■Innervisons / Stevie Wonder (Tamla)
あまりにも有名なスティーヴィー・ワンダーの代表作で、1973年度のグラミー賞では「最優秀アルバム賞」まで獲得した名盤ですから、その内容の充実は今更述べるまでもないと思います。
A-1 Too High
A-2 Visions
A-3 Living For The City / 汚れた街
A-4 Golden Lady
B-1 Higher Ground
B-2 Jesus Children Of Ameria
B-3 All In Love Is Fair
B-4 Don't You Worry 'Bout A Thing / くよくよするなよ
B-5 He's Misstra Know-It-All
しかし天の邪鬼なサイケおやじは、発売された直後にゲットし、聴きまくっていながら、その出来過ぎた素晴らしさと歌詞の辛辣さ、さらに周囲の大絶賛にある種の辟易した気分を感じていました。
ですから翌年になっての次作アルバム「ファースト・フィナーレ」が出て以降は、意識的に遠ざかっていた時期もあったんですが、折しも我国ではその間にニューミュージックなんていう日本語ロックとお洒落なフォークがミックスされた歌謡曲の新しい形態がブームとなり、このアルバムからのアイディア流用が夥しく散見されるようになると、またまた本家が聴きたくなるという、正逆の天の邪鬼がサイケおやじの悪い癖です。
まず冒頭、重いビートと不穏なスキャットに導かれて歌い出される「Too High」の印象の強さは圧倒的で、実に新主流派のドラムスやせつさなが滲むハーモニカはスティーヴィー・ワンダーがオーバーダビングで作り出した独り舞台なんですが、何の違和感もありません。というか、おそらくは悪いクスリに頼った刹那的な快楽主義を痛切に否定する歌詞の内容を知ってしまえば、尚更に歌と演奏の濃密さに圧倒されてしまうのです。
ちなみにアルバムは見開きジャケットで、その中面には歌詞が掲載されているのも、世界中の人に自分のメッセージをダイレクトに伝えたいというスティーヴィー・ワンダーの意図なんでしょうねぇ。もちろん収録全曲が本人のオリジナルですし、既に述べたように、各種キーボードはもちろんの事、ドラムスやハーモニカを自在に演じ、まさに思うがままに作られたがゆえの傑作だと思います。
そしてギターやベースの助っ人も適材適所に配された中にあっては、続く2曲目「Visions」のイントロからグッとメロウな情感を滲ませるデヴィッド・T・ウォーカーのギターが良い感じ♪♪~♪ さらにウッドベースやアコースティックギターも上手い使い方ですから、スティーヴィー・ワンダーの神妙な歌唱もイヤミになっていません。
実はこのアルバムもまた恒例というか、アナログ盤LP片面毎に収録されたトラックの曲間は無いに等しく、それゆえに計算されつくした美しき流れがありますから、まずはここが最初の桃源郷♪♪~♪ 本当に酔わされますねぇ~♪
そしてとても黙っちゃいられないという都市生活の辛酸を熱く歌った「汚れた街」では、ストリートのざわめきや猥雑なコーラスと多重層シンセで作り出したクールなファンクビートを完全融合させるという荒業が見事に成功し、虚無的なピアノで始まる「Golden Lady」へと繋がる流れは本当に快感♪♪~♪
また、その「Golden Lady」にたっぷり詰め込まれているニューミュージックの元ネタ探しも、今となっては楽しい限りでしょうねぇ~♪ 思わずニヤリとさせれる瞬間が山のようにあるんですよ。もちろん白人AORに与えた影響も計り知れないと思うばかりです。
さらにB面が、これまた凄いんですよ。
思わずボリュームを上げて大音量で聴きたくなる「Higher Ground」は、シンセファンクの決定打でありながら、決して無機質ではない熱血が共感を呼ぶと思いますし、歌われている内容が、人の世の刹那と前向きな希望であればこそです。
それはキリスト教が主流ではない日本人には、ちょいと大袈裟な歌かもしれない「Jesus Children Of Ameria」であっても、こみあげてくる思いを媚薬的なコード進行で表現していくスティーヴィー・ワンダーならではの「節」とゴスペルライクな自然体のコーラス、ファンクなビートとリズムがそこにありますから、もう素直に熱くさせられる他はありません。
あぁ、聴くほどにグッと魂が高揚してきますっ!
ですから邦題がズバリ、「恋」と題された素直すぎるラヴソング「All In Love Is Fair」が、例え歌詞に哲学的な描写があろうとも、せつせつと心に響いてくるのでしょう。
いゃ~、本当に曲の流れが抜群のアルバムだと思いますねぇ~♪
そしていよいよ始まるのが、皆が大好きな「くよくよするなよ」で、ご存じ、ラテンリズムが硬質なピアノリフとジャストミートの享楽を生み出し、歌と演奏が進むにつれて実にリラックスしたグルーヴを発散させていきますから、スティーヴィー・ワンダー自身も楽しんでいるかのような歌いっぷりが♪♪~♪
ちなみにこの曲は、当時からクロスオーバー&フュージョン派のジャズプレイヤーに演奏されることも多く、いろんな名演が残されていますが、アルバム全体に隠しようもないジャズっほさが特に顕著に表れた1曲かもしれません。
その意味でオーラスの「He's Misstra Know-It-All」は正統派ポップスと呼んでも違和感の無い名曲名唱で、スティーヴィー・ワンダーが常日頃から堂々とやってしまうビートルズっぽさ、とりわけポール・マッカートニー風味が強く出ていますから、ついついニンマリしてしまうのです。
ということで、捨て曲無しの名作に違いはないのですが、率直に言えば、今となっては前作「トーキング・プック」に比べて、妙に刺戟が少ないと感じられるかもしれません。
しかしそれは、この「インナーヴィジョンズ」で表現されたサウンドやメロディが、現代では馴染み過ぎるほどに当たり前となった証じゃないでしょうか。所謂ニューソウルの代表作としての存在感以上に、世界標準となった人類遺産かもしれないのです。
まあ、こんな感慨は常に大袈裟なサイケおやじだけの思い込みでしょうが、それにしても歌詞の内容の普遍性は強烈で、これはぜひとも聴くなり、あるいはジャケットに掲載されたものを読むなりして、じっくりと味わってほしいところです。
ちなみに当然ながら全篇のサウンド作りとプロデュースは、これ以前の「心の詩」から続くもので、シンセサイザーの多角的な使用にはマルコム・セシルとロバート・マーゴレフという強力な参謀がついているのは有名ですが、それが無機的になっていないのは、スティーヴィー・ワンダーが自ら叩くドラムスのカッコ良さがあればこそじゃないでしょうか。本当にファンクでジャジー、ロックビートを巧み取り込んだリズムのキメは、独自の音楽性と完全に融合し、ここにスティーヴィー・ワンダーのひとつの到達点が示されているように思います。
そのあたりがサイケおやじを天の邪鬼な気分にさせてしまうポイントなんですが、つまり美し過ぎる美女を前にした弱気の男という、実に卑屈な自分を感じてしまうのでした。
好きな音楽を愛するって、案外と苦しいもんですねぇ……。