徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ポエトリー アグネスの詩(うた)」―この世の清濁を直視する老女の魂の旅路―

2012-03-05 22:00:00 | 映画

     この映画は、深刻な問題に直面した、高齢女性の魂の輝きを、静かに描いている。
     一昨年のカンヌ国際映画祭で、見事脚本賞受賞した。
     イ・チャンドン監督の、韓国映画だ。
     出来上がった作品は、監督の言うとおり、詩のような手法を使って、観客に問いかける。

     人生の光と影、美しさはどこにあるのか。
     これは、ひとりの初老の女性が、「詩」にたどり着くまでの魂の軌跡である。
     イ・チャンドン監督は、社会の片隅に生きる人間を、直視し、そして温かく見つめる・・・。
     主役のユン・ジョンヒは、本作が16年ぶりという映画出演だそうだが、この作品でアジア太平洋映画祭などの映画祭
     でいくつもの主演女優賞を受賞、フランス政府からは文化芸術功労勲章を授与された。
     ベテラン女優の、どこまでも自然体の熱演が素晴らしい!
     なかなかどうして、いい味を出している。






     
遠い釜山で働く娘の代わりに、ジョンウク(イ・デビッド)を育てているのは、初老の女性ミジャ(ユン・ジョンヒ)だった。
経済的なゆとりなどない、質素な暮らしだが、つねに少女のように可憐に装っているの彼女は、言動もどこか浮世離れしていた。
その上、最近は物忘れが激しく、医者からは、アルツハイマーの検査を受けるよう促される。
それは、彼女にとって厳しい現実であった。

そんな時、たまたま通りがかりに詩作教室を見つけ、子供の頃、詩人になればよいと言われたことを覚えていたミジャは、詩を書いてみたいと思い立ち、通うことにする。
そんなある日、驚愕の事実が舞い込む。
少し前に自殺した少女ヒジン(洗礼名アグネス)に、孫息子とその友人たちが、性的な暴力を繰り返し行なっていたというのだ。
それは、詩作のため花鳥風月を眺めて言葉を紡ごうとする、ミジャに突き付けられた、これまたあまりにも醜い現実であった。

今まで、人生の過酷さから目をそらして、童女のように振る舞ってきたが、これをきっかけに、ミシャはありのままに現実を見つめ、自分にできる何かを探ることに心を傾けるようになった。
信じ難い事実を前に、彼女はたった一人で、、絶望の中で必死に目を凝らしていく。
これは、ミシャが、言葉を失っていく恐怖にさらされながら、消えていたアグネスの心に寄り添いつつ、最期に生み出す一編の「詩」に辿り着くまでの、魂の旅路なのだ。
その「詩」には、ミシャだけが紡ぎだすことのできた、真実が宿っていた。

イ・チャンドン監督韓国映画「ポエトリー アグネスの詩(うた)」は、何とも心癒される作品だ。
物語は、ごくありふれた、どこにでもあるような日常の生活を追いながら、人間の中の清と濁を交差せつつ、陰影に深い緻密な作品となった。
人が起こしうる、ささやかで尊い奇跡を暗示する部分もあり、繊細でいて力強い。
本編は、悠然と流れる川の映像で始まり、また幕を閉じて、最後もまた川で終わる。
最初の川は、観客の目には死体の流れてくる川であり、最後の川は、少女も登場し、やはり死の意味を感じさせる。
さらに、川の水音や川面のさざ波に、再び巡りくる命、命の源泉、自然の強さを込めたかったと、イ・チャンドン監督は語る。
この作品は、何の意味を伝えたいというのではなく、そのままを感じ取ればいいのだ、
物事に、いちいちすべてに意味を求めたりはしないものだ。
確かに、その通りである。
あるがままに感じることも、大切だ。

この映画は、ありのままを見せようとすることで、そこに潜む美しさや不可解さを、感じさせようとしている。
少女のように粋なミシャの内面に、詩作のために現実を直視することで、さざ波のような変化が起き、ドラマの最後に一編の詩が生まれる。
その詩が、物語を決定づける。
あの詩は、小説家であるイ・チャンドン監督みずから書き上げたというが、道理で!と思った。
ふむふむ~なるほどと、うなずくことばかりだが、この人、かつては文化観光部長官として、映画も含めた文化政策を指揮していた人なのだ。

老女を作品の主人公に据えたのも、めぐり続ける生命の営みを、単に描きたかったのではない。
彼女の精いっぱいの生が、そこに凝縮されているからだ。
作品の中に生きる登場人物たちは、みな懸命に生きている。
光と影、美と醜、善と悪、賢さと愚かさというと、月並みな対比だが、それらがどこか深い部分で重なり合い、絡み合うのだ。
この映画が、ミシャに託した想いは、決して軽いものではない。
ミシャは、ちょっとおしゃれで、元気と哀愁を漂わせて、ごく普通の(?)、それでいてとても素敵なお婆さんなんだなあ・・・。
心にしみるような、いい映画だ。

     詩が死にいく時代。
     その喪失を嘆くもの、死んで当然だというものがいる。
     それでも人々は詩を書き、読み続ける。

     では、暗澹たる未来が前にあるとき、
     詩を書くということにどういう意味があるのか。
     私はそれを観客に問いかけたい。

     実際、私自身、
     映画監督として自分に問いかけることでもある。
     映画が死にいく今、
     映画を撮るということにどういう意味があるのか、と。  (イ・チャンドン) 

     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)   

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2 コメント

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脚本 (茶柱)
2012-03-05 23:35:33
脚本のおもしろさが,映像作品のおもしろさを大きく左右しますよね。
やっぱり。
そうです、そうです・・・ (Julien)
2012-03-06 22:12:13
まず何はともあれ、最初に本(脚本)ありきです。
いい脚本なくしては、いい映画はできませんね。
どんなに名監督、どんなに名優がそろっても・・・。
よい映画が少ないということは、いかに良い脚本がないかということですよ。

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