。十時頃になると、酔いも適当に回り、酒場のママがまるで天女のように見えてくる。カラオケも自分の声がまるでプロが歌っているのかと上手に聞こえるような錯覚をする。しかもカウンターの左右の客が無二の親友のように思われてくるからに違いない。そうなると家がなんだ、女房子供がなんだ、男は仕事第一だ、付き合いが大事だと酔っ払う事を正当化する。終電に間に合わなくても良い、タクシーで帰る。

秋の夜長は酒がシミジミ美味い。蕎麦屋で飲む熱燗、イタリア料理屋で飲むワイン、酒場で飲むウイスキー、縄のれんで飲む焼酎などどれも良い。
しかし今年もあと三か月余りしかないことを肌でヒシヒシと感じている。日一日が加速してゆくように早く過ぎるのを意識してしまう。
何が秋の夜長か。そうではあるが、客が皆去ってしまった酒場で、一人ウイスキーの水割りをチビチビ飲んでいると、シミジミとした気分になる。少年老いやすく、人生は儚いなどと当たり前のことが頭を過る。

さっきまで天女みたいだったマダムも疲れた中年女に戻っている。
幸いにも急げばまだ終電に間に合う。酒場を出ると駅に急ぐ人がゾロゾロ歩いている。ふと見上げれば雲間から半月が何だか寂しげに顔を出している。街中なのにコオロギや鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。

秋、九月。一年で一番好きな月だ。
ノンアルコールしか飲めない今は、酒場には足が自然に遠ざかってしまった。

今日はまた暑い。春先に使われることが多い言葉の三寒四温ならぬ、今を、三暑四涼とでも名付けよう。

稲妻

2018年09月08日 | 思い出した

                    (江の島を望む)
久し振りに稲妻を見た。

午後三時過ぎなのに空には黒い雲が急に辺りを覆い日が暮れたようになった。突然雨が降り始めた。パチッパチッとガラス窓を叩きつけている。滅多に無い強い雨足である。つい先ほどまで見えていた江の島も雨の中に隠れてしまった。間もなく雷の音が聞こえてきた。それがどんどん近づいて来る。こんな大きな雷鳴も久し振りに聞く。江の島方向の黒い雲が一瞬白くなり、稲妻が走った。白く光る線が天上から伸びて来て、途中で右に折れ、すぐに又下降していく。2~3秒後、その方角からバリバリッと強い衝撃音が響いてきた。後で聞いたところでは、七里ヶ浜の小さなビルに雷が落ちたという。やがて雨は小降りになり、黒い雲も去り、夕方前には上がった。

昔の夕立が戻ってきたような気がした。稲妻をちゃんと見たのも数十年ぶりだった。
少年の頃、教室の窓から大雨の中で稲妻が白く光って走るのを見た。
その瞬間は物理の授業中だった。先生は小太りで、ボサボサの長い頭髪に隠れるような黒縁の大きな眼鏡を掛け、いつも俯き加減に自分の机の上の本だけを見て、ボソボソと口ごもる様に話し、よく聞き取れなかった。授業の途中からは自然に居眠りの時間になったのは自分だけではなかった。
そんな時、皆が飛び上がるように俯せていた机から顔を上げ、先生を見て、それから窓の外を見たのは自然の成行きだった。木造教室の窓ガラスはガタ、ガチャと響き放っしだ。雷の轟音と共に矢継ぎ早に稲妻が右に左に走り、時々バリバリッドーンと、学校から近い所に雷が複数落ちている音がする。凄まじい轟音に慄き、両手で耳を塞ぎ机にもたれて座り込んでいる者も多くいた。

猛暑で家に籠る日が少なくなかったこの夏は、クーラーの効いた部屋で少年の頃を懐かしんだ。こんな夏は初めて経験した。

今は、江の島を覆い被さるように低い黒い雲が漂っている。その雲の上の空は青く遠く、そして高く見える。
秋が忍び寄ってきた。

中年女の恋愛

2018年08月28日 | 海側生活


(由比ヶ浜/鎌倉)

「それでも中年女は恋をする」
前回の知人に続いてその奥さんも、この会話に入ってきた。言葉にするよりもキーボードを叩きメールの方が言いたい事は表現しやすいと注釈があった。
猛烈残暑が続いた日々に、熱い話をまとめてみた。

人生100年時代と言われ始めて久しい。
40代後半にはおおよそ子育ても終わって、さてこれまで過ぎ去った同じ年月をどう生きるかという問題を、特に女性は日々考えている。昔は世代交代が行われたこの年齢で寿命も尽き迷うことも無かったのにと、今や豊富な選択肢と可能性の前で立ち往生しているのは皆同じだろう。

何をどう選んでも良いけど、一つだけ言えば、男であり女であるという性を捨てるには早すぎるし不自然だと言う事。そして性を持った男であり女であり続ければ当然ながら恋愛が発生する。
しかし結婚前の恋愛と最も大きな違いは肉体だ。感情の方は若さを失っていないつもりでも、身体の方は客観的にみて老化が始まっている。まずこの落差に悩まされる。肉体と感情の不釣り合いをどうにか解決して、平穏を得たいと願うものだ。つまり肉体を改造したり装ったりして、若返りを図る一方で、感情の方もこの肉体に相応のものに抑え込もうとする。恋する相手がうんと若かったりするとこの悩みはさらに大きくなる。

私は夫(妻)と再恋愛をしていますというならこんなハッピーな事はないけれど、他にも様々な障害が待っている。これまで自分を護ってくれていた家庭や家族を敵に回さなければならないし、会社も友人も喜んではくれない。何より法律が公序良俗に反する者として扱う。やはり中年以降のトキメキには多大な危険と犠牲が付きまとうのだ。
現代は一個の人間を「女」と「母」の部分に分けた考え方が、昔と違い、むしろ女性の中に根を下ろしているように思える。子供を愛することと女としての本能は水と油のように自分の内部で分離しているものだと、女性自身が思い込んでいる気がする。そして「それでも中年女は恋をする」。

「私がそうだったから」と奥さんはメールの最後に結んであった。
何が“そう”だったのかは分からない、また知らない。

純愛とは

2018年08月19日 | 海側生活

(初秋の富士山)
「あの小説は純愛ですね」と、前回の映画『マディソン郡の橋』を鑑賞した自分の感想文を見て、わざわざ別のメールで意見を述べた知人がいる。

恋愛感情を考えまとめるのは苦手だ、書きながら汗もかいている。時間もほかの三倍ほどかかってしまっている。前回もそうだったが---。

純愛という文字を見て咄嗟に違うと思った。自分は、あのストリーを大人の恋愛と情事という捉え方しかしていなかったから。
しかし自分が違うと思った根拠を思い起こしてみた。純愛と言う言葉に関し、純は若さに繋がり、十代や二十代の初々しい愛と言う概念があった。年齢を重ねてからの純愛となると、家庭を壊し、社会の秩序に抵抗し、培ってきたキャリアや信用などを放り出しても愛する人と一緒に暮らす一途な情熱を思い浮かべていた。

確かに、少年少女の無垢な愛があるとすれば、その純粋さは無知や未経験からくるものであり、愛情の深さとはあまり関係がない。少しばかり大人になり、人生設計を考え、自己保存の欲求に目覚めた後は、恋愛が巣作りと結びつき、生活に重なってゆく。男は健康な美人で子供を立派に育ててくれそうな女を選ぼうとするし、女は自分の将来を買うつもりで男を選ぶのは、ごく自然の成り行きなのだ。打算的と言えなくもないし、決して純粋ではないけれど、これは生存していく上での知恵だし本能だとも思う。結婚を前提とした恋愛であれば当然だ。だから恋愛を人生の設計図に絡ますことのない中年以降こそ、純愛が成り立つのかもしれない。

確かに中年になっても、若者顔負けの決断と行動力で、家庭を壊して新しい恋に人生をささげる男女はいる。しかし恋愛に生活の影が被さって来ると、人は愛だけを喰って生きていくわけにはいかず、夢の褥で眠る訳にもいかない。愛以外の社会的や経済的な煩雑にも関わらなければならず、純愛とは呼べない状況が生まれてくる。
こんな純愛が身軽な割に一方で悲しいのは、純愛の存在を証明するものがどこにも何もないと言う点だ。秘めたる恋が発覚し、妻や夫や子供などの罪なき第三者が傷つく事でしか、当人以外の者に、その恋愛を主張できないのだから。

中には親しい友人に打ち明けたり、『マディソン郡の橋』のフランチェスカのように、死んだ後、息子や娘に告白するという方法もあるが、これはやはり純愛道に反し邪道だと思う。

どうせなら、当人たち以外には誰にも知られないまま、死と共に永遠に無くなるのが純愛であって欲しいような気がするのだが---。



最後の恋

2018年08月10日 | 海側生活

    (江の島・東浜灯台)
大人の恋は忙しい。
立秋前の酷暑が続いたある夜に、無造作に撮り溜めたBS映画番組の録画の中から『マディソン郡の橋』を見た。封切られた時に見たから二度目の鑑賞になる。

以前に見た時はこんな印象は残らなかったが、大人というか中年の男女の場合、恋愛と情事を区別するのはとても難しい気がする。肉体の関わりを持たない恋愛というのは、中年には不自然なことで、性と感情がピタリと一致しているのが中年の恋というものだろう。
恋をすれば相手の肉体までも望むし、この点女性は特にそれが強い。「あの人への気持ちは自分でもよくは分からないけど、会えば抱かれたいと思う---」と困った顔で告白した五十代の女性を思い出す。
『マディソン郡の橋』のフランチェスカとキンケイドは出会って僅かの間に肉体の関係を持った。この早さ、躊躇いの無さは、若い男女であれば恋でなく、情事とみなされも仕方がないだろう。二十代の男女が出会って僅かの間に肉体関係を結べば道徳の乱れやいい加減さが感じられてしまうが、フランチェスカとキンケイドの年齢が、こうした汚れを拭い去り、恋愛の激しさを印象付けているのだろう。しかし中年の恋愛は情事とよく似ているし、もしかしたら同じものかもしれない。
二人はたった四日間だけ、火のように愛し合い別れるが、どうしてこんなに慌ただしく求め合い、忙しく諦めるのだろう。この気ぜわしさ、荒々しいまでの接近と別れが、この映画を面白く強いものにしている。きっと中年の恋だから見る者を納得させたに違いない。

中年には人生の残りが少ないという焦りがある。人生とは命ではなく、男としてまた女としての命の事で、これが最後の恋、最後の相手との思いが、心や体を波立たせ相手に走らせるのだ。
のんびりと手続きを踏んでいる余裕などないのだ。
二人が中年でなかったら、この映画は行きずりに肉体を求め合った、つまらない一作になっていたに違いない。人生の終着点のような鐘の音が聞こえてきたおかげで、見応えのある恋愛映画だった。

ともかく中年の恋は熱く忙しい。

”師”とのお別れ

2018年07月29日 | 最大の財産

(片瀬東浜/江の島)
満面の笑みを浮かべた遺影が目に飛び込んできた。
会場の部屋に足を運んだら真っ先に懐かしい顔に出会った。在籍した頃は滅多に見ることがなかった破顔一笑の素敵な写真だ。

現役の時に在籍していた会社の創業者で代表だったS.Yさんのお別れ会だ。多くの参列者に、会場の豪華さに、会場の広さに息をのんだ。
中心の高い位置に置かれた遺影の下には高さ3メートル、幅15メートルはあるだろうか、大きな花壇が設えてある。全体が白一色に見えたが、カーネーションを一輪ずつ献花する際によく見ると真っ白なカーネーションや百合や胡蝶蘭やカスミソウなどのほか、薄青色の桔梗などを混じえ全体の統一感を醸し出されていた。

彼は現役を退いて20年近くも経つのに、また巡るましく変化する現代に、これほど多くの参列者がいる事に感動すら覚えた。
彼は滅多に言葉に表す事は無かったが、社会的使命感を持ち、達成意欲の強い方だった。経営者としてまた人間的な成長を遂げるまで雌伏の時代があったと聞く。非常に辛く厳しい経験をしたとも聞いた。その経験が成長のバネになったと感じさせられた人だった。事実、高層住宅業界において、長い歴史を持つ財閥系や電鉄系等の企業を業績面で大きく引き離し、30年間もトップの座を保った。一方彼は海をこよなく愛した。

彼は我が国が未曾有の経済環境の激変時に自分は代表の座を退き会社は存続させた、潔かった。

彼は事ある毎に“憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の力ためさん”と陽明学者・熊沢蕃山の作と言われる言葉を引用していた。可能性の限界に挑み続ける彼の姿勢には共感を覚え、鼓舞され、自分も実力以上の力を発揮させて頂いた。今でも、ふとした折にあの当時の彼からの教えの“刷り込み”が顔をもたげる。特に困難に遭遇した時に呪文のように、この言葉が口をついてくる。

そして多くの歳月が流れた。

親が亡くなった時とは違った寂しさが一挙に押し寄せてくる。
心の支えとしてきた大きな何かが一つ無くなった。

他人の目で自分を眺める

2018年07月21日 | 海側生活

(片瀬西浜/江の島)
白地に赤い文字で「氷」と書かれた幟(のぼり))を見つけ、小躍りしながら足早にそのカフェに飛び込んだ。

「店内でお召し上がりですか」の言葉で始まるロボットのような売り子の口上は味気ないけど、別に人間的な情緒を求めているわけではないので、これはこれで良い。手渡された飲み物をお盆にのせて空いている席に腰を下ろす。あたりを見回してみても、そこには外部から遮断された安らぎの空間が広がっているわけではない。都会の雑踏の延長があるだけである。

カフェには度々寄り道をする。コーヒーでも飲みながら一休みするとか、友人と待ち合わせするとか、恋の語らいとかいろいろとあるだろうが、自分が気に入っているのは、カフェで考えや文章をまとめる時だ。部屋に閉じこもって精神集中するのも良いけど、邪魔な自意識が目の前に立ち塞がり、考えや言葉の流れが逆に停滞することも多い。

特にカフェのテラス席の良さは、自分が自分であることを忘れさせてくれるという点だ。これは考え方をまとめる心理状態としては実に良い。周囲のテーブルで交わされている会話のざわめき、自動車の騒音、歩道を行き過ぎる人々の装いや表情など、漫然とした雑多な情報が自分の五感に立ち騒ぎ、そのどれに対しても興味がある訳ではないが、しかしそのどれに対してもほんの微かに気を取られ、カフェでは上の空になる。そうした中で考えがまとまっていないメモ帳を広げると、袋小路で身動きが取れなくなっていた身体が不意に自由になり、思わず進むべき方向が見えてくる事がある。

決して落ち着いた気分にはならないけど、ヨーロッパの街角のカフェと似ていて、名も知らぬ群集の中に紛れ込み、ほんの少しだけ浮足立った気分になり、そんな自分を今度は他人の目で見て楽しんだりしながら、ひと時をボーと過ごし、あまり長居もせずそそくさと席を立つ。

氷小豆を食べ終わる頃、やっと火照った身体も通常に戻った。エアコンの冷気で寒さえ感じ始めた。

昭和が遠ざかる

2018年07月07日 | 感じるまま

(海蔵寺/鎌倉)
ふと出会った友人と、30分間と時間を切って駅近くの立ち飲み屋さんに入った。

外はまだ明るい。店内は近所のオジサンやオバサン、観光客ではない30歳台のグループなどでほぼ一杯だ。コの字型のカウンターに、肩が触れない程度に立つと10人も入れば満席になる狭い店だ。店内に焼き魚や何かを揚げている料理の香りが立ち込めている。それらに混じって昭和の匂いもしてくるようだ。音楽は流れていない。ノンアルコールビールを口にしながら、懐かしく郷里の商店街を思い出した。
自動車はもちろん自転車さえ入ってこれないような細い通りに、もう何代も続いている小さな店がゴタゴタと立ち並び、日が暮れかかる頃には夕餉の総菜を買い求める人たちで賑わい、魚屋や八百屋のニイチャンたちの威勢の良い呼び声が飛び交ったりもする、日本の街ならどこでもあったあの懐かしい商店街。現代の街にはほとんど無くなった。

もちろん繁華街ならある。新たに創られたそこにはショッピングモールだのショッピングストリートなら全国どこにでもある。しかしプラスチック細工の模型をそのまま実物大に拡大したようなピカピカの形と色で出来上がった建物にはどうも馴染めない。人と人が肌をすり合わせるような温もりに満ちた郷里の雑踏が恋しくなった。でもこの恋しさ自体が思い出の中で美化したに過ぎず、そんな濃密な商店街はすでに壊れてしまったらしい。就学年齢の児童が減り小学校は統廃合され、商店街も閉めてしまう店が増え、跡地は駐車場になったり雑居ビルになってしまった。テンプラやフライを上げていた惣菜屋が無くなり、大手チェーンのコンビニが次から次へと進出してくる。

言葉を一言も発せずに買い物ができる都市的な便利さと引き換えに、失いつつあるものは何だろう。生活の効率性や合理性が高まるにつれて、私達の暮らしから生きている実感が薄れていっているのではないだろうか。
都市化とはそこに住む住人にとって、自分は生きているという手応えが奪われてゆく後戻りが不可能な進歩のプロセスのことだろうか。

馴染みのタバコ屋のおばちゃんと交わす、「暑くなりましたね」「でも明日は雨だって」「蓮の花は喜ぶかな」といった細やかで、ほとんど無内容な会話に生の実感はある。自販機や宅配便やネット通販などの発達が、貴重なコミュニケーションの機会を益々奪ってゆく。

平成時代も間もなく終わり、そして変わる。昭和はますます遠くなってゆく。

ある日常

2018年06月29日 | 海側生活

          (建長寺/鎌倉)
朝食が楽しみだ。
と言っても、何も凝ったものを食べはしない。簡素で手軽さが朝食の良い所だ。

和食の定番と言えば納豆、塩鮭、海苔にホッカホッカの湯気の立つ炊き立てのご飯と味噌汁。しかし納豆はあの匂いが嫌だし子供のころから口にするチャンスもなかった。また塩鮭は塩分が今の自分には強すぎる。海苔は消化が出来ない体になってしまっている。これらは食しないし出来ない。
しかし納豆の代わりに食べきりサイズの豆腐、塩鮭の代わりに地元で獲れるシラス、海苔の代わりには果物とヨーグルト入りの野菜ジュースなどと手軽だ。たまにはご飯を雑炊にしたりする。

もちろんパンも好きだ。その日の気分によってマーマレードだの杏ジャムなどを添える。以前はこれらの日本製はただベタベタと甘いだけで味わいに乏しかったが、今はオレンジの程良い苦さや風味豊かな杏の酸っぱさを満喫できる良質の瓶詰めが手軽に買えるようになった。また時々はメープルシロップをコッテリかけた甘いホットーケーキなんかもなかなか美味い。

自分は俗な人間だが、人生の幸せというものはつまるところ朝食が旨いといった事などに尽きるのではないかと考える。
実際、一日の始りには二種類がある。起きた途端に、今日は朝飯を何にしようかと気持ちが浮き立つ朝と、胃痛だか心労だかで何も口にする気になれない朝と。浮き立つ朝が続くのが何よりだが、それが実現出来たらそれだけで幸せかもしれない。この頃酒を飲まなくなったのは、身体の消化能力が不足している事が原因だけでなく、翌日の朝食を台無しにしたくないという気持ちが、どこかで働いているのかもしれない。経験から言えば、満ち足りた朝食を摂れた日は平穏に暮れて、心静かな夜が訪れるようである。

老いと死に向け、旨い朝食を日々の小さな楽しみとしながら淡々と生きていきたい。
と思ってはいるが---。


手の文化

2018年06月23日 | 海側生活

               (イワタバコ/円覚寺)
クリップと言うこの小さな物体が、子供の頃から好きだった。
梅雨のある日、机の上やパソコン周りの書類を片付け、そして処分していたら、多くのクリップが手元に残った。

クリップと言っても今は多種多様で、大小取り混ぜて様々な色や形があるが、やはり縦に細長く、両端が半円形の丸みを帯びた、あの昔ながらの形状のものが一番好きだ。
何の変哲もないただの針金が、クルリ、クルリと二重に丸められただけの、構造とも言えないようなあの螺旋の構造が素敵だ。誰が発明したのかも知らないが、あの仕組みの極端な単純さに美すら感じる。
小学生の頃だったと思うが、自分にとって、外側の大きな円弧と内側の小さな円弧の間に紙束をスイと滑り込ませるという、ただそれだけの事なのに、それで数枚の紙がギュッと押さえつけられて一まとめになってしまうと言うのは、なんとも不思議な手品みたいに感じたものだった。あの両端の丸みにも何とも言えない柔らかさが漂っているのに安心感を持ったものだった。

他方、紙を束ねて留めるにはホッチキスというものもある。挟んでガチンとビスを打ち込んでしまえば、紙の束はクリップよりもしっかり安定する。しかし自分は、これは何やら拷問器具のミニチュアを思わせる文房具を、どうしても好きになれない。ビスが無くなれば補充用のカートリッジを装着するけど、その操作にも銃に弾薬を装填するような連想が働き、なんだか武器の一種を扱っているような気がしないでもない。そのうえ、紙束をばらす必要が生じた時、打ち込んだビスを抜くのが面倒だ。つい指先を痛め血を滲ませたり、爪を割ったりなどの記憶がまつわりついて来る。
やはりクリップでそっと挟むだけにしておいた方が良い。

いやもっといい方法がある。小学校の頃の先生は、答案の束をこよりで綴じていた。細長く裂いたチリ紙を螺旋状によじり一本の紐にしたこよりを、答案の隅に空けた穴に通してしっかりと結ばれていた。思い出せばあれはホッチキス的なお手軽さからも、その攻撃性からもはるかに優しい手の文化だった。

こよりというものが我々の生活から消え、言葉すら死語となってしまったのはいつ頃からだろう。