松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

私の霊魂物語(再掲載)

2016-04-17 10:30:50 | 日記・エッセイ・コラム

 たまたまなのでしょうか。きのうの物語の元になった、東北学院大学金菱教授の文章が掲載されています。

 「なぜ、被災地で幽霊がたくさん出るか」

 東北人の死生観を、良く考察していらっしゃいます。

 

あれは今から10年ほど前のことでしょうか。

私は、ある水産系の高校に、おりましたので、ございます。

そこの、マリンスポーツ部で、事件は、起きましたので、ございます。

すでに、「海猿」がヒットした直後で、テレビでは伊藤英明が人気だった

こともあって、我が校の海猿と、彼らは呼ばれておりました。

とても不幸なタイミングで、それは発生しました。

彼らは、水深10mのプールで練習するのですが、

酸素タンクなしで、プールの底まで自由に行き来、できます。

底で、大の字で、寝っ転がって、上がってきたり

していた時に、あいつ、いつまで寝てるんだ、と

いうことになって、初めて部員が、異変に気が付いたのです。

A君を助けに行ったのは、B君で、すぐに先生を呼び、救急車が

来ました。私はプールから最も遠い、正面玄関脇の事務室に

おりましたので、音を聞いてようやく、何かが起こったことを

知りました。心肺停止状態で引き揚げられたA君は、すぐに人工呼吸

、心臓マッサージが施され、病院へ向かいました。

その救急車の中から、付き添いの教員の、第1報が、入りました。

それは、自力呼吸を開始した、というものでした。

職員、生徒は、居残りして連絡を待っていたので、

「あー、良かった」と安堵して、家路についたのです。

ところが、翌日、学校へ行ってみると、状況は一変して

いました。A君が亡くなったというのです。

にわかには、信じられませんでした。

記者会見と、いうものを、初めて経験しました。

校長の対応は、素早く、しかも真摯に保護者宅を

往復し、ご両親は、学校側を責めることもなく、

事態は進行しました。テレビカメラの前で、一瞬でも

ほほの筋肉を緩めようものなら、袋叩きに遭っても

おかしくない状況の中で、校長は沈痛の表情を

変えませんでした。あまり好きではない校長でしたが、

あの対応だけは立派だったと思います。

A君の家庭がどうにか、結果を受け止めて下さったので、

次に職員が心配したのは、仲間を引き揚げたB君です。

彼は努めて陽気に振舞っていました。

彼は彼なり、我々に心配かけまいと、

必要以上に快活な態度を取って、

大丈夫だよと、我々にメッセージを

返すのでした。

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