棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

7-2 歴史的大変換

2014-07-02 08:56:17 | 山郷の暮し

昨夕 安部内閣はとんでもないことを閣議決定しました。
記者会見では「戦争を起こすなどということは絶対にありません。
わが国の平和維持が益々堅牢になる」というようなことごとを・・。
なんとも空々しく、保険会社の勧誘のように、ひたすらメリット大であるとまくしたてる。

60年安保闘争のときを思い出す。
私は高校生だったか・・。正直 本来の意味はわからないまま、日本がとんでもないことになってしまう。
ともかく反対運動に加わろうと、若者のエネルギーをたぎらせたものだった。
そして・・、挫折感を味わい、一部は学園紛争とつきすすんでいった。
私は創作の道へと情熱を傾けていったが、「反体制」の心情は創作意図の本質となっていったのです。

話を戻しましょう。
「集団的自衛権」つまり、世界に誇る平和憲法をなし崩しにしようということ。
憲法を改正せずに「解釈を変える」と、なんとも理不尽なことです。
それが、今までの憲法解釈では時勢に合わないから変えるというのであるなら、憲法って何だと言うことになってしまう。
今回の動きの中で三権分立の、行政・立法は現政権の手中にある。
なんといっても絶対多数を与えてしまったのは、国民だ。 
政府の横暴・独走の歯止め役になるべく司法の力がみえてこない。

閣議決定だといっても、ただちに施行されるわけではなく、これから具体例で納得の行くまで議論されなくてはならぬ。
紛争・戦争という生命のやり取りになる具体的な事例だけに、抽象的説明ではすまないのである。

集団的自衛権の様々な問題点を抉り出してゆくことは必定ですが、
憲法を時勢に合わせて、都合よく解釈・運用できる、という道を開いてしまうことがもっともっと問題なことです。
政治家や役人の好きな「前例」を作り出しいてしまうのです。


絶対多数の自民党の中から「疑問視」
する意見などがまったく聞こえてこないのも不思議だ。
与党だ、平和党だと自認する公明党の動きには、今回はある意味で好感が持て期待をしていたが、
収まるところに収まってしまった感じだ。

多数の横暴は野党には手も足も出ない国会は、はたして正常なのか。
具体例を上げての徹底的な議論を望む。

それにしても、安保にしろ今回の問題にしても、アメリカの手の内でうごめいている日本を感じます。
写真は「人類の崩壊を観る私」油彩


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