OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

セロニアス・モンクの独り言

2008-11-14 12:14:45 | Jazz

Thelonious Himself / Thelonious Monk (Riverside)

ジャズ入門に最も適さないミュージャンがセロニアス・モンクだと言われていますが、私は最初に聞いたのがチャーリー・ラウズ(ts) が入ったバンド演奏、確かニューポートでのライブ盤だったので、それほどの違和感もありませんでした。

というか、これは後で知ったのですが、所謂ニューロックやサイケロックをやっていたロック系のプレイヤーはセロニアス・モンクからの影響が相当にあったそうで、ジャズを本格的に聴き始める前の私は当然ながら、そうした流行りのロックに親しんでいたのですから、実際にセロニアス・モンクを聞いたところでの拒否反応は無かったのでしょう。

ところが本日の1枚には仰天というか、はっきり言えば最初、呆れました。

演奏はセロニアス・モンクのソロピアノが主体ですが、その訥弁スタイルで聞かされるスタンダード曲やオリジナルの連続には、??? 正直に告白すれば、とてもプロのピアニストとは思えなかったのです。ところが、それが妙に心にひっかかるんですねぇ……。

録音は1957年4月5&16日、セロニアス・モンクのソロピアノに加えて1曲だけ、ジョン・コルトレーン(ts)、ウイルバー・ウェア(b) が加わったバンド演奏になっています――

 A-1 April In Paris / バリの四月 (1957年4月16日録音)
 A-2 A Ghost Of A Chance With You (1957年4月5日録音)
 A-3 Functional (1957年4月16日録音)
 A-4 I'm Getting Sentimental Over You (1957年4月16日録音)
 B-1 I Should Care (1957年4月5日録音)
 B-2 'Round Midnight (1957年4月5日録音)
 B-3 All Alone (1957年4月16日録音)
 B-4 Monk's Mood (1957年4月16日録音)

――という演目は有名スタンダード曲に自身不滅のジャズオリジナルですから、耳に馴染みのメロディというのが、まずミソではないでしょうか。

そういう素材を、例えば「パリの四月」なんて原曲のエレガントな味わいよりは孤独の春、みたいな表現です。ピアノの練習といって、誰も疑わない感じまでします。しかし、その間合いの絶妙さが、モダンジャズにどっぷりの既成概念の裏を返した心地良さというか♪

同じく「A Ghost Of A Chance With You」では、拙いとしか言いようのないセロニアス・モンクのピアノタッチが失恋の絶望を、せつせつと綴るのですから、これは確信犯なんでしょうねぇ。いや、そう思うことも出来ないほどに妙な感動が滲みます。

そのあたりの微妙な部分は「I'm Getting Sentimental Over You」でも、超スローなテンポの中でジンワリとした表現と異様な緊張感の同居となっています。この思わせぶりな味わいは、もう絶対ですねっ。

さらに「I Should Care」では、ますますアブナイ雰囲気が横溢! この曲はパド・パウエルの幻想的な大名演が決定版でしょうが、このセロニアス・モンクのソロピアノこそが最高! とする評論家の先生方や愛好者も大勢いるのですから、告白すれば最初は全く賛同出来なかった私にしても、何度か聴くうちに、あぁ、そうだったのか!? と今は納得するしかない極北のジャズピアノだと思います。

そして気になるセロニアス・モンクのオリジナル曲、特に「'Round Midnight」は、あのマイルス・デイビスの有名バージョンをさらに煮詰めたような孤独感とクールな味わいが流石です。原曲メロディが既に良く知られていることを逆手にとったような端折りとか、思わせぶりな「間」の取り方、絶妙のフェイクと装飾フレーズの使い方は、作者だけに許される世界かもしれません。

こうした中には、もちろん不協和音やズレたようなビート感がいっぱいです。しかしそれは、合っていないからこその快感というか、そうした魅力はモダンジャズの奥儀なのでしょうか? 実はそういう部分は、なにもセロニアス・モンクだけではなく、他のジャズメンだって多かれ少なかれ使っている技法なんですが、それはあくまでも「隠し味」なんだと思います。

しかしセロニアス・モンクは、このソロピアノ演奏集で、そのスパイスだけで勝負したというのが真相じゃないでしょうか? もちろんこれは、私の独善的な思い込みです。

実際のライブステージではガンガンにアグレッシブなバンド演奏の合間に、こうしたスタンダード曲のソロピアノを入れるのが定番の構成だったわけですが、当時の観客はそれをタネ明かしと楽しんでいたのでしょうか?

そのあたりはオーラスに置かれたバンド演奏の「Monk's Mood」で逆の証明になっているのかもしれません。その静謐なメロディを真摯に吹奏するジョン・コルトレーンの硬質なテナーサックスからは、後年の「Naima」にも通じるハードボイルドな愛情表現が感じられ、それもセロニアス・モンクという最高のスパイスがあってこその完成度だと思います。

しかしそれにしても1957年の時点で、こんなソロピアノ集を出してしまった会社側の英断は凄いですねぇ。もちろんアート・テイタムとか、所謂超絶テクニック派のピアニストだったら自然に納得してしまうのですが、その対極にあるセロニアス・モンクとあっては!!!?

リアルタイムではどれだけの売上があったかは不明ながら、プロデューサーのオリン・キープニュースは恐るべし! ちなみにセロニアス・モンクには1954年にフランスのレーベル「ヴォーグ」が企画制作したソロピアノ集が既にありましたが、それはアメリカ国内では未発売でしたから、その素晴らしさをもう一度という思惑も当然、あったはずですが……。

これが成功作となったのは、後にもソロピアノ集のアルバムが作られたことでも明らかですし、「モンクはソロピアノが一番」という定説までが残されたのですから、やはり凄いことです。

ちなみにサイケおやじは必ずしもその説には賛同していません。「モンクは伴奏こそが最高」と思いこんでいるほどです。

しかしそれでも、今はこのアルバムは大好きです。聴く度にジャズの奥深さと素晴らしさを大いに痛感するのでした。

コメント (2)
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