人生というのは、本来愛すべきもの、そして愉しくて美しいもの・・・。
これは、慈愛のある眼差しで描かれる、家族の悲劇と再生の物語だ。
1981年生まれの、若き女性監督ミア・ハンセン=ラブのこのフランス映画は、光溢れる瑞々しい映像の中に、葛藤しながらも、心を寄せ合って悲劇に打ちかっていこうとする、母と三人の娘たちの姿を優しく綴っていく。
何よりもかけがえのない、父親の死というシリアスなテーマを底流にして・・・。
映画プロデューサーのグレゴワール(ルイ=ドー・ド・ランクザン)は、仕事人間だった。
妻シルヴィア(キアラ・カッゼリ)と三人の娘たちは、文句を言いながらも、半ばあきらめ顔だ。
才能のある監督に出資してやりたい情熱はあっても、折からの資金難で、グレゴワールの会社はもはや風前の灯なのだった。
日に日に追いつめられていく彼は、ついに行き詰まって、自ら命を絶ってしまう。
突然の死に衝撃を受けた、家族と仕事仲間に遺されたのは、多額の借金と未完成の映画だけだった。
夫を救えなかったことを、シルヴィアは悔やみ、映画を完成させることを決意するのだったが・・・。
自身の処女作を評価してくれたプロデューサーの自殺という、監督の実体験から生まれたこの作品は、重いテーマを扱いながらも、感傷的にならずに、みずみずしい映像で遺された家族の絆と再生を描いていく。
先の見えない不況下で、ときに押しつぶされそうになる現代人の多いなかで、それでも前向きに歩き始める家族を描いた真面目な作品だ。
夫の死後、会社の立て直しを決意する、控えめながら気丈な母、父の死を受け止める手段を探す長女、父のまだぬくもりを求める次女、父の死をまだ理解できない末娘と、家族四人それぞれの方法で、父の死に折り合いをつけ、未来を見据えて進む姿に、名曲「ケ・セラ・セラ」が重ねられ、ドラマを盛り上げる。
声を大にして奇をてらうこともなく、悲しみを乗り越えていこうとする家族の絆がむしろさわやかである。
登場人物たちは、どこか眩い光に包まれている。
パリ近郊の水辺を、母親と娘たちが並んで歩く姿が、胸にしみるようだ。
遺された四人の背中には、午後の陽光が照り映えている。
女たちだけになってしまった一家が、手をつなぎ、肩を寄せ合って歩く後ろ姿そのものが、なんだか愛おしく思える。
ドラマの中での、父親の突然の死はあまりにもあっけないが、人の死というのはそういうものなのだ思えば納得もできるか。
長女役を演じているのは、主人公役のランクザンの実の娘だという。
さよなら、パリ。
父の匂いを残して、私たちは歩いていく・・・。
「死とは、人生の数ある出来事のひとつに過ぎない」
そんな大胆なセリフがあったが、このセリフには温もりがある。
ミア・ハンセン=ラブ監督のフランス映画「あの夏の子供たち」は、人生を、あるがままに肯定する感懐を漂わせる小品で、夏のパリの爽やかな魅力とともに、若き監督の繊細な感性がにじみ出ている。