Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

大池寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月04日 | びわ湖百八霊場
甲賀三大佛のお寺の一つである大池寺に到着。

こちらのお寺はお庭が有名らしいですが、
私は行基菩薩による一刀三札の丈六釈迦如来坐像がとても楽しみです。



所在地:滋賀県甲賀郡水口町名坂1168
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:天平年間(729-749)
開基:行基菩薩
札所:びわ湖百八霊場、近江湖南二十七名刹霊場



【縁起】
行基菩薩がこの地を訪れた際、日照りに悩む農民の為、
灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、
一彫りごとに三拝したという一刀三礼の釈迦丈六坐像を安置したと伝承されている。

甲賀郡志水口町志によると寺の名を邯鄲山青蓮寺といい、
山内寺院は八ヶ寺を数え、七堂伽藍の備わった天台宗の寺であったという。

その後、東福寺開山聖一国師の孫弟子である無才智翁禅師が、
この地を訪れて青蓮寺を禅宗に替えた。
室町時代を経て安土桃山時代に入り、天正5年(1577)に戦国の兵火に遭い、
境内全域が焼き払われ、七堂伽藍はことごとく焼失してしまった。

しかし、不思議にも行基菩薩の作なる仏像のみ焼け残り、
その後約90年間、草庵に、安置されていたとはいうものの、
風雨にさらされた状態であった。

寛文7年(1667)京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際、
草庵の仏像を見て、寺の再興のため住山の決意をしたという。
又この時、山号寺名を邯鄲山青蓮寺から、
周囲に大きな池があるのに因み龍護山大池寺と改名したのである。

以後大池寺の再興に尽力し寛文10年(1670)に仏殿、庫裡が完成した。
その時に多額の浄財を寄進したのが、後水尾天皇、伊達宗房や織田主水正信である。

中でも織田主水正信は、当地の地頭で織田信長の甥にあたり、
大池寺再建のため多くの寄進をし、大池寺の開基となった。

現在も、開山堂横に墓石が祭られている。
大池寺の寺紋はこの様な経緯により、織田家の家紋である「織田モッコウ」となっている。



【庭園】




お寺の前に綺麗な庭園がありました。


【入口】


大きな無料駐車場が二か所あり、入口付近にもあります。


【山門】


とても落ち着いた雰囲気のお寺のようですね。


【鐘楼堂】



【蹲踞】



【仏殿】


外から内陣と御本尊様がガラス越しに見れます。

勿論、外からだと無料です。


【韋駄天】



【仏足石】



【庫裏】


こちらで拝観料400円を支払い中へ。


【書院】






なかなか良かったです。


【佛母井】



【中庭】



【蓬莱庭園】






小堀遠州作と言われているが、
確定しているのは全国で一つしかないそうです。

ここの場合は時代が少し合わないらしい。

ま、それは置いといて、とても良い庭と思います。

しかし、残念ながら団体さんが先にいてウルサイのなんの。
落ち着いて庭園を見れんのかと小一時間説教したかったよ。(苦笑)

写真だけささっと撮影して庭園拝観終了…

さて、気を取り直して仏殿で御本尊様を堪能するか。


【阿弥陀如来】


見た瞬間「お~凄い!」と感嘆の声をあげてしまった。








いや~素晴らしい。

これほどとは。
近くで見れて感動しました。

是非とも生で見ていただきたいです。

損はさせませぬぞ。(^^


【茶室】





【御朱印】

柏木神社(2015年5月30日参拝)

2015年07月03日 | 神社
湖南三山を堪能した後は甲賀市へ移動。




途中、九品寺に寄ってみたが、
山門と本堂と墓地があるだけのお寺。

ただでさえ見所が少ないのに本堂も閉まってるという。(泣)

御朱印も御住職が不在でいただけなかったので九品寺は割愛。(^^;


さて、気を取り直して柏木神社へ向かう。

この神社は何と言っても楼門です。
その楼門を見たくて訪れました。

柏木神社といっても嵐の大野神社のように、
AKBの柏木由紀の聖地にはなっていません。(笑)



所在地:滋賀県甲賀市水口町北脇189
御祭神:大己貴命
配祀神:誉田別命、川島皇子
創建:不明
社格:県社


【由緒】
社伝によれば創祀は白鳳以前と伝えられ、もとは日吉山王を奉祀し、
建久年間源頼朝上洛の折、鶴岡八幡宮の御分霊を合祀した為、
若宮八幡宮と呼ばれるようになったが、維新以後更に柏木神社と改称した。

柏木は中世より柏木御厨の本郷で、元徳三年の検注帳に神田三町の社領があった。

京の公家飛鳥井雅康は戦乱をのがれこの地に閑居し、以後子孫は当社の祠官として仕えた。

近世に於いては柏木庄十六ヶ村の総社となる。
その氏子の範囲も地元北脇のほか林口、美濃部、松尾、判谷の各集落にわたっていた。
又、水口域代山口但馬守弘隆崇敬の念篤く、
幾多の寄進のあったことが古文書に記されている。

立地条件に恵まれ、厄除、病気平癒の祈願多く、
芸能の神としても信仰が篤い。

明治九年村社、大正十一年郷社、昭和二十年県社に加列された。

明治4年以降社名を柏木神社と改め現在に至る。


【太鼓橋】


境内に無料駐車場がありました。


【鳥居】



【楼門】


承応3年(1654)に建立されたもの。


【拝殿】




享保15年(1730)建立されたもの。

屋根の反り具合がたまらなくカッコいい。


【蔵】



【社殿】




中門・幣殿・本殿の三間社流造。




思ってた以上に立派な本殿でした。


【狛犬】



【大行社】



【稲荷神社】



【御朱印】


境内脇にある神職の御自宅でいただきました。

国造神社(2015年5月30日参拝)

2015年07月03日 | 神社
不動寺から歩いて数分の場所に鳥居を発見。

その神社は国造神社といい、
「くにづくり」ではなく「こくぞう」と読むそうです。


所在地:滋賀県湖南市岩根721
御祭神:大己貴命
創建:不明



【鳥居】


場所が場所だけに、鳥居の先に車が行けるか不安でしたが、
境内まで車で行けて停めることが出来ました。


【拝殿】


予想以上に立派な拝殿登場。

正直、小さな本殿があるだけと思っていただけに意外でした。


しかも、なかなか大きな社務所まであった。

こんな人が少ない場所なのに。


【狛犬】



【本殿】




これは覆屋のようで中に本殿があるようです。






元亨3年(1323)に建立されたもの。

小ぶりですが渋い本殿で、清潔に保たれています。


【境内社】


人の家の玄関みたいな扉は止めてください。(苦笑)




愛宕神社と秋葉神社となります。


【拝殿】



この神社の由緒は境内に掲示されていないし、
ネットで調べても全くヒットしない。

善水寺でも古書が明治時代にほとんど燃えてしまって、
現在では昔の事が分からないという。

この神社もまた、そういうのが残っていないんでしょうね。

それでもこの神社の境内は綺麗にされている。
皐月の手入れもされている。

全然荒れていないんですよね。

少し離れた地域の方々によって神社は守られていることが分かる。

御祭神の大己貴命はさぞや喜んでいるでしょうね。


御朱印は無いと思われます。

岩根山不動寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月02日 | 仏閣
善水寺から例の細い山道を走り途中のお寺に寄り道。
ここは行きしなに見つけていたもので、
岩根山不動寺といいます。


寺の前に2台ほど停めれるスペースがあります。



所在地:滋賀県湖南市岩根
宗派:黄檗宗
御本尊:磨崖不動明王
創建:延暦年間
開基:弘法大師
札所:甲賀准四国霊場



【縁起】



【観音像】



【石号標】



【本堂】


階段を登っていくと、
途中で工事中に使われるような赤い階段になっていた。




磨崖仏を拝む為に懸崖懸造の本堂ですね。


【堂内】




無住と思っていたら、やっぱり無住でした。

しかし綺麗に手入れされていましたので、
どなたかが世話をされているようです。


【磨崖仏】


堂内から全く御本尊が見えなかったので、
下から見えるかなと思い巨石の下に行きました。






自然による摩耗なのか、それとも人為的なのか、
お顔の部分が削られていますね。

まぁ、どちらにせよ拝めて良かった。


【地蔵尊】



御朱印は本堂に書置きが置いてあるかなと思ったけど、
ありませんでした。

また、ネットで軽く調べても御朱印は無さそうです。

善水寺(2015年5月30日参拝)

2015年07月01日 | 西国薬師四十九霊場


長閑な風景を見ながら車は善水寺へ走る。

天気が良くて気持ちいい。


ナビを頼りにお寺付近のJA甲賀郡岩根辺りで道が狭くなる。

確かに善水寺の案内板はあるのだが、
この先は車で行けるのか不明。

JA甲賀郡岩根の駐車場に車を停めて歩いて行こうかと思ったが、
意を決して車で進むことに。

住宅街の狭い道を進むと、1車線の山道に突入。(泣)

この先はマジで行けるのか?と思いながら走る。

日頃の行いが良いので対向車も来る事無く無事到着。(^^


帰りに分かったことですが、
1号線の正福寺東の交差点から十二林道の方が楽な道のようです。



所在地:滋賀県湖南市岩根3518
宗派:天台宗
御本尊:薬師瑠璃光如来
創建:和銅年間(708-715)
開基:不明
勅願:元明天皇
札所:西国薬師四十九霊場、びわ湖百八霊場、湖南二十七名刹、湖南三山めぐり



【縁起】
元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され和銅寺と号した。

延暦年間、傳教大師最澄上人が比叡山を開創され、
堂舎建立の用材を甲賀の地に求められた。
材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、
いざ流し下す段になったが日照り続きの為、
河水少なく思うように材を流すことができなかった。

大師請雨祈祷の為、浄地を探されたところ、
岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま当地に登られた。

山中に堂が有その東側に百伝池あり閻浮檀金の薬師仏を勧請され、
その薬師仏を本尊として請雨の祈祷を修すること七日間、
満願の日に当たって大雨一昼夜降り続き、流の勢いのまま、
材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したと云う。

後に京の都で桓武天皇御悩の際、大師、霊仏出現の池水を以って、
薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝の秘法を修すること七日、
満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。

この縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったという。



【鐘楼堂】


大型無料駐車場に車を停め、受付けで拝観料を支払う。

秘仏御開帳ということもあり、
普段より200円高い700円でした。


このお寺も山門がなく、最初に見たのがこの鐘楼でした。


【本堂】


国宝。

南北朝時代の貞治5年(1366)に再建されたもの。






天台宗の根本中堂らしい、
堂々たる国宝に相応しい本堂です。


【百伝弁才天】




百伝の池の中に弁財天が祀られていました。


【元三大師堂】




正徳3年(1713に再建されたもので、
元三慈恵大師良源大僧正の等身大尊像が祀られていました。


【宝篋印塔】



【六所権現社】


伊勢、春日、八幡、賀茂、熱田、鹿島の六社が祀られています。


【行者堂】


元は飯道寺にあったが明治初期神仏分離令により、
飯道寺廃寺に伴い、明治9年、同寺岩本院の行者堂を移築されたもの。

役行者像が祀られています。

ここは寂しい雰囲気で、ほとんどの参拝者は訪れないようです。


【本堂】


ちょっとした高台から見る本堂もいいもんです。



(リーフレットを転写したもの。)


堂内に入りました。

外陣と内陣に分かれていて、
内陣では薬師護摩供祈祷法要が厳かに行われていました。

法要が終わり、お寺の方に聞いたら内陣も入れるとのこと。

この内陣の雰囲気といい、圧倒的な諸仏の迫力といい、
本当に凄かった。

外陣から見るのとは大違い。

湖南三山、湖東三山の本堂の中で一番好きな本堂です。


須弥壇の裏側には裏堂があり、
こちらも諸仏が祀られており、落ち着いた雰囲気でしたね。


あ、それと外陣には稲がガラスケースに入れられており、
これは何だろうと思って説明板を読む。

明治39年に御本尊を修理した際、胎内より多量の稲籾と、
正暦4年(993)の年号が記された結縁校名記が見つかったそうで、
展示されている稲は後に栽培されたものだそうです。

1千年前の稲籾がちゃんと育つなんて驚きです。

稲の生命力は凄いなぁ。


【御朱印】


御朱印は四種類あり、
その内の二種類をいただきました。


今回は地蔵堂、観音堂、磨崖仏は完全に見落としてました。(^^;

次回の参拝の時は必ずや。

三聖神社(2015年5月30日参拝)

2015年07月01日 | 神社
常楽寺の隣に三聖神社という神社が鎮座。

小さな神社であんまり見所は無さそうですけど、
とりあえず寄ってみた。


所在地:滋賀県湖南市西寺573
御祭神:伊弉諾尊、速玉之男神、事解男神
創建:不明
社格:日吉大社摂社



【由緒】
本社は天台宗常楽寺の境内にあって、
山王三聖と称される日吉大社の上七社のうち、
大宮(西本宮)、二宮(東本宮)、聖真子(宇佑宮)を祀り、
三聖権現と称し同寺の護法神であった。

明治期の神仏分離令により独立している。


【社号標】



【鳥居】


狭い通路の前にあるんで、
鳥居も苦しい角度で撮影。


【拝殿】




神社の規模の割りになかなか立派な拝殿。

滋賀県でよく見るタイプですね。


【狛犬】



【本殿】




覆屋に守られた本殿。

地元に方々によって綺麗に保たれています。


【金峰神社】



【太神社】



御朱印は恐らく無いと思われます。

さて、次のお寺に向かおう。