オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

モナリザ会

2016-02-09 | Weblog

2/9(火) 昨夜、銀座にあるクラシックなカフェ「モナリザ」で、モナリザ会なる集いがあった。この会へは、二度目の参加。会の呼び掛け人は、中央区で区議として長年の実績があったTAKAHASHIさんである。氏は、昨春の区長選に出馬したが、残念ながら涙を飲んだ。会の参加者は、氏の支持者や知人・友人であろう。

集ったのは30人弱と思われるが、モナリザの地下のテーブルが参加者で一杯になった。一人づつ近況を披露した後は、軽食を摘みながらビール・ワイン・焼酎と、飲みものを手にテーブルを移動して挨拶や、自己紹介で盛り上がった。二時間ほどの会であったが、意義のある時間を過ごした気がする。

九時ごろにお開きとなり、そのまま日比谷線に乗って帰ればいいものを・・・・。昼間のマッチャンとのFBでのやり取りを思いだした。彼は、日曜日の一日断食が明けて、今夜は前日の分まで取り返す所業だと。『今夜は銀座だ』と、返信をしたが、未だ飲み足りない気分であった。銀座の店に、一人飲みに行くのも味気ない・・・。

結局、ホームグランドの人形町に戻ることにした。幸いにもマッチャンは、「ローカーボ」で佐賀の御大やミヤケッチなどの常連と気焔を上げているとのことだ・・・・。向かう途中で、松山に居るはずのKATUTA君に電話を入れると・・・・。

電話に出たカッちゃんに、『おーい、元気か?なにしてんだ 』と訊く。と、「元気、元気、今は家でテレビ見てますよ」の返事だ。話を聞くと、三月の予定を早めて、一月末で退職し、自宅のある久万高原町に戻っているとのことであった。手術後の経過も良いとのこと、なによりだ。

久万高原は、松山市内まで車で一時間ほどの、高知県との県境に近い山の中に開けた町だ。彼は自宅を、この町の山懐に建てている。松山の一人暮らしから、奥さんが待つ久万の実家に戻ったのだ。数年前に訪れたことがる、彼の自宅や周りの風景が浮かんだ。自宅の隣に、広い畑も購入していたが・・・、百姓やるのかな? 猪や鹿がひっきりなしに出没しそうだが・・・。

そう遠くないうちに、彼の顔を見に行かなくちゃ。我が後輩であり、同志。帰省の折にでも我が愛車をすっ飛ばして行く手ももある。運転には自信が・・・・・ないが。

 

「ローカーボ」は、常連メンバーがカウンターに陣取って賑わっていた。マスターは心なし、パワー不足気味?エネルギー切れの様子だったが。

                           

 

ひとしきり騒いだ後、マッチャンと「セイジュ」へ向かうことになった。暇にしているようなら、婆さんママの(酷い言い方だ。この発言は取り消し)顔を見て、一曲唄っていくことに。客の姿なし、最近HOYA兄いも顔を出してないとかで、店内の空中には閑古鳥が数羽舞っていた・・・。オイラたちのボランティアで、今夜の電気代と電車賃ぐらいは賄えたか? 。

歌の方は当然「夜明けのブルース」だろう、”ここは松山二番町の店・・・・” と。カッちゃんが、松山を離れたのは淋しい、マイクの取り合いができず。久万高原の田舎町に、スナック在るかな?。我が、安田町にはないぜ、自慢じゃねえが!

マッチャンと二人遊びをしている内に、23時になった。引き上げ時だ、と店を後にする。途中の「ちょっぷく」で一杯飲むつもりが・・・、なんと店の灯りは消え、ドアは固く閉まったまま。オイラは帰ることにした。次の店、「おたぬきさん」に向かうマッチャンに手をふって、メトロの階段を下りた。零時に十分前の帰宅であった。

 

今朝も第一回目の目覚めは五時半、それから一時間程蒲団の中で愚図愚図と過ごし、六時半の起床。昨日の朝と同じ時間帯である。今日のメニューは「牛煮」がメイン。牛小間に、タマネギ・ネギとシメジが入る。干し椎茸を戻しておけば良かったと、後の祭りだ。

                          

卵料理は、ジャガイモの千切りと刻みシメジが入る「オムレツ」にした。魚は「秋刀魚の丸干し」、野菜は「小松菜と油揚げの胡麻炒め」である。以上で、今朝は二人分の弁当だ。

                        

                             河津桜が三輪に・・・

長女の弁当は「牛丼風」に、家人は丼弁当を嫌がるので、焼秋刀魚が防波堤のように横たわった。

 

 

 

 

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