20世紀の幕開けに、ウィーンの画壇に彗星のごとく現れた天才画家がいた。
エゴン・シーレだ。
スキャンダルに満ちた逸話と、挑発的な名画の数々を残して、わずか28歳で早逝した。
名画「死と乙女」に秘められた愛の物語とともに、シーレの半生を描く伝記ドラマだ。
クリムトと並んで、燦然とその名の輝く彼の描くエロスとパッション・・・、ウィーン表現主義の傑作「死と乙女」の誕生秘話である。
ディーター・ベルナ―監督は俳優出身で、この作品でエゴン・シーレ役の新人ノア・サーベトラの魅力を余すところなく引出し、鮮やかなデビューを飾らせた。
シーレ没後およそ100年、今なお、多くのアーティストや画家たちに、多大なインスピレーションを与えているといわれる。
彼の描く独特の美と鮮烈な作風が、愛の物語としてスクリーンに甦った。
1918年冬、第一次世界大戦下のオーストリア・ウィーン・・・。
スペイン風邪が猛威を振るう中、天才画家エゴン・シーレ(ノア・サーベトラ)は、妻エディット(マリー・ユンク)とともに瀕死の床についていた。
そんな彼を、妹のゲルティ(マレシ・リークナー)は献身的に看病していた・・・。
・・・時は遡って1910年、美術アカデミーを退学したシーレは、画家仲間と「新芸術集団」を結成し、16歳の妹ゲルティの裸体画で頭角を現していた。
そんなとき彼は、場末の演芸場でヌードモデルのモア(ラリッサ・アイミー・ブレイドバッハ)と出会う。
褐色の肌を持つ、エキゾティックな彼女をモデルにした大胆な作品で、シーレは一躍脚光を浴びる。
その後、敬愛するグスタフ・クリムト(コーネリウス・オボンバ)から、赤毛のモデル、ヴァリ(ファレリエ・ペヒナー)を紹介されたシーレは、彼女を運命のミューズとして数多くの名画を発表する。
シーレはその一方で、幼児性愛者という有難くない誹謗中傷を浴びながら、時代の寵児としてのし上がっていく。
しかし、第一次世界大戦が勃発し、シーレとヴァリの愛も時代の波に飲み込まれていくのだった・・・。
情熱というものは時に狂いやすく、壊れやすいものだ。
燃えるような情熱が、静けさの中で描かれる。
美しく、鮮烈に・・・。
時間はゆっくりと流れていく。
シーレとヴァリはノイレングバッハで同棲生活をはじめ、ヴァリは彼にとって公私にわたるかけがえのないパートナーとなるが、その半年後に、シーレは13歳になる娘タチアナに対する誘拐罪で告発され、この一件で彼は幼児性愛者という一大スキャンダルを晒すことになる。
彼を支持していたパトロンたちの多くは、シーレのもとを去っていき、独り孤独に耐える数少ない相談相手はクリムトだけだった。
主演のノア・サーベトラは、はっとするほどの美男俳優だ。
シーレ役のサーベトラは、生涯のパートナーと目されたヴァリを棄て、良家の才女を妻に迎えるという非情と野心の持ち主で、白哲の美貌とともに説得力たっぷりの演技を披露する。
シーレは恐るべきエゴイストで、妻は妻として、愛人は愛人としていつまでも自分のそばに居てくれるべきだったのだ。
ヴァリは従軍看護婦として戦線に行き、2年後に猩紅熱で死去する。
そしてシーレ25歳の時、ヴァリと別れエディットと結婚するのだが、そのエディットは映画冒頭の1918年、スペイン風邪で妊娠のまま死去、看病に当たっていたシーレ自身も3日後に死去する。
オーストリア映画「エゴン・シーレ 死と乙女」は、天才画家の光と影を綴ったドキュメンタリーのような伝記映画である。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
次回はイタリア・フランス合作映画「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」を取り上げます。
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なかなかに。
たとえ歴史的な名画といえども・・・。
まあ、芸術全般に言えることですけれど・・・。