Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

徳林院(2015年10月10日参拝)

2015年12月08日 | 仏閣


浄土宗寺院大公開の本番が始まりました。(^^

タキモト銘酒館近くの寺町界隈では多くのお寺が公開されます。

ただ10時から12時までしか公開されないお寺が多いので、
時間との勝負でもあります。(笑)


そこで参考にさせていただいたのがアマデウス様のブログです。
http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka/e/8f579c1ff4c3457bcac465e6a7c2c144

アマデウス様によると徳林院と新善光寺は御朱印で、
かなり時間がかかるとかで、徳林院から参拝することにしました。



所在地:京都府京都市下京区富小路通五条下る本塩竃町556 
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明



【山門・本堂】


京都市内によくある一般の家みたいで、
お寺があるにも関わらず通り過ぎてしまったほど。(^^;

当然駐車場はありませんので、
近くの有料駐車場に車を停めました。


【内陣】




着いたのが10時20分と出遅れたので、
目ざとい参拝客で狭い本堂内はいっぱい。

お寺の本堂というより、
古くてしがない病院の待合室みたいな感じでした。(笑)


【御本尊】


御住職が出てこられ、
「撮影はバンバンしても構わないけど、お参りしてから撮ってね。
私も神社に行くと写真撮ったりしてますから。(笑)」と有難いお言葉。(^^

というか、御住職は神社に参拝して写真撮ってるのね。(笑)

こういう御住職ばっかりだったら良いんだけどね。


信仰の対象だから撮影禁止というお寺とかあるけど、
その意味が分からん。

何で信仰の対象だと撮影したらアカンのよ。(苦笑)

写真を撮ることが失礼にあたるとは思えないし。


【仏像】



【御供物】


ありがたや。


【御朱印】


御朱印対応に慣れてないからか、
段取りが悪く30分以上待たされました。

他の参拝者さん達は本堂内でずっと待っておられましたが、
時間が勿体ないので歩いて数分の新善光寺を参拝してました。(^^

当然、こういうことは想定内なので、
御朱印帳は2冊持ってきてましたよ。

武信稲荷神社(2015年10月10日参拝)

2015年12月08日 | 神社
善想寺から歩いて数分の場所に鎮座しているのが、
武信稲荷神社という神社。

これだけ京都市内に行っていても、
まだまだ知らない神社が多い。

この神社もまた今回初めて知りました。



所在地:京都府京都市中京区今新在家西町38
御祭神:宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神
創建:貞観元年(859)



【由緒】
平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859年)2月、西三条大臣といわれた
右大臣左近衛大将藤原良相公によって創祀された御社であります。

平安時代の古図には三条から南の神社付近一帯の広い地域は、
「この地、藤原氏延命院の地なり」と記されています。

延命院とは藤原右大臣が人々の健康長寿を願って創設した医療施設であり、
延命院と勧学院の守護神としてお祀りした神社であります。

平安京の大内裏は今の千本丸太町を中心としたところであり、
現在の千本通りが朱雀大路にあたり、
神社付近は貴族の邸宅や平安京の中央諸官庁があった地域です。

後世、藤原武信という方がこの御社を厚く信仰し、
御神威の発揚につとめたので、武信稲荷と称されるようになり、
創祀以来一千年余にわたり広く人々に信仰されて今日に及んでいます。

また創祀された藤原良相公が長として、
一族の名付けをされていたことから、
名付け・命名に所縁の神社として知られています。


【鳥居】


鳥居横に無料駐車場がありました。


【駒狐】





【朱鳥居】



【拝殿】


ひっそりと静かに佇む神社のようですね。


【幣殿】





【本殿】



【天満宮・金毘羅宮】



【狛犬】



【エノキ】





【境内社】





【宮姫社】



【常吉大明神】


能勢妙見山と刻まれてますね。


【題目石】


神社でこれを見れるとはレアですね。


【白蛇大辨財天】



【伏見遥拝所】



【起上大明神】



【御朱印】



この神社には坂本龍馬とおりょうが何度も訪れていたそうですね。

まぁ、私の専門は戦国ですから、
幕末や龍馬には全く興味が無いのですが。(^^;

善想寺(2015年10月10日参拝)

2015年12月07日 | 仏閣
正運寺の裏側にあるのが浄土宗寺院大公開のお寺である善想寺。

こちらは9時から開いていました。

駐車場は境内に数台分停めれます。



所在地:京都府京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町240
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天文11年(1542)
開基:想阿善悦上人



【縁起】
善想寺の開基想阿善悦上人は天文11年(1542年)、
洛西疏圃の地を開拓し、一寺を建立し法名の1字をとって善想寺とした。

浄土宗を弘通し頗る仁慈の徳望家であり上人に帰依せし人々は、
上下の別なく何万人に及んだという。

天正9年5月20日(1581)70歳にて寂せらる。
その翌年、孫弟子の法春上人が現今の地に善想寺を再興される。

法春上人は19歳にて鎌倉光明寺に入り浄土教義を究められた。
天正10年(1582)、上人25歳のときに秀吉公の招に応じて入京、
浄土教を弘め、同年6月大徳寺内 総見院における織田信長公の大葬の時、
多くの名僧中に加わり法要を営む。

天正10年10月帝都の復興に手をつけられた秀吉公の命により、
六角大宮、善想寺を再興された。


【山門】



【泥足地蔵尊】




伝教大師最澄上人自らお彫になった一刀三礼の霊像とか。

大師亡き後は滋賀県坂本村に祀られていましたが、
天正15年(1587)の3月23日、善想寺開山正誉上人と御縁があり、
このお寺に祀られるようになったそうです。


【本堂】


9時10分頃に着くとすでに5人程が本堂に上がって、
御住職からいろいろ説明を受けていました。




御住職が御朱印対応で奥の部屋へ入ったきり、
全く出て来られなくなり、写真撮影の可否を確認出来なかったので、
写真は撮れませんでした。

画像はオフィシャルより拝借したものです。


浄土宗寺院大公開のお寺は、
京都秋の特別拝観のように学生さんの説明は無いので、
ちょっと寂しく感じました。


御住職が墨書きに時間がかかりますよ、と仰ったように、
結構時間がかかりましたので仏様を堪能させていただく。


【御本尊】


阿弥陀三尊像。

脇段には善光寺式阿弥陀三尊像や法然上人像等が祀られていました。


【阿弥陀如来】


今から840年前、善想寺のあるこの場所は「後院」と呼ばれた地で、
後院とは天皇の譲位後の御所のこと。

天元3年11月の大内裏炎上の後、
円融天皇は四条後院に行幸され一時皇宮となった場所。

この石仏阿弥陀如来はこの後院の中に祀られていた由緒ある石仏です。


【御朱印】


9時20分にもなると結構な人数が参拝に来られていました。

朱印を頼む人も多いので御住職も大変だった模様。

このお寺は普段からも参拝出来るようですが、
これほどの御朱印を対応するのは初めてだったんじゃないかな。(^^;

正運寺(2015年10月10日)

2015年12月06日 | 洛陽三十三所観音霊場
先週は宮津の浄土宗寺院大公開寺院に参拝。
本日は京都市内にやってきました。

特別公開する寺院は10時からが多いので、
その前に洛陽の札所である正運寺へ参拝です。

今年中には何とか満願達成したい。

駐車場は5、6台分の無料駐車場がありました。



所在地:京都府京都市中京区蛸薬師通大宮西入因幡町112
宗派:浄土宗鎮西派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長5年(1600)
開山:深誉上人
開基:飯田覚兵衛尉重氏直景
札所:洛陽三十三所観音霊場


【縁起】
正運寺は加藤清正公重臣である飯田覚兵衛尉重氏直景を開基として、
深誉上人を開山とし慶長五年(1600)に創建されました。

観音堂に安置されている十一面観世音菩薩像は、
大和国の長谷寺の御本尊と同木と言われています。

江戸時代の天明八年(1788)、天明の大火により焼失してしまいましたが、
その後再建されました。

かつて正運寺の観世音菩薩を信仰した身重の女性が、
この寺で無事に出産した事から安楽寺と呼ばれ、
女性の信仰を集めていると伝えられています。


【山門】


山門は見ての通り、ここから入ることは出来ません。

これは札所なのに一般を排他するお寺なのかと身構える。
こういうウェルカムを感じないお寺は嫌なんよね。


【入口】


ここから境内に入るようです。

こりゃアカン、一般人は絶対入れないわ。(^^;


【本堂】


はい、完全に閉まってます。


【観音堂】




洛陽の札所となっている観音堂です。

さすがに衆生の民が救いを求める観音さんのお顔を見せないのは、
全くもって有り得ないので、見れて良かったです。(^^


【仏像】



【稲荷社】





【供養塔】



【庫裏】



【御朱印】



洛陽の札所って大きい有名寺院と無名の小さい寺院の落差が激しい。

しかも小さい寺院は閉鎖的なところ賀多い。

札所じゃなければ参拝することは無いであろうお寺だから、
せっかく御縁があってもこれでは。

なんだかなぁ。(阿藤快さん風)

合掌。

熱田神宮・御朱印帳

2015年12月06日 | 御朱印帳
デザイン的に好みではないが、
ちょうど御朱印帳が尾張かけ、いやもとい、
終わりかけだったので購入したもの。





サイズ:16センチx11センチ
値段:1000円(御朱印代別)
紙ケース付き。

写真写りが悪くて申し訳ないが、
画像よりはもう少し緑が濃いです。



【感想】
一ヵ所だけ少し墨が滲んだ箇所がありましたが、
これは普通より濃く書かれたからであって、
普通に書いてくれれば裏写りはありません。

ヨレも許容範囲で予想より紙質は良いと思います。

この値段でこの紙質はさすが神宮と言えるものですね。

矢田寺南僧坊・御朱印帳

2015年12月05日 | 御朱印帳
矢田寺南僧坊の授与所で偶然見かけ、
思わず衝動買いしてしまった御朱印帳です。





サイズ:16センチx12センチ
値段:1200円(御朱印代別)




【感想】
アジサイがあしらわれたデザインが素晴らしい。

萬福寺で御朱印を対応してくださった女性も絶賛してました。


経験上、デザインが良いのに限って紙質がダメなのが多いけど、
あんまりヨレないし、裏写りも無い。

使ってみると予想以上に使える御朱印帳でした。

惜しむらくはサイズが小さいことですね。

18センチじゃないと貼れない書置きが結構多いから、
16センチだとカットしないと貼れないから。

やはり大は小を兼ねる。

日出神社(2015年10月4日参拝)

2015年12月05日 | 神社
念願の但馬大仏を参拝し、
帰宅の途についていると重要文化財の文字を発見。

良く見ると日出神社の本殿が国の重要文化財と書いてある。

疲れてるけど行くしかない。(笑)



所在地:兵庫県豊岡市但東町畑山329
御祭神:多遅摩比多訶神
創建:不明
社格:村社


【沿革】



【鳥居】



【本殿】






個人的にはしびれるようなものでは無いが、
なかなかのものでありました。


【狛犬】



【境内社】


御祭神不明。

稲荷社かな?


【恒良親王御旧蹟】


恒良親王は御醍醐天皇の皇子。

元弘元年(1331)後醍醐天皇の2度目の挙兵計画(元弘の変)が、
失敗して鎌倉幕府に捕らえられ、但馬国に配流されるとある。

この石碑があるということは、
この神社の境内に幽閉されていたんだろうか。


これにて本当に本日の参拝終了。

やっぱり知らない土地で参拝するのは楽しいな。

長楽寺(2015年10月4日参拝)

2015年12月04日 | 仏閣
本日のメインである但馬大仏で有名な長楽寺へ。

このお寺は越前大仏を建立した相互タクシー会長が、
とんでもない伽藍をこの地に建立したもので、
建設費の数百億円を私財から捻出したというから驚く。

それだけの費用がかかっている伽藍を、
自分の目で見たくてやって参りました。



所在地:兵庫県美方郡香美町村岡区川会642
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師瑠璃光如来
創建:伝・天平年間(729~749)
開基:伝・行基菩薩
札所:宝の道七福神霊場、但馬七福弁財天霊場



【縁起】
当山の歴史は今から約1280年前、行基菩薩の諸国巡歴の際、
山陰道の要所であったこの地に足を止め、疫病と貧窮に苦しむ人々を救い、
国家を安寧ならしめんが為に、菩薩みずから一刀三拝して彫刻した
薬師仏の尊像を安置せられたことに始まります。

天平9年(737)には六坊及び三重塔の七堂伽藍が創建され、
八鹿山薬師寺と称しました。

延暦年間には弘法大師も訪れたと伝えられる由緒ある古刹です。

創建当時山頂近くにあった伽藍は天文年間の洪水災害によって流失し、
天文11年(1542)現在の位置に再興して寺号を川会山長楽寺と改めました。

爾来、病患を救う霊験あらたかな薬師如来の霊場として民や領主の尊崇を受け、
その荘厳さは各地より訪れる参詣者を驚かせたと伝えられています。

寛文・明治の度重なる火災によって三重塔・楼閣・僧坊・仁王門等、
多くの堂塔・文化財を焼失するも、その都度再興。

昭和61年、相互タクシー(株)会長・多田清翁による大仏寄進の発願があり、
着工より約7年の歳月を経て完成。

平成6年4月17日、高野山ならびに諸山の大徳をお迎えして、
但馬大仏開眼法要が厳修されました。


【遠景】


宮津から城崎や出石といった観光地を過ぎて走ること80キロ。

見ての通り山奥にあるお寺まで、
さすがに遠かった。(^^;




少し離れた場所から見ても伽藍の雄大さが分かる。


【風景】


はい、めっちゃ田舎です。(笑)




ようやくお寺に到着しました。

デカい。(笑)

駐車場は無料でした。


【大門】




個人的に好みの山門では無いが、
立派なのは確かです。


【仁王像】


ちょっとコミカルな仁王さんです。

髭のはえてる仁王像は初めてみました。(笑)


【境内】


少々高めの拝観料800円を支払い境内へ。

ちなみに5月の「但馬大佛はなまつり」の時は拝観料無料で、
甘茶とおはぎの御接待もあるようです。
正月三が日も拝観料無料。


境内に目をやると真ん前の大仏殿が嫌でも入ってくる。

デカい。


【五重塔】


高さ70メートルのコンクリート製。

なかなか綺麗である。


【大仏殿】


デカ!

新興宗教っぽいというか、
古刹の雰囲気ゼロです。(苦笑)

お金持ってる人は何でもデカいのを造りたがるよね。(^^;




早速大仏殿内に入ってみた。


【三大佛】






デカい。

どっから見てもデカい。(笑)

中央に釈迦如来、向かって右に薬師如来、左に阿弥陀如来が、
ドーンと鎮座しており、その迫力は実際に見てみないと分かりません。


如来様のお顔を見るとあんまり威厳が無いというか。
日本人の好みのお顔では無いのは間違いない。

タイの寺院にあるような仏像のお顔をしてますね。




釈迦如来。




薬師如来。




阿弥陀如来。

この三大佛は中国の仏師をはじめ、
延べ2万人と約3年の歳月をかけて造られたものとか。

これほどの規模の仏像は加東市の無量壽寺を思い出しますね。


【千体仏】


壁面に大理石造の千体仏。

これまた壮観です。


【石仏】


50万はさすがに高いわ~。(^^;






三大佛の裏側に安置されていました。
これは奉納されたものとは違うようでしたね。


【修行大師像】


弘法大師で間違いないでしょうか?(^^;


【薬師堂】


本堂にあたります。

嬉しいことに堂内に入れます。




7年に一度の御開帳がある秘仏薬師瑠璃光如来が祀られています。




不動明王を中心とし諸仏が祀られていました。

こちらで散華と御札をいただきました。


【回廊】



【石庭】



【五重塔】




こちらの五重塔は嬉しいことに最上階まで登れます。






各階には大理石の石仏が安置されていました。




エレベーターは無く、階段で登ります。

エレベーターがあると将来的に文化財指定が出来なくなる為、
あえて設置してないのかな。

いや、ただ単に電気代が勿体無いからだと思われ。(^^;


【大仏殿】


屋根と鴟尾を上から見ると東大寺の大仏殿をマネて、
造られていることが良く分かります。


【風景】





【金銅仏】


最上階に祀られていました。


【金言】



【不動明王】


初層の裏側に祀られていました。


【多田清翁像】



【大仏殿】


もう一回、三大佛を見に行った。

やっぱりあのデカさは驚異的。




写真の右下に女性が写っているのが見えるでしょうか。

その女性を見るといかに大仏がデカいのか、
お分かりいただけると思う。


【鐘楼堂】



【弁天堂】



【境内】



【御朱印】



【感想】
伽藍は確かに凄かったが、
そのデカさ故にどこか胡散臭さを感じたのも事実。

ただ新興宗教にありがちな排他的な雰囲気は無い。
拝観料はともかく、気軽に参拝出来るお寺です。


それにしても自分が儲けたお金を惜しげも無く、
このお寺と越前大仏にかけるのだからタクシー王は凄い。

普通ならそこまでの金額は投資しない。

その点はとても尊敬出来ます。

しかしそれだけ儲けているんだったら、
タクシーの運転手さんに給料としてもっと分配してほしいよね。

運転手さんの年収なんて安いもん。

如意寺(2015年10月4日参拝)

2015年12月03日 | 関西花の寺二十五霊場




海が見たくて久美浜湾に来ました、というはずも無く、
道を間違えてしまったんです。(^^;

でも海を見てると落ち着く。

やっぱり海はええわ~。(^^

で、もっとええことがあった。

それは以前から訪れたかった如意寺の前を偶然通ったんですよ。

今回は完全に忘れていて参拝する予定はなかったのに。
こんなこともあるんですね。

これはきっと観音様が私を呼んでいるに違いない。(笑)



所在地:京都府京丹後市久美浜町1845
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平年間
開基:(伝)行基菩薩
札所:関西花の寺二十五霊場、丹波西国観音



【縁起】
当寺は天平の頃、行基菩薩が開基された行基ゆかりの寺です。

鎌倉時代、伏見天皇は如意寺に深く帰依され、
「如意寺」の墨書の勅額を下賜されたことからもわかるように、
古来、病気平癒・心願成就・厄災消除など、萬人帰依の祈願寺として、
今日に至っています。

日本で唯一の建築様式である「重層宝形造」の不動堂に祀られる
「日切不動尊」は特に有名で、所願成就のご利益で広く親しまれ、
終日香煙の絶えることがありません。

当寺はまた関西花の寺25霊場の第七番札所で、
一年を通して境内周辺に咲く数百種の四季折々の花木や草花を楽しめます。


【仁王門】


海に向かって堂々と建っている印象的な門です。

仁王門横と前に無料駐車場がありました。


【曼荼羅宝壺】



【境内】




花の無い時に訪れるゴマラーらしく、
今回も花は何も咲いていないようです。(笑)


【庫裏】


庫裏の前に拝観料を入れる集金箱があったけど、
あれでは拝観料の集金漏れもあるかと。(^^;




掛け軸を見ると、祀られているのは恵心僧都作の阿弥陀如来かな。


【手水舎】



【六体地蔵】



【子安地蔵】



【地蔵尊】





【本堂】




行基菩薩作と伝わる十一面観音菩薩は秘仏でした。


【閼伽井】



【不動堂】




一見、多宝塔に見えるが不動堂です。

こんな不動堂は初めて見ました。
これが日本で唯一の重層宝形造かぁ。

これはわざわざ見に行く甲斐があるというもの。

弘法大師爪彫りと伝わる日切不動尊が祀られていました。


それにしても弘法大師や行基菩薩、恵心僧都と、
錚々たる高僧の作と伝わる仏像ばかりだなぁ。

まぁ、あくまで「伝」ですから、
全てが真実とはいえないのでしょうけど。


【六角堂】





【宝篋印塔】



【鐘楼堂】





【御朱印】



【久美浜湾】


もう一度、海を堪能して但馬へ。

乙女神社(2015年10月4日参拝)

2015年12月02日 | 神社
もう少し宮津界隈の寺社を巡ってみたかったけど、
本日のメインである但馬大仏へ向かい312号線を走る。

あのタクシー王が伽藍を建立したといえば、
伽藍好きで知らない人はいないはず。

宮津から約80キロもの距離もなんのその、
頑張って飛ばしますよ。(^^


城崎方面へ京丹波市を走っていると乙女神社という看板発見。

何?乙女?

残念ながら今や絶滅危惧種の乙女ですか!
これは行くしかあるまい。(^^

男はいつの世も乙女に弱いのです。(笑)


あ、絶滅寸前の乙女ですが、
私の姪っ子が乙女でしたわ。(^^



所在地:京都府京丹後市峰山町鱒留蛭子堂433
御祭神:豊宇賀能賣神
創建:不明


【由緒】


比冶の里に三右衛門という狩人が住んでいました。
ある日、三右衛門はいなさご山の頂の池で水浴する八人の天女を見かけ、
その羽衣の一つを隠しました。

三右衛門は羽衣を隠された天女を連れて帰って妻とし三人の娘をもうけました。
天女は農業や養蚕、機織り、酒造りが上手で、
この家はもとより比冶の里は大層豊かになりました。  

しかし、天恋しさに耐えかねた天女は、
三右衛門の留守に娘達から隠し場所を聞き出し、
大黒柱の穴にあった羽衣を身につけると、
外から駆け戻った三右衛門に「七日七日に会いましょう。」と、
再会を約束して大空に舞い上がっていきました。

乙女神社は天女の娘の一人が祀られており、
お参りすると美女が授かるといわれています。


【風景】


神社方向へ行けばいくほど長閑になっていく。

神社を思いっきり見逃して更に山奥に進んで行き止まった件。(泣)


【全景】


こんな辺鄙な場所にも関わらず、
「天女の里」というコテージとキャンプ場がありました。

ここの前に神社は鎮座しております。


【鳥居】



【境内】




もっと乙女チックに飾られているのかと思えば、
いかにも山奥にある無人の神社ですね。


【本殿】




うん、こんなもんでしょう。(^^;


【八柱神社】




御祭神:豊受大神、御伴神


【吉野神社】




御祭神:大山祇神、火産霊命


御朱印は無いと思われます。


もし京都市内や嵐山・嵯峨野に乙女神社という神社があったなら、
パワースポット好きの女子が集まるでしょうね。

嘘でも「女性の願いを1つだけ叶えてくれる」と、
口コミやSNSで噂が広がれば鳥羽の石神さんのように、
女性が長蛇の列をなして並ぶことでしょう。(笑)

山王宮日吉神社(2015年10月4日参拝)

2015年12月01日 | 神社


如願寺境内の横に鳥居があった。

よく見ると単なる鎮守社ではない神社を発見。
全く知らなかった神社であったが、
知ったからには行かねばなるまい。


所在地:京都府宮津市宮町1408番地
御祭神:大己貴命、大山昨命
創建:平安時代
社格:県社


【由緒】


宮津郷の総産土の神とされ古来より山王社と呼ばれる。

山王社の起源説はいろいろとあり、其のいずれもが平安期まで遡り、
江州坂本より勧請されたものとある。

平安時代初期の延喜式神名帳にも、
宮津で唯一登載されています宮津最古の神社です。

大己貴命、大山昨命の二柱をお祀りし、国造りの神であるところから、
宮津藩守護紳として歴代藩主の厚い崇敬を受け、祭礼が続けられてきた。

宮津開府以来、山王祭は藩祭、国祭りとして盛大な祭り絵巻を繰り広げ、
特殊神事として、六十一年毎に甲子大祭が執り行われている。

江戸時代に入り歴代宮津藩主は山王宮を、
宮津の総氏神として藩の守護神となる。

御本殿や幣殿、そして神輿や石灯籠まで藩主により再建、
造営され神域中心に主神として祀られます。

境内には七社の神社があり、摂社杉末神社は延喜式内社として、
千有余年の歴史を持ち、旧城下においては最古の神社である。

大物主命、少彦名命をお祀りし、宮津西町の氏神とされている。


【境内】


お~、これはまた立派な社殿が立ち並んでいるじゃないですか。

これは当たりですね。(^^


【拝殿】


天保5年(1834)藩主本荘宗發により創建されたもの。




武神というのがカッコいいね。


【幣殿】



【本殿】


本殿は貞享5年(1688)藩主阿部正邦により再建されたもの。


【灯篭】


これはUFOですか?(笑)


【狛犬】



【琴平神社】





【境内社】



【祓所】



【杉末神社】





【船魂神社】


御祭神:猿田彦命


【漱玉亭庭園跡】


京極氏により造られた江戸初期の庭園跡。

藩主は池を掘りその上に巨石を組み合わせて川の水を引いて滝を造り、
それ以後この山を滝上山と呼ぶそうです。


【神馬】



【歳徳神社】





【山神社】


デコボコとした石段の上には境内社があります。




実に簡素な境内社です。




上から見るとこんな感じ。

降りる時は結構怖かったよ。


【狛犬】



【神馬舎】



【初土俵入】


化粧廻しを付けた幼児が見えない神様を相手に相撲を取るという、
神事がこの土俵で毎年体育の日に行われます。

他の地域は知りませんが、
関西ではニュースで放送されるので、
見たことがある人も多いでしょう。




神様と相撲を取り神聖な土俵の砂をお尻に付けると、
健康を授かるとされています。


【鳥居】


線路の向こうに鳥居があります。

高架式線路となっている為、神輿が通るのが結構大変らしい。


【御神木】





【神輿庫】




これは綺麗。
めっちゃ煌びやかな神輿ですね。


【御朱印】