徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「アキレスと亀」ー芸術って、何だ?ー

2008-09-24 17:00:00 | 映画

売れない画家の夫と、寄り添って励ます妻・・・。
成功をつかむことが出来なかった男が手にした、かけがえのない幸福感・・・。
夢を持ち、その夢を追いかけることは大切だ。
でも、その夢がかなわないこともある。
夢がかなわなくて、得られるものもある・・・。
この映画は、夢ははかなくとも、それをひたむきに追いかけるだけで、人生にとって本当に大切なものを見つけようとする夫婦愛の物語、という触れ込みである。

幼い頃から絵を描くことが大好きだった、少年の真知寿(まちす)は、父の会社の倒産、両親の自殺、生活の困窮という辛い経験を経て、画家になることだけを人生の指針として生きるしかなくなってしまった。

ひたすら芸術に打ち込んでいくが、現実は厳しかった。
そんな、愛に見放された真知寿の前に、一人の理解者が現れる。
絵を描くことしか知らない、彼の純朴さに心惹かれた幸子であった。

やがて二人は結婚し、真知寿の夢は夫婦の夢となった。
健気に芸術を続ける真知寿の人生を、田舎町で大らかに絵を描いて暮らした少年時代、アルバイトで芸術に明け暮れ、恋をした青春時代、夫婦ともども創作活動に励み、絆を深めていく中年時代と、三つの時代に渡って、静かに綴った作品だ。

愛と希望に満たされ、様々なアートに挑戦する二人だった。
まるで狂ったように、創作を続けていく。
しかし、作品は全く評価されない。
二人の創作活動は、街や警察をも巻き込むほどに、エスカレートしていく。
家庭崩壊の危機に直面しながら・・・。

もうこうなると、芸術だ何だと言ったって、生活破綻者、いや性格破綻者である。
ハチャメチャな生き方は、周囲をも巻き込む‘悪ふざけ’で、「あんた、何やってんだ!これ、何なのさ?」てなことまで人に言われるようになる。

真知寿は、並みの才能しかないないのに、軌道修正ができない。
幸せと不幸せの間をぐるぐると回って、<アキレス>のパラドックスに入っていく。
アキレスは亀を追い越せないという逆説から、このタイトルは生まれたそうだ。

美術史も知らない。
筆で書くのをやめて、メーッセージを出せなどと画商が真知寿に助言する。
現代の絵画への痛烈な風刺が、笑わせる。
北野ワールドに登場する人物は、心情を吐露するでもない。

主人公の画家は、妻や娘まで無視して、‘芸術’に毒された怪物みたいな男だ。
北野武は言う。
 「芸術というのは、そうした人でなしを崇高に見せたりする。主人公が他の職業だったら、こんな映画に
 はならない」
主人公真知寿には、何かが足りないのだ。
画商に言われた通り、評された通りのことしか出来ない。
人がやっていないことは、やろうとしない。
全然評価されなくても、独自のものを編み出した方がいいのだ。
新しいものを創造出来なければ、終わりだ。
結局、破天荒な生き方は出来なかった。

この作品で、主人公(ビートたけし)と積極的に交わる魅力的な女性像・幸子を演じる樋口可南子、若い頃の幸子役の麻生久美子のほか、中尾彬、大杉漣、伊武雅刀、柳憂怜ら個性豊かなキャストが揃った。

全体に、北野的モチーフを前面に出して、爆笑を買うドラマだが、作品の性格とはいえ、どうも度を越した‘悪ふざけ’は気になる。
北野武監督のこの作品
アキレスと亀は、確かに芸術というものに対する、一種の風刺(アイロニー)を強く感じさせる作品だが・・・。

この作品は、人気を博しながら、ベネチア国際映画祭では賞を逸した。
他の作品のことは知らない。
ただ、この北野作品を観ると、とてもではないが、世界レベルとは言えない。
人気と評価は、全く別なのだ。解っている。
無名の新人監督だって、いきなりグランプリということもめずらしくないのだから・・・。
世界の映画祭は、必ずしも著名な監督の作品など望んではいない。
新人監督でいい、いまやそれでも新しい「発見」を求めているように見える。
そうなのだ。
かつて半世紀以上も前、黒澤明が登場し、世界に与えたあの時の衝撃を・・・。