徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「千年の愉楽」―紀州の路地に溢れる若き命の讃歌―

2013-03-10 19:00:00 | 映画


 紀州が生んだ作家中上健次代表作「千年の愉楽」を、若松孝二監督が映画化した。
 2012年10月に急逝した、若松監督の遺作である。
 いわば、この作品は若松孝二監督の集大成ともいえる最新作だ。

 生まれて、死んで、生まれていく生命・・・。
 命の炎を燃やす、中本の男たちは美しい。
 そして、彼らの生と死を見つめる女の物語だ。
 これは、鬼才・若松孝二監督最後の叙事詩だ。
 三重県尾鷲市の静かな集落を舞台に、昭和の薫りが色濃く漂う作品を描き上げた。
 そこは、よみがえりの地である。
 匂い立つような命も、不条理ゆえに、ときに命の讃歌となる・・・




      
紀州の路地に生を受け、女たちに圧倒的な愉楽を与えながら、命の火を燃やし尽くして死んでゆく。

高貴で穢れた血を継いだ、「中本の男たち」は美しい。
ここでは、男たちはみな美しく、性的魅力にあふれ、好色だが力強く、炎のように生きる。
しかし、最下層の仕事をするほかはなく、最終的には、過剰な生命力のゆえに、何ものかの生贄となって無情な死を迎える・・・。
ここでいう「路地」は他界であり、また日本の表徴のように扱われている。

その中本の男たちの、血の真の尊さを知っているのは、彼らの誕生から死までを見つめ続けてきた、路地の産婆オリュウノオバ(寺島しのぶ)だけだ。
ここでただひとりの産婆オリュウは、この土地のすべての嬰児を、母胎から取り上げる。
母親より先に、命の誕生を見る女なのである。
オリュウは、中本の男たちの出産を、格別の思いで見守ってきた。
そして夫の礼如(佐野史郎)は、僧侶として、この地に生きる者すべての、命の終わりに立会い続けてきた。

オリュウは、年老いていまわの際をさまよい続けていた。
この路地に生を受け、もがき、命を溢れさせて死んでいった、美しい男たちの物語が甦る・・・。

己の美しさを呪うように、女たちの愉楽の海に沈んでいった半蔵(高良健吾)、刹那の炎に己の命を焼き尽くした三好(高岡蒼佑、路地から旅立ち、北の地で立ち上がろうともがいて叩き潰された達男(染谷将太)たち・・・。
そして、生きよ、生きよ、お前はお前のままで生きよと、祈り続けたオリュウがいる。
うたかたの現世で、生きて死んでいく人間を、彼らの生き死にを見続けてきたオリュウの祈りが、時空を超えて、路地の上を流れていく。

時間も空間も、壮大なスケールの物語を、オリュウノオバが祈りの中で回想する。
風景と女性の胎内が、一体となってしまったような、その結合部分のような存在感だ。
人間の感情の流れが、途切れることなく描かれる。
この映画には、くだくだした説明はない。

中上健次原作に惚れ込んだ、若松監督のエネルギッシュな演出は激しく、暴力的で、それでいて感傷的で、どこまでも自然体だ。
人が人を差別する社会の中で、人は次々に生まれ、次々に死んでいく。
そのあまりに不条理で中上健次が描かずにはいられなかった美しさに、若松監督が触発され、映像による新しい表現が選ばれたのだ。
映画は、まともな死に方をしなかった、3人の中本の男たちの生き様を、愛おしむように見つめる。
「路地」に住む男たちが、長年続いた差別の中で、教育から疎外され、伝説や神話に誘導され、落とさなくてもいい命を落とすのだ。
半蔵は寝取った女の男に腹を刺され、三好は首を吊り、達男は炭坑で殴り殺される。
半蔵の父親彦之介(井浦新)も、半蔵が生まれる日に、同じように女に刺されて死んだ。
彦之助の父親は首を吊り、叔父は目が見えない。
中本の血は澱んでいて、世間から貶められ、穢れの罪を負わされたと死に際に叫ぶ・・・。

オリュウにとっては、自分の取り上げる赤子はすべて「仏さま」であり、人はみんな仏様さまの化身だ。
人間はすべて平等であり、貴賤の区別はないと言いたいのだろうか。
そして、それがこの作品のテーマだ。
生とは何かという、厳しい問いかけがここにある。

若松孝二監督の遺「千年の愉楽は、無知と神話による悲劇を描いている。
小説「千年の愉楽」は、20年前に他界した中上健次の代表作のひとつだ。
これまでも映画化の企画はあったが、実現には至らなかった。
原作は連作形式で、いくつもの物語と主人公が存在するため、作品の切り口が難しいということもあったかもしれない。
「路地」と呼ばれる空間の中で生まれ育った、美貌の若者たちの物語が、彼らを取り上げたオリュウノオバの記憶として語られるのだ。
オリュウと、夫で僧侶の礼如の二人は、彼らの誕生と死に深く関わっているという設定だ。

中上健次は、海が好きだったそうだ。
しかし、彼が描く「路地」からは海が見えず、この映画が撮影された、尾鷲の海が陽光にきらめいて拡がるさまは、原作者の情念が、映像の中に解き放たれる象徴であるかのようだ。
若松浩二監督は、この遺作の公開をどんなに期待していたことだろう。
彼はこの作品の中に、沢山の風景を遺し、思いがけない事故で逝った。
こういう作品は、なかなか生まれてこないだろう。
常に探し続け、怒りつけ、求め続けてきた生の不条理・・・、多くの彼の作品群は、いつまでも輝くような生命に満ち溢れている。
日本の映画界は、またまた惜しい才能を失ってしまった。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あくまでも・・・ (Julien)
2013-03-15 10:42:35
この作品も人間ドラマですね。
「俳優」は演技をするな、というのが若松監督の口癖だったそうです。
演技をせずとも演技になっている、ということでしょうか。
寺島しのぶには、何も注文をしなくても監督の思う意図を察していたようで、とくにお気に入りだったようですね。
役者は監督に気に入られないと・・・。
映画も、いろいろと大変です。
返信する
 (茶柱)
2013-03-10 19:47:30
命の作品なのですね。
作品に命をかけた監督,そして作品の中で生まれ,しんでいく登場人物の・・・。
返信する

コメントを投稿