正運寺の裏側にあるのが浄土宗寺院大公開のお寺である善想寺。
こちらは9時から開いていました。
駐車場は境内に数台分停めれます。
所在地:京都府京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町240
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天文11年(1542)
開基:想阿善悦上人
【縁起】
善想寺の開基想阿善悦上人は天文11年(1542年)、
洛西疏圃の地を開拓し、一寺を建立し法名の1字をとって善想寺とした。
浄土宗を弘通し頗る仁慈の徳望家であり上人に帰依せし人々は、
上下の別なく何万人に及んだという。
天正9年5月20日(1581)70歳にて寂せらる。
その翌年、孫弟子の法春上人が現今の地に善想寺を再興される。
法春上人は19歳にて鎌倉光明寺に入り浄土教義を究められた。
天正10年(1582)、上人25歳のときに秀吉公の招に応じて入京、
浄土教を弘め、同年6月大徳寺内 総見院における織田信長公の大葬の時、
多くの名僧中に加わり法要を営む。
天正10年10月帝都の復興に手をつけられた秀吉公の命により、
六角大宮、善想寺を再興された。
【山門】
【泥足地蔵尊】
伝教大師最澄上人自らお彫になった一刀三礼の霊像とか。
大師亡き後は滋賀県坂本村に祀られていましたが、
天正15年(1587)の3月23日、善想寺開山正誉上人と御縁があり、
このお寺に祀られるようになったそうです。
【本堂】
9時10分頃に着くとすでに5人程が本堂に上がって、
御住職からいろいろ説明を受けていました。
御住職が御朱印対応で奥の部屋へ入ったきり、
全く出て来られなくなり、写真撮影の可否を確認出来なかったので、
写真は撮れませんでした。
画像はオフィシャルより拝借したものです。
浄土宗寺院大公開のお寺は、
京都秋の特別拝観のように学生さんの説明は無いので、
ちょっと寂しく感じました。
御住職が墨書きに時間がかかりますよ、と仰ったように、
結構時間がかかりましたので仏様を堪能させていただく。
【御本尊】
阿弥陀三尊像。
脇段には善光寺式阿弥陀三尊像や法然上人像等が祀られていました。
【阿弥陀如来】
今から840年前、善想寺のあるこの場所は「後院」と呼ばれた地で、
後院とは天皇の譲位後の御所のこと。
天元3年11月の大内裏炎上の後、
円融天皇は四条後院に行幸され一時皇宮となった場所。
この石仏阿弥陀如来はこの後院の中に祀られていた由緒ある石仏です。
【御朱印】
9時20分にもなると結構な人数が参拝に来られていました。
朱印を頼む人も多いので御住職も大変だった模様。
このお寺は普段からも参拝出来るようですが、
これほどの御朱印を対応するのは初めてだったんじゃないかな。(^^;
こちらは9時から開いていました。
駐車場は境内に数台分停めれます。
所在地:京都府京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町240
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天文11年(1542)
開基:想阿善悦上人
【縁起】
善想寺の開基想阿善悦上人は天文11年(1542年)、
洛西疏圃の地を開拓し、一寺を建立し法名の1字をとって善想寺とした。
浄土宗を弘通し頗る仁慈の徳望家であり上人に帰依せし人々は、
上下の別なく何万人に及んだという。
天正9年5月20日(1581)70歳にて寂せらる。
その翌年、孫弟子の法春上人が現今の地に善想寺を再興される。
法春上人は19歳にて鎌倉光明寺に入り浄土教義を究められた。
天正10年(1582)、上人25歳のときに秀吉公の招に応じて入京、
浄土教を弘め、同年6月大徳寺内 総見院における織田信長公の大葬の時、
多くの名僧中に加わり法要を営む。
天正10年10月帝都の復興に手をつけられた秀吉公の命により、
六角大宮、善想寺を再興された。
【山門】
【泥足地蔵尊】
伝教大師最澄上人自らお彫になった一刀三礼の霊像とか。
大師亡き後は滋賀県坂本村に祀られていましたが、
天正15年(1587)の3月23日、善想寺開山正誉上人と御縁があり、
このお寺に祀られるようになったそうです。
【本堂】
9時10分頃に着くとすでに5人程が本堂に上がって、
御住職からいろいろ説明を受けていました。
御住職が御朱印対応で奥の部屋へ入ったきり、
全く出て来られなくなり、写真撮影の可否を確認出来なかったので、
写真は撮れませんでした。
画像はオフィシャルより拝借したものです。
浄土宗寺院大公開のお寺は、
京都秋の特別拝観のように学生さんの説明は無いので、
ちょっと寂しく感じました。
御住職が墨書きに時間がかかりますよ、と仰ったように、
結構時間がかかりましたので仏様を堪能させていただく。
【御本尊】
阿弥陀三尊像。
脇段には善光寺式阿弥陀三尊像や法然上人像等が祀られていました。
【阿弥陀如来】
今から840年前、善想寺のあるこの場所は「後院」と呼ばれた地で、
後院とは天皇の譲位後の御所のこと。
天元3年11月の大内裏炎上の後、
円融天皇は四条後院に行幸され一時皇宮となった場所。
この石仏阿弥陀如来はこの後院の中に祀られていた由緒ある石仏です。
【御朱印】
9時20分にもなると結構な人数が参拝に来られていました。
朱印を頼む人も多いので御住職も大変だった模様。
このお寺は普段からも参拝出来るようですが、
これほどの御朱印を対応するのは初めてだったんじゃないかな。(^^;
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