大丸デパートを出て、天神から地下鉄で大濠公園へ。
日曜日(10月17日)の昼
この日は晴天 お濠の周囲には大勢の家族連れ、若者たちが休日を
楽しんでいる、趣味のマラソンに汗をかく常連たち。
なんとなく、皆さん晴れやかな顔は、やっぱりコロナ明けなのか?
こんな日々がずっと続き、元の生活に早く戻ってほしいと~
リュニューアル後、初めての美術館だ。
お目見えした噂のあのシンボル彫刻も、心地よい光の中にそびえていた。
インカ・ショニバルの大型彫刻作品
(ウインド・スカルプチャー(SG)Ⅱ)*
*セカンドゼネレーション
しかし、シンボルではなく、「パブリック・アート」へと。
みんなに開かれている「交流の象徴」から
「交流をあきらめない象徴」となり、その大きな役割を担う存在に。
福岡市美術館は、この作品を通じて、「ミッションステートメント」
を 「人が美術を通して交流し、未来を創造する場となります」
もちろん 階段をあがると 目に入るご存じ草間彌生の作品も
お迎えしてくれます。
福岡市美術館が収蔵する古美術コレクションの柱である
「松永コレクション」 茶人にして実業家の主。
没後50年を記念しての特別展。
今までも、何回かこのコレクション作品は鑑賞してきました。
今回の企画は、東京国立博物館から、電力中央研究所等からも
貴重な作品を借用しての優れた作品群が一堂に公開とある~
「電力王」と呼ばれ、鬼とも…剛腕を振るう一面、「茶人」としても
その収集力は今日、私たちに「文化」という大いなる財産を提供してくれ
ました。
実業家は「利益」を追うばかりでなく‥‥
その「恩返し」を後世に残し、伝えていく「文化」を遺すことこそ
本来の優れた実業家ではないでしょうか~
近郷の方は皆さん一度はこの」松永コレクション」に出合い、
鑑賞した方も多いのではないでしょうか…
改めてその逸品に触れることにしましょう。
実業家の顔
松永先生肖像 中村研一(1936(昭和11年)
還暦を迎えるころ第一線を退き茶の道に没頭
16年に及ぶ隠居生活の間に茶人としての名声を高める。
松永耳庵老之像 (下絵) 前田青邨 1953(昭和28年)頃
茶の湯
「備前水指」 共蓋 桃山時代
「志野筒茶碗 銘 「露香」
どちらも風格あり、どっしりとして重厚、しかし、柔らかく
心落ち着くような~
備前の灰釉の無骨さや、切込みの鋭さ…
心落ち着くような~
備前の灰釉の無骨さや、切込みの鋭さ…
志野の釉の 優雅さ 上品さ。
手に取ってみたい 柔らかさ、 こんな名品で一口って
そんな夢は~
これは以前から、期待していました。
「器」は、ともかく
織田信長と松永久秀 この二人の出会い、
武将でありながら、茶人。
利休の弟子としても知られる久秀。
権力者としての信長 この葛藤は
私の講演の「権力者の茶道とは」 好きな部分ですね…。
久秀の蒐集・所蔵に由来するとは~
「肩衝」については、時の権力者から次の時代へ
延々と引き継がれていく様は、格好の話題です。
ただの「器」 いや、されど「器」 の物語です。
そして、時代を経て~同じ姓の「松永」が所持するとは?
唐物肩衝茶入 銘「松永」 明時代 15~16世紀
黒楽茶碗 銘「次郎坊」 長次郎 桃山時代 16世紀
この姿の美しいこと~
両手で触れることが…叶いませんでしょうかねぇ~
黒織部筒茶碗 銘「さわらび」 美濃焼(織部焼) 桃山時代
「織部」と言えば、古田織部の登場です。
茶人織部、千利休の後継者と目された茶人・・・
戦国から江戸の時代を生きた武将 大名でもあり茶人でも有名
信長に仕え、さらに秀吉 今までの功績を認められ
ここから「古田織部」と呼ばれるように
利休の 「人とは違うことをしろ」という教えが
「激しく動的で 大胆でありつつ自由な美」を確立していった。
最後は、家康によって切腹を命じられその生涯を終える。
轆轤の味とは違って、手の妙ですね。
偏屈者だから造作できるのかも?
真似して形はできない。 信念こそが織部流。
また、この「釉」の使い方が独特
さらにデザインの斬新さは抜群!
400年も前? 凄いですね。
織部角切透鉢 美濃焼(織部焼) 桃山時代
黒織部沓茶碗 銘 「鶴太郎」美濃焼(黒部焼) 桃山時代
「花籠図」 尾形乾山 江戸時代
兄「光琳」は絵で、乾山は「器」 絵もたしなみました。
芦屋香炉釜 芦屋釜 室町時代1506年
「書」にも腕を~ 晩年の作です
「乾坤一擲」 松永安左エ門 1964年
粋、 洒脱、 さらりと流す 筆の妙~
富士画賛
最後は、松永記念館の華
重要文化財 色絵・吉野山図茶壷 野々村仁清 江戸時代
茶をたしなむとは~
「茶を点てる」には
「絵」「書」「器」「花」「心」
松永氏は 茶道を語る の中で・・・
『 最善を尽くすということがお茶の真理で。
お茶ではもう、「なるように」ということ。
それからお茶をやればおちゃになりきる、それから「まことごころ」で
一生懸命やる、これだけが、まぁ、お茶の信念だからね。
まごころということは、無心ということ。無心ということは、
結局、自分の都合だとか、自分の希望だとかいうようなことを一応はやめてだね、
ほんで、お客をすればお客の心持の良いように、またその時の自分もお客も、
またその時の環境も、ともかく一緒に歩いていけるように、融合するように。
お茶では、それでよく「和敬清寂」といいますがね。
この標語は、
「和」というのは、「やわらぐ」、それから
「敬」というのは、「うやまう」というけれども、
本当は「つつしむ」というのかね。
つまり、人とも環境とも、自分が一緒にこなれて和らいでゆく。
それから、天地万物にたいしてモノを慎んでゆく、愛重してゆくことが
「和敬」だね。 』
コロナ禍で気持ちが鬱々いていましたが、静かに「器」を眺め
書を読み、名画に触れる そんな貴重なひとときが
爽やかに体の芯を通り抜けて言ったような気がしました。
「触れる」ことの大事さ・・・・
一息入れて‥‥次の会場に足を向け 出発!