チベット人監督ソンタルジャによる、日本の初劇場公開作だ。
娘、その父、そして祖父・・・、チベットを舞台に、家族三代のそれぞれの心情を峻烈な映像で描く。
美しい山々、風俗、習慣、その世界のどことも変わらないリアルな家族の、生身の人間の表情に迫っている。
誠実さの溢れる映画である。
草原で生活を営む一家の日常と心象風景を、6歳の少女の眼を通して、繊細に描き出している。
小さな挿話の積み重ねなのだが、極力説明を排し、素朴で簡素な映像に語らせる。
全編にわたって、豊かで複雑な、それでいて純粋な感情がみずみずしく息づいている。
好感触の作品だ。
主役を演じたヤンチェン・ラモ(撮影時6歳)は、上海国際映画祭アジア新人賞、史上最年少の最優秀女優賞を受賞した
冬のチベット草原・・・。
ヤンチェン・ラモは6歳の幼い女の子だ。
父親のグル、母親のルクドルと暮らしている。
ヤンチェンは、母親が祖父を嫌っているのを不思議に思っている。
グルは過去の出来事から、自分の父親にわだかまりを持っている。
祖父の具合が悪いと聞いたルクドルの勧めで、グルがヤンチェンを連れて嫌々見舞いに出かける。
一家が夏の放牧地に移動するとき、ヤンチェンの心が揺れ動く。
ルクドルが妊娠したことで、いまだに母親の乳をねだる彼女は、母親の愛情を独占したい。
彼女は、赤ちゃんができたのは天珠(お守り)のせいだと聞いて、それを隠してしまった・・・・。
グルは父親との確執を抱いており、ヤンチェンは母親の愛情に不安を抱いている。
作品では、一家の放牧生活の四季を通して、二人の立場と感情を、丁寧に描き出していく。
カメラは近くから、ときに遠くから、静かに彼らを追いながら、家族の絆を紡いでいく。
映画はドラマなのに、これはドキュメンタリーのようだ。
少女ヤンチェン・ラモも父親のグルも、ソンタルジャ監督の親戚で、演技の経験は全くない素人だ。
撮影をしながら脚本を書き進めたそうで、事前には簡単なプリントだけが用意された。
でもそれは大人の見た子供の世界で、撮り始めてからやっと、ヤンチェン・ラモの本当の心のうちに触れることができたのだ。
可愛がっていた子羊を群れに返せと言われては泣き、母親のおっぱいをねだっては泣き、よく泣く子ではあるのだが、その目は怖ろしいほど研ぎ澄まされていて瑞々しく、その表情はあどけない少女なのに、凛然としている。
この少女の表情と眼差しに、思わず凄い!と思った。
これは、この素人の少女ヤンチェン・ラモが持っている、まさに天性のオーラだ。
これを見ただけでも、この映画を観てよかったと感じた。
機会があれば、チベットの映画をもっと観てみたいものだ。
牧畜を生業(なりわい)とする両親と暮らしながら、子羊が狼に襲われたり、成長した羊が突然亡くなったり、いろいろな挿話で綴りつつ、チベットの広大な大地に繰り広げられる豊かな詩情は、それだけで十分鑑賞に耐えうるものだ。
登場人物たちの来ている衣服も、衣装部とかが用意したものではなく、みんな普段から身に着けているものだそうだ。
チベット民族の、生活なり心の風景なりを、この中国映画「草原の河」は、記録として残そうとする意味合いもあるのだろう。
心に沁みて残る作品だ。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
次回は日本=フランス=ドイツ合作映画「 光 」を取り上げます。
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なぜ平和でいようとするだけで国を失うのでしょうね。
住民の心は、物質的な発展の速度に追いついてゆけなくなっているそうです。
チベットについて、今は最良の時代であり、また最悪の時代でもあるという、英国の作家ディケンズの名言がありますが、あたかも今の時代を象徴する最適な言葉かもしれません。
この作品は、改革開放以後の中国の現状を背景に描かれているようです。