フィンセントからの手紙には~
世話になっているガシェ医師と意気投合したこと、
(医師の肖像画は何枚も描いています。そして「庭」や婦人も。)

「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」

「ガシェ医師の庭」

「シャルル・フランソワ・ドービニーの庭」

村役場前にある食堂の三階の下宿屋に落ち着いたこと、
描きたい画題がいくらでもあること、
ゴッホはオーヴェル=シュル=オワーズでも盛んに作品を描きました。
二日に一枚という驚異的なペースでした。
素朴な教会、オワーズ川の清流、
「オーヴェルのオワーズ川の川岸」

「夜の白い家」

「藁ぶき屋根の家々」

「ヒナゲシのある風景」

はるかに見渡す麦畑、
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( 収穫の時期になると広い麦畑は黄色に染まる)

ゴッホ描く 「麦畑」の中から~
「麦束の山を刈る人」

「小麦を背景に立つ若い女性」

「荒れ模様の空のオーヴェルの麦畑」

「荒れ模様の空の麦畑」

「ヤグルマギクがある麦畑」

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畑の中の小径、
四つ辻に舞い飛ぶカラスの群れ。
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名作 「カラスのいる麦畑」
3本の道がある
真ん中の道~カラスが不気味に舞う…まっすぐどこまでも、ゴッホは?
どの道を選んで歩こうとしているのか・・・」

◆余談ですが~
ゴッホの自画像の中で、気になる1枚があるんです。
私、洋画が好きで、若い頃よく映画館通いを~
ちょっと古いんですが この方 「カーク・ダグラス」さん。

なんと、103歳でお亡くなりになった。 名優の一人でした。
このゴッホの自画像~

そうですよね。 だからこんな映画が~
「炎の人ゴッホ」

こんなポスターも

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戻ります。
病気の影を微塵も感じさせない冴え渡った文面を読んで、
テオは、やはりフィンセントをオーヴェルに行かせて
良かったのだと安心した。
6月になって、テオの家族はそろってオーヴェルへ。
ガシェ医師は一行を大歓待してくれた。
フィンセントとテオ、二人並んで麦畑を散歩した。
四辻に立った時、フィンセントは立ち止って麦畑を眺め渡した。
・・・と、その場を離れようとしない~
画題がひらめいたのか?
~フィンセントを残してみんなは引き返していった。
*きっとあの絵でですよ…間違いなく、ね、ほら。

7月1日 、フィンセントが
テオの勤務先(パリ、ブッソ・エ・ヴァラドン)にひょっこりと現れた。
なの前触れもなく店に現れたことがテオを困惑させた。
経営陣は、みすぼらしい姿の貧乏画家など店に入れるなと激怒した。
テオは、フィンセントを店の外に引っ張り出した。
~何しに来たんだよ⁈ なんで電報ぐらい先によこさないんだ!
かっとなって、テオはどなりつけた。

フィンセントは、ぴくりと身をすくませた。
二人のやり取りがしばらく続いて・・・
ああ、帰るよ。いますぐに。 力なく言った。
…悪かったな。突然来てしまって…じゃあ。

あれから、ひと月近くが経っていた。
テオは店に出勤した。
店に入ると、待ち構えていたかのように、彼の助手アンドレが
駆け寄った。
「オーヴェルから、友人が来られています」
朝、一番の汽車でこられたということですが・・・」
一瞬、テオの胸を悪い予感が矢のように貫いた。
テオを待ち構えていたのは、フィンセントの隣室のオランダの画家
ヒルシッフであった。
「テオ・・・」 ヒルシッフのこぼれ出た言葉が
テオを打ちのめした。
フィンセントが、自分の脇腹を、撃った。
息はまだある。来てくれ、いますぐに。
オーヴェルへ。
君の兄さんのもとへ。
7月30日 オーヴェル・シュル・オワーズ
抜けるような青空が、村落の上に広がっていた。
がらがらと乾いた音を立てて、フィンセントの棺を乗せた荷馬車が
ゆるやかな坂道を上っていく。
その道は村はずれの墓地へと続いていた。
棺のすぐ後ろにテオが続く。
ガシェ医師、タンギー親父、幾人かの画家仲間たちがついていった。
きらめく真夏の陽光とは裏腹に、どの顔も悲しみで曇っていた。
墓地に到着した。ガシェ医師が喪服の上着のポケットから
弔辞を取り出し、ぼそぼそと読み上げた。
別れの言葉は、テオの耳にはまったく届いていない…
神父の姿もなく、祈りの言葉もないまま~
永遠の別れの時が訪れた。
棺は二回の部屋の中央に据えた作業台の上に安置され、
パレットやイーゼル。そしてフィンセントのすべての絵を
この部屋に移動し、黙々と飾り付けた~
「兄さんが、この前、手紙を送ってきて…
・・・いつの日かどこかのカフェで展覧会ができたらな~ってさ。
こんなかたちで、実現するなんて…
そこは、さながら小さな美術館のようになった。
今まで紹介した1枚、1枚の絵は こんな風に表現しています。
「コバルトブルーの空を背景に佇む教会。
したたる緑を映して流れるオワーズ川。
青い炎のようなアザミの花。
革命記念日の万国旗を飾り付けた村役場。
花々が咲き乱れる、画家ドービニーの家の庭。
鳥が舞い飛ぶ、刈り入れが終わった後の麦畑。
ごつごつと武骨なかたちをさらけ出す木の根。」
~こんなものまで…描いていたのか。
木の根が描かれた横長のカンヴァス…そう、それはただの
木の根に肉泊して描かれた絵だった。
遺作:「木の根と幹」

芳しい花でもなく、照り輝く青葉でもない、木の根。
ただただ、木の根ばかりをフィンセントは描いたのだ。
もはやは何も青葉にも心を動かさない、画家の堅牢なまなざし。
この絵は、画家の最後のアトリエとなった屋根裏部屋、
そこに置かれたイーゼルに遺されていた最後の1枚だったと。
現在、絵のモデル? 今も パリ郊外の森にゴッホが描いたという
樹木の根が・・・

研究者により場所の特定を~証明

7月30日 午後6時。
村の教会の鐘が かっきり6回、鳴り響いた。

もともと病弱だったテオは、兄の死をきっかけに衰弱し、
その半年後の 1891年1月25日、
ゴッホの後を追うように、33歳でユトレヒトの精神科病院で
で亡くなりました。
今、オーヴェル=シュル=オワーズにゴッホとテオ
二人の墓が並んでいます。

誰だろう? 花を添えてあげたのは・・・・
「見たことがないものが出てくると、初めのうちは戸惑う。
なんだかんだと文句を言う。
けれどそのうちに、受け止める」
浮世絵も、印象派も、そうだった。
きっと、いつか、そうなるだろう。
~フィンセント・ファン・ゴッホも。
忠正も。
・・・・フィンセント、いつか帰ろう。 パリへ。
「パリという街は、なんであれ、
最初は拒絶するかもしれないけど、最後には
受け入れてくれる街なんだよ」

セーヌは滔々と、とどまることを知らず、橋の下を流れ続けている。
「あの、「ゴッホ」を追いかけよう」 №1~14
原田マハさんの小説「たゆたえども沈まず」
と共に、ゴッホの作品(本文中の作品及びの私の選んだ作品)を
挿入をし、少しばかりの資料の収集と個人的な感想を入れ編集
シリーズ編 14話で終了です。
ご愛読ありがとうございました。