先日の太田農水相の、「消費者がやかましい」発言をめぐって、自民党の麻生幹事長が、「騒々しいという意味ではない。よく知っているという意味だ」と言って擁護した。
さらに、こういう言い方を、関西以西の人はみんなすると言ったそうだ。
このことが波紋を呼んでいる。
二人とも九州人だそうだ。
どちらも、明らかに適切を欠く表現だ。
撤回するか、謝罪をしたらいいのだ。
それも、政治家の面子が許さないのか。
大臣たるもの、日本の北から南まで、国民が正しく理解できる、もっと解りやすい、正確な日本語を話さなくてはいけない。
こういう人には、日本人として、国語(日本語)の再教育が必要になる。
太田農水相の発言も発言なら、それを擁護する麻生幹事長も、変なことを言う人だ。
妙なかばい方は止めたほうがいい。
まことにもって、おかしな言い方だ。
「やかましい」は「やかましい」という意味でしかない。
方言もへちまもない。
九州出身者も、国語学者も、おかしいものはおかしい、間違いは間違いだから改めるべきだと言っている。
九州弁にあるなど、とんちんかんもいいところだ。
間違えていることを、間違えてかばうのだから、こんなに見苦しいものはない。
政治家は、恥を知らなければいけない。
憲法学の先生までもが、麻生幹事長の擁護は、農水相を弁護したいがためで、でっちあげ論だと怒っている。
こういうのを、恥の上塗りと言うのだろう。
民主党をナチスに例えるなども、論外だ。
太田農水相は、以前「集団レイプする人は元気があるからいい」などと、穏やかではない失言騒ぎもあった。
閣僚の舌禍事件はあとを絶たない。
彼らは、決して非を認めて謝ることをしない。
見苦しい言い訳ばかりである。
屁理屈はいい加減にして欲しいものだ。
言葉は政治家の命だ。
公人たる閣僚が、消費者の発言を牽制する表現したことに責任を感じないなら、政治家失格だ。
おまけに、総裁候補とまで目されている幹事長が、その発言を弁護し、人を食った発言をした。
どちらも、政治家として資質に問題があると言われても仕方がない。
日本人なら、日本語の勉強をもう一度基礎からしっかりとなさってはいかがだろうか。
二人のものの言い方について、国立国語研究所も、「かしこまった公的な場で使う表現ではない」とまで断言している。
それでも、発言を修正も撤回もしない。反省も謝罪もない。
そんなに偉いのか。
間違いを平然と押し通そうとする、いい加減な閣僚ばかりだから、これでは日本の政治もよくなるわけがない。
どんな時でも、人間は過ちを正す気持ちが大切だ。
論語に曰く、過って改むるに憚ることなかれ・・・。
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