黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

企画展「電力王 松永安左エ門の茶」を

2021-10-19 | 日記
 大丸デパートを出て、天神から地下鉄で大濠公園へ。

 日曜日(10月17日)の昼 
この日は晴天 お濠の周囲には大勢の家族連れ、若者たちが休日を
楽しんでいる、趣味のマラソンに汗をかく常連たち。
 なんとなく、皆さん晴れやかな顔は、やっぱりコロナ明けなのか?
こんな日々がずっと続き、元の生活に早く戻ってほしいと~

リュニューアル後、初めての美術館だ。

お目見えした噂のあのシンボル彫刻も、心地よい光の中にそびえていた。
  インカ・ショニバルの大型彫刻作品
    (ウインド・スカルプチャー(SG)Ⅱ)*
                   *セカンドゼネレーション
       
 
 しかし、シンボルではなく、「パブリック・アート」へと。
  みんなに開かれている「交流の象徴」から
 「交流をあきらめない象徴」となり、その大きな役割を担う存在に。

福岡市美術館は、この作品を通じて、「ミッションステートメント」
を 「人が美術を通して交流し、未来を創造する場となります」

 
もちろん 階段をあがると 目に入るご存じ草間彌生の作品も
お迎えしてくれます。
       

  

          

   福岡市美術館が収蔵する古美術コレクションの柱である
 「松永コレクション」 茶人にして実業家の主。
 没後50年を記念しての特別展。

  今までも、何回かこのコレクション作品は鑑賞してきました。

 今回の企画は、東京国立博物館から、電力中央研究所等からも
貴重な作品を借用しての優れた作品群が一堂に公開とある~

 「電力王」と呼ばれ、鬼とも…剛腕を振るう一面、「茶人」としても
その収集力は今日、私たちに「文化」という大いなる財産を提供してくれ
ました。
 実業家は「利益」を追うばかりでなく‥‥
  その「恩返し」を後世に残し、伝えていく「文化」を遺すことこそ
 本来の優れた実業家ではないでしょうか~

 近郷の方は皆さん一度はこの」松永コレクション」に出合い、
鑑賞した方も多いのではないでしょうか…
改めてその逸品に触れることにしましょう。

 実業家の顔 
         松永先生肖像  中村研一(1936(昭和11年)
        


   還暦を迎えるころ第一線を退き茶の道に没頭
   16年に及ぶ隠居生活の間に茶人としての名声を高める。

 松永耳庵老之像 (下絵) 前田青邨 1953(昭和28年)頃
   
        


  茶の湯
         「備前水指」 共蓋  桃山時代

        

          「志野筒茶碗 銘 「露香」
   
         

  どちらも風格あり、どっしりとして重厚、しかし、柔らかく
   心落ち着くような~   
   備前の灰釉の無骨さや、切込みの鋭さ…

  志野の釉の 優雅さ 上品さ。
   手に取ってみたい 柔らかさ、 こんな名品で一口って
   そんな夢は~


  これは以前から、期待していました。
  「器」は、ともかく
  織田信長と松永久秀 この二人の出会い、
   武将でありながら、茶人。
   利休の弟子としても知られる久秀。
  権力者としての信長 この葛藤は 
   私の講演の「権力者の茶道とは」 好きな部分ですね…。 
   久秀の蒐集・所蔵に由来するとは~
          「肩衝」については、時の権力者から次の時代へ
    延々と引き継がれていく様は、格好の話題です。
 
   ただの「器」 いや、されど「器」 の物語です。

   そして、時代を経て~同じ姓の「松永」が所持するとは?


      唐物肩衝茶入 銘「松永」  明時代 15~16世紀

         

  
      黒楽茶碗 銘「次郎坊」 長次郎 桃山時代 16世紀

         

        この姿の美しいこと~
       両手で触れることが…叶いませんでしょうかねぇ~
    

  黒織部筒茶碗 銘「さわらび」 美濃焼(織部焼) 桃山時代  

   「織部」と言えば、古田織部の登場です。
    茶人織部、千利休の後継者と目された茶人・・・
    戦国から江戸の時代を生きた武将 大名でもあり茶人でも有名
                                   
    信長に仕え、さらに秀吉 今までの功績を認められ
    ここから「古田織部」と呼ばれるように
                               
     利休の 「人とは違うことをしろ」という教え
    「激しく動的で 大胆でありつつ自由な美」を確立していった。
    最後は、家康によって切腹を命じられその生涯を終える。

   轆轤の味とは違って、手の妙ですね。
     偏屈者だから造作できるのかも?
       真似して形はできない。 信念こそが織部流。

      また、この「釉」の使い方が独特
          さらにデザインの斬新さは抜群!
     400年も前? 凄いですね。           

  
    織部角切透鉢  美濃焼(織部焼) 桃山時代

         

    黒織部沓茶碗 銘 「鶴太郎」美濃焼(黒部焼) 桃山時代

         
  


      「花籠図」  尾形乾山  江戸時代 
 
  兄「光琳」は絵で、乾山は「器」 絵もたしなみました。
 
  
    

         芦屋香炉釜   芦屋釜  室町時代1506年

          

 
  

 「書」にも腕を~ 晩年の作です
   「乾坤一擲」 松永安左エ門 1964年

 

 
  粋、 洒脱、  さらりと流す 筆の妙~

 富士画賛  

 

      

  最後は、松永記念館の華

   重要文化財 色絵・吉野山図茶壷 野々村仁清 江戸時代

   
   

 


  茶をたしなむとは~

  「茶を点てる」には
   「絵」「書」「器」「花」「心」  

      

松永氏は 茶道を語る の中で・・・

『 最善を尽くすということがお茶の真理で。
お茶ではもう、「なるように」ということ。
それからお茶をやればおちゃになりきる、それから「まことごころ」
一生懸命やる、これだけが、まぁ、お茶の信念だからね。
 まごころということは、無心ということ。無心ということは、
結局、自分の都合だとか、自分の希望だとかいうようなことを一応はやめてだね、
ほんで、お客をすればお客の心持の良いように、またその時の自分もお客も、
またその時の環境も、ともかく一緒に歩いていけるように、融合するように。
お茶では、それでよく「和敬清寂」といいますがね。
この標語は、
「和」というのは、「やわらぐ」、それから
「敬」というのは、「うやまう」というけれども、
 本当は「つつしむ」というのかね。

つまり、人とも環境とも、自分が一緒にこなれて和らいでゆく。
それから、天地万物にたいしてモノを慎んでゆく、愛重してゆくことが
「和敬」だね。 』

                           
        

                                                          

    コロナ禍で気持ちが鬱々いていましたが、静かに「器」を眺め
 書を読み、名画に触れる そんな貴重なひとときが

    爽やかに体の芯を通り抜けて言ったような気がしました。
         「触れる」ことの大事さ・・・・ 

       一息入れて‥‥次の会場に足を向け 出発!
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