日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

寛容の精神

2007-01-27 07:17:13 | Weblog
 インドネシアの人が、佐伯で、財布をなくした。彼は、その時、佐伯での研修生だった。カードもお金も身分証明書も入っていた。幸いに、拾った人が警察届けていて、無事に、彼の元の戻った。
 彼は、言った、「信じられない。もう、諦めていた。日本は、凄い国だ。」と。そして、又、こうも言った、「店に行っても、レジの人が、何も、話し掛けてくれない。どうして?その店、いつも利用しているし、顔も、お互いに知っていし、もう、1年近くになるのに、どうして?」と。
 いろんな文化の違いがある。外国に行って知ることは、如何に考え方が違っているかだ。韓国に行った時に、驚いた。韓国では、食事をどんどん出してくる。個人的に店で食事をする時も、同じだ(その料金も、当然、入っている)。日本人が出された物をきれいに食べようと思っても、それ以上に出してくる。きれいに食べてしまうことは、韓国の人にとっては、足りないことを意味している。
 韓国では、ホームステイをした時は、正に、大切なお客さんとして扱われる。しかし、日本人がアメリカでホ一ステイした場合は、家のことを手伝わされる。逆に言うと、日本にアメリカ人が来たら、自分の子どもと同じ様に、家の手伝いをさせた方が、アメリカ人は、家族に受け入れられたと思って、喜ぶ。
 台湾でのごちそうは、サル。踊っているサルを目の前で殺し、頭を開けて、まだ目が赤い状態でその脳を食べる。これが、最高の料理とのこと。韓国の人は、犬の肉も、猫の肉も食べる。東南アジアでは、蛇や鳩の肉が、食卓によく並べられている。沖縄では、豚の肉が葬儀のの時でも、好まれ、頭がついて状態で食卓に並べられている。
 インドの様に、牛肉を食べない国、アラブの国々の様に、豚肉を食べない国、コ一ヒ一を飲もうとしない人、輸血を拒む人、魚の頭を食べようとしない人。
 日本人が馬の肉を食べたり、生卵をご飯にかけて食べるのは、外国の人にとっては、驚き。
 タイに行った時に、キリスト教の学校や、イスラムの店もあった。ダッカに行った時も、キリスト教の学校があった。そこでは、皆、宗教の違った人たちが争うことなく、平和に生活していた。トロントやバンクーバーに行っても、いろんな人種の人たちが、実に仲良く生活していた。
 多くの人は、今まで培ってきた生活習慣に対して、疑問を持とうとすることは少ない。争いをなくすには、自分以外の人を変人扱いにせず、まず、その生き方を寛容の精神で認めることから始めることだと思う。
 政治やマスコミでは、なかなか、そのわだかまりは、解消できない。偏見で報道されていること、多い。
 草の根外交的に、一人一人が、実際に、その地に行くなり、現地の人に接して、地道にそのわだかまりをなくして行くしかないと思われる。

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