寒さ厳しい毎日が、続いている。
こう寒いと、春が待ち遠しい。
といっても、気象庁の予報では今年の春の訪れは少し遅くなりそうだ。
世の中、いろいろと騒がしい。
大阪の桜宮高校バスケットボール部の主将の男子生徒が、体罰を受けた後に自殺した問題は、大変衝撃的な出来事だった。
この男子生徒の父親は、体罰を与えた顧問の男性教諭を、暴行罪で告訴するという事件にまで発展した。
父親の気持ちは、察するにあまりある。
男子生徒の自殺は、見方を変えれば、これは他殺ではないかという人さえもいる。
このような体罰は、まだまだ氷山の一角で、全国いたるところで行われているといわれる。
何故このようなことが、当たり前のように容認されてきたのだろうか。
元プロ野球の桑田真澄投手は、自身、中学まで毎日練習で殴られた経歴を持っているが、そうした「服従」で師弟が結び付く時代はすでに過去ものとなっていたのではなかったか。
子供の自立を促すためには、、体罰はその成立の芽を摘み取りかねないと指摘する、桑田氏の言に賛成だ。
確かに、とくにアマチュアの世界では、「服従」で師弟が結び付く時代は終わった。
男子生徒の無念さを想うと、胸が痛い。
こうした体罰が習慣的に行われてきたにもかかわらず、知っていて知らぬふりを決め込んできた、学校関係者の常識はどこにあるのか。
怠慢のそしりは免れまい。
それは、まかり間違えば犯罪と紙一重であり、暴行であり虐待であリ拷問ともなり、傷害事件あるいはそれ以上にに発展することもある。
教育委員会は、何のためにあるのか。何のために・・・?
そもそも、学校教育法では、学校現場での体罰は禁止されているのではないか。
いまの教師は、体罰を与えなければ、生徒の指導ができないのか。
そうであるなら、その教師は未熟なのであり、おのれの力量のなさををこそ恥じるべきなのだ。
極言すれば、教師失格だ。お引き取り願ったほうがいい。
教育のあるべき姿とは、生徒たちの夢や希望を育み、将来、社会を担って立てる自立した人間として成長するように導くことであるはずだ。
体罰によって、夢や希望を抱いていた生徒が自殺に追い込まれたとしたら、(事実そうであったが)それは他殺といわれても仕方がない。
密室でしごくことは、生徒たちの真の教育とはなりえない。
体罰を受けている生徒を見る生徒も、辛くてやり切れないと言っている。
いまの学校教育の現場に、体罰はあってはならないことだ。
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ホント・・・。
その時は教師を憎みましたね。
茶柱様。
ほんと、幼な心に言ってやりましたよ。
「先生、暴力はいけませんよ」ってね。
要するに、苛めであり、虐待であり、拷問、リンチですから。
霜葉様。
教育現場でなくても、プロスポーツの世界でも、絶対にあってほしくないことです。
オリンピック柔道でも公然と行なわれていて、しかもそれを隠蔽していたというのですから、あきれて言葉もありません。
国家としても、恥ずかしいことです。