松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

カウントダウンに意味はない

2018-12-31 14:00:50 | 日記・エッセイ・コラム

 自分の腕時計を初めてつけた頃、多分リューズだった。ゼンマイ式腕時計。 その次に「自動巻き」なるものが出て、欲しいっと思った。何しろゼンマイを巻く必要が無い。勝手に体が動けば、ねじが巻かれる。傾けた時に巻かれる、あの音が小気味よかった。
 そのうち電池式になり、意外と電池は持たないのだった。

 来年に、腹の中身を持ち越したくなくて、トイレで頑張った。私の場合、便秘は直ったようだが、時間が掛かる。用事があるわけではないが、同居人が居る限り、終わりの時間は多少とも気になる。案外お互いに「もよおす」タイミングは一緒だったりするからだ。
 それで思った。昔の感覚が一番、合っている。「いっとき」ほどは掛からないし「はんとき」も掛からない。つまり「小半時」あれば、有難い。こはんときは30分。昔の人は、30分が一番短い単位だったのだろう。小半時で、さまざまな用事を済ませたら、早いなと言われたのかも知れない。

 何かを身に着けていないと、相手と互角に渡り合えない。そういう時期はあった。私の場合それがトランプだったり、手品の小道具だった時代がある。腕時計を見せびらかす趣味は、自分には同じに見える。
 時を告げる道具としての腕時計の役目は終わった。自然と一体になれば、見かけの時間より永く、生きられる気がする。

コメント
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