島崎藤村の長編小説「家」が原作だ。
この小説は、1910年に読売新聞に連載された。
「斜陽」「一遍上人」の秋原北胤監督が、地域住民の協力を得て映画化にこぎつけた。
藤村文学の、一種鬱々とした世界観の中にある、一筋の希望を表現すべく、この映画は旧家が崩壊していく過程で浮かび上がる、「家族」に光を当てた。
崩れゆくもの、そこからこぼれ出すもの、その先に見詰める新しい「家族」の形とはどんなものだろうか。
この作品では、映画専用のズームレンズに頼ることなく、単焦点の大口径広角レンズを使い、画面の隅々まで破綻のない画が撮れるようにした、秋原監督の独特の映像表現に注目だ。
近年、とくに文学作品を中心に映画製作に熱心な、秋原監督作品だが・・・。
名家小泉家から、造り酒屋の橋本家に嫁入りをした種子(西村知美)は、達雄(スティーヴエトウ)との結婚後、跡取りとなる正太(中山卓也)、仙(木本夕貴)と子宝に恵まれ、人もうらやむような結婚生活に明け暮れていた。
一方、三男の小泉三吉(松田洋治)は、明日の生活も見えぬ小説家だったが、30歳を過ぎ、兄嫁の倉(渡辺葉子)、娘の俊(菖蒲里乃)らの心配から、名倉家の雪(伴杏里)と結婚して、質素な生活をスタートさせた。
・・・時は移り、小泉、橋本両家も時代の変遷とともに、商売も上手くゆかなくなり、厳しい状態から一家離散へと追い込まれていた。
正太は、家を継がずに豊世(大谷みつほ)と結婚するも、不安な身上からホステス小涼(折原あやの)と関係を結ぶ。
旧家の人々は、安定した生活の中に起きた突然の別離に、三吉も雪も悲嘆にくれる。
その渦中にある種子は、そこからこぼれ落ちた、新しい「家族」を創り出そうとしていた・・・。
没落していく旧家にあって、守るべきものは何か。
それは「家」ではなく、「家族」であることに気づく。
西村知美が、家の崩壊と家族の愛の狭間で揺れる難役に挑戦しているし、娘役の木本夕貴は若いながら障碍を持つ役柄をよくこなし、ほかにも個性派の演技陣が名を連ねていて、「家」を中心に巻き起こる葛藤を演じている。
秋原北胤監督の作品「家」は、映画を共に製作する地域で、それぞれの「家」を表現し、撮影を敢行した、意欲的な文学映画だ。
旧家のモデルなど、いろいろなロケ地も見ようによっては楽しく、その地域の人たちと製作陣、俳優陣が一体となって作った、いまはやりのの映画製作スタイルが色濃くあらわれている作品である。
「家」「家族」を考えるとき、確かに、現代に通じるものがないではない。
あえて難点を言えば、登場人物が多いので、それぞれの葛藤を奥深く突っ込んで描き切る時間もないほど、短いカットも矢継ぎ早で、スクリーンの移り変わりが大変忙しい。
そんなときにBGMの多用も時に煩わしく、人間関係の葛藤といったドラマについていくには説明不足も否めないとあって・・・。
秋原監督は、思い入れたっぷりに丁寧に撮っているように見えるが、出来上がった作品は、真面目な教科書のような映画である。
この映画、FACEBOOKを使用(呼びかけ)した映画づくりが話題を呼び、10市町村で集められた大人数の素人の出演で出来上がった作品という点では、大いに注目に値する。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
最新の画像[もっと見る]
- 川端康成 美しい日本~鎌倉文学館35周年特別展~ 4年前
- 映画「男と女 人生最良の日々」―愛と哀しみの果てに― 5年前
- 文学散歩「中 島 敦 展」―魅せられた旅人の短い生涯― 5年前
- 映画「帰れない二人」―改革開放の中で時は移り現代中国の変革とともに逞しく生きる女性を見つめて― 5年前
- 映画「火口のふたり」―男と女の性愛の日々は死とエロスに迫る終末の予感を漂わせて― 5年前
- 映画「新聞記者」―民主主義を踏みにじる官邸の横暴と忖度に走る官僚たちを報道メディアはどう見つめたか― 5年前
- 映画「よ こ が お」―社会から理不尽に追い詰められた人間の心の深層に分け入ると― 5年前
- 映画「ア ラ ジ ン」―痛快無比!ディズニーワールド実写娯楽映画の真骨頂だ― 5年前
- 文学散歩「江藤淳企画展」―初夏の神奈川近代文学館にてー 5年前
- 映画「マイ・ブックショップ」―文学の香り漂う中で女はあくなき権力への勇気ある抵抗を込めて― 6年前
映画に協力した大勢の出演者や、スタッフの方々が大挙押し寄せたのですね。
エンドロールにも、総勢800人(!)近い人たちの名前が・・・。
いやいや、これからも、こうした市民協力の映画作りが盛んになっていくのではないでしょうか。
そう言う時代なのですねー。