オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛小間炒め

2016-09-07 | Weblog

9/7(水) 朝から雨が降り出した、未だ小雨だがこれから強くなる可能性も。今夕に、K大兄が人形町におこしになる予定なので大雨になると気の毒、ご来駕願った私の不徳だ。大振りならぬように願うばかり。

大兄は、先週にあった越中八尾の風の盆を見物に行かれた。その時の様子などを聞くのが楽しみだが、メールによる短信だと観光客の姿ばかりが目立ったとのことだが・・・・。

昨夕も予定通りに五時の退社。某社の監査役と、取引先の担当部長T氏からの誘いで一杯会に付き合うことになった。それまでには相当の時間が有るので、先ずは慣らし運転と云うことで「ちょっぷく」で悪徳チャンを相手に本番前のトレーニングとなった。

事務所移転のことは悪徳不動産に任せているので、昼前に申し込をしたビルのことなどを肴に白ワイン・生ビールなどを飲っていた。道路から見える席に居た、通りかかった弊社のI女史が目敏く見つけて入って来た。少し話をしたかったようだ・・・・・。私と悪徳屋に挟まれながらも、流石強者の女史だ。貫録で圧倒してくる。こっちはタジタジで隅にガブリ寄られだった。女史と小人には勝てません! 。

途中で佐賀から上京したNAKAMURA大将が顔を出し、お土産の粕漬けを置いて行った。何時もながら、豆にお土産を持参される。月に二度は佐賀の往復、その度のお土産だから頭が下がります。ありがとうございます。

女史が引き揚げた後、ちょっと「ローカーボ」で軽くとなった。ハイボールを飲み雑談をするうち先約のことを思い出した。HOYA兄いとNAKAMURA大将を交えて、秋の小旅行「オヤジ旅 Ⅱ」の企画担当を任じる悪徳チャンは、今夜あたりに詰めをしたかったはずだが・・・。そんな訳で、オイラは一抜けとなった。

                            

結構酔いがまわっていた、電車に乗ると眠ったしまったからね。目的地の品川でようよう降り、線路わきにあるご指定の居酒屋へ。ここではハイボールを飲むのが精いっぱいだった。早々に切り上げとなった。そう、お酒は22時までがモットーだからネ、三日坊主にならぬようにしなければ・・・・。インディアン嘘つかない! 偶にしか? 。

深夜に目覚めた。目覚めて、明け方かと思いきや午前3時30分。幾らなんでも早すぎるぜ、眠ろうとするが寝付かれない。右左に体を動かし、寝返りをする。エヤコンを点けて涼しい風を・・・・。そんなことをしながら、再度の眠りまで一時間程要したようだ。

次に目覚めると、七時に十分前だ!これや遅い。大急ぎで蒲団をはねのけ、台所へと一目散。先ずはご飯ご飯と、米を磨ぎスイッチを入れる。これが一番時間を要すのだ。所要時間40分、長女が弁当を取りに寄る時間ぎりぎりで炊きあがるだろう。そうなのだ、今日から長女も弁当持参なのだ。

今日のメニューは「牛小間炒め」味付けは、塩胡椒だけだ。この牛小間は旨味がある肉なので、この方が美味いだろう。煮物を炊こうかとも思ったが、取り止めて牛小間に副える、野菜炒めにした。そして、マグロのブツを醤油・酒・生姜で漬けた炒め焼き。

                           

人参とジャガイモ・茹卵のパスタサラダ風、卵焼きで完成にした。これだけでも、弁当箱に納めるのに一苦労だ。以上で、弁当二つが完成。7時35分であった。

                       

                           全部同じ弁当だよ!

  ― ひと事 -

サラリーマン時代のひと事と云うと、人事のことであった。所謂、人事異動と云うやつが定期的にある。サラリーマン時代は、一番長くて三年、短い時は二年弱で担当業務を職場を所属を転々としたが、所詮は同じ会社の中だ。誰かがやってきたことを引き継ぎ、事務処理をこなすだけのことだ。が、経験を積んでくると、その中で自分なりの創意や工夫をする。それが仕事の面白さになるのだ。

だんだんとポストが上る、或いは人事担当に就くと人事に携わるようになる。担当者であれば、単に事務処理をさせられるだけだが、上司として人j責任者として携わるようになると、そこにはポリシーがなくてはならない。人事異動で一喜一憂するのは、誰しもだ。

昇格人事や、次のステップに繫がるポストに就く者は喜び、所謂横移動と呼ばれるポストの辞令が出ると、意気消沈しやる気を削がれる。全員が昇格する、或いは将来が開けると思う人事異動はない。ないのだが、それで組織人としての可能性が閉ざされるわけじゃない。新しい職場で、仕事で頑張っていれば、何時かは花開く時が来る。

これは奇麗ごとで言うんじゃないよ。人の評価は一人や二人の上司だけがしている訳じゃない。目に見える、見えない所からいろん人が見ている。一時、陽の当たらぬ場所に行こうとも、誰かが見ているから。落ち込んでふて腐ってしまえば、それが評価になる。嫌だと思った仕事でも、頑張っていれば次のチャンスが来る。だから、どんな時も明るく元気に前向きに考え、行動することさ・・・・。

そんな言葉を何人かの部下に掛けたことがある。私の力及ばず、昇格させてやれないままに人事移動の辞令を渡す際に・・・・。私自身も意に沿わない辞令を貰ったことが四度あった。その中で一度だけ抵抗したが、駄目だった。人事だからネ。その時は会社を辞めようと思い暫く悩んだ。半ばふて腐っていたね・・・。この年の、僕の評価は悪かった、当然ながら。

でも辞められなかった、職業人としてプロフェッショナルとしての自信が無かったから。あのバブル時代は、ヘッドハンティングの会社から何度か電話を貰ったが、会うことはなかった。プロとしての能力に自信がなかったから。これは正解だったろう。今こうして平和に、グータラと生きているんだから。

四度の不満な人事異動も、結果的にはすべて良かった。無駄にするものは何もなかったし、新たな出会いや発見、遣り甲斐のあるものにたくさん出会えたのだ。人生に無駄なし!無駄にしない生き方をすべし。と、若い人が悩んでいると伝えることにしている。体験的教訓として。

会社人としてよりも職業人(プロフェッショナル)としての生き方、これを望んでいたが。所詮は、使い勝手だけを求められ、それを武器に泳いできた会社人間としての人生。「自分の足で立って生きよ」これを実践する為にサラリーマン生活に終止符を打ったが。未だ、そのサラリーマン時代の会社や皆さんに支えられている。

 

人事のことに戻るが、自分自身の体験も踏まえて心掛けてきたのは「引導を渡してやる」と云うことだった。なぜ、こう云う人事をするのか、こうなったか、これからのこと、どうあるべきか。ショックであろう人事であればあるほど、早くから話をし、予見を与えるようにしてきた。人事担当の鉄則は、辞令を出すまで秘密だったが。こっちは、そんなことはくそ喰らえだ。人を生かすことの方が大事なんだと。

私が人事の原則としていたのは『個の成長と職場の活性』であった。人事異動により、その人の成長にどう役立つか、職場の活性と強化になるか、そんな視点で人事と云う仕事を考えていた。この双方が成り立つ人事移動がベストだが、何れかでも良しとした。当時の私の部下たちがどれだけ理解していたかは?だが。

そう云えば、その当時の人事担当だった一人と来週一杯やる予定がある。訊いてみるか・・・。尤も、彼は今、有力な取引先の役員になっているが。

昨夕、居酒屋で交わした女史のとの会話から、古い思いで話になってしまった次第。

 

 

 

 

 

 

コメント
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