徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「純喫茶磯辺」ーダメ男の白日夢ー

2008-09-20 08:00:00 | 映画

確かにノスタルジックだけれど、どこか新しい。
可笑しいのに、何故か切ない。
ありそうでなさそうな、日常がある。
ほろ苦く、ちょっぴり爽快な、コメディタッチのドラマと言ったらいいだろうか。
一杯のコーヒーから何が変わる?

不器用な父娘の、ハートフルなコメディの味だ。
そう思えば、どうやら納得のいく大人の青春映画である。

吉田恵輔監督のこの作品は、ホンワカとした肩のこらない話が面白い。
8年前に妻が家を出て以来、中年メタボ親父の渡辺裕次郎(宮迫博之)と、高校生の一人娘咲子(仲里衣紗)は、公営団地でずっと二人暮らしだった。
裕次郎は、世間でもよく見かける、あまりにもテキトーな性格ながら、どこか憎めないダメ男なのだ。


裕次郎は、父の急死で、まとまった遺産を自分の手にした。
彼は、ふと立ち寄った喫茶店で、そこのマスターが美女と楽しげに会話している光景を目撃する。
それを機に、彼は遺産を元手に喫茶店経営を始めることにした。
経営も接客もズブの素人だ。
それでも、地元の商店街に店をオープンした。
しかも、娘の意見など耳に傾けず、勝手に決めた店の名が<純喫茶磯辺>だ。
開店にこぎつけた店は、内装もダサい。
そんな、ダメ親父の行動にあきれ返りながらも、放っておけない性格の咲子は、夏休みのあいだ店の手伝いをすることになった。

勢いで開店した喫茶店は、客の入りがさっぱりだ。
そんな中、バイト先を探していた素子(麻生久美子)が来店した。
明らかに美人の素子を雇うことにした裕次郎は、彼女にメイド・ゴスプレを着させて働かせた。
ところが、素子は会話も男口調でぶっきらぼうだ。
店に集まってきたのは、ダンディで遊び人風の老人、ナンパ的なセクハラ野郎、ウラがありそうな売れない小説家らで、ひとくせもふたくせもある常連たちだった。
アルバイト美女素子の存在は、マスター裕次郎の男心を大いに揺さぶった。
そして、人それぞれの、心のひだに忍び込むほのかなぬくもりが、やさしく(?)ドラマを綴っていく・・・。

娘の咲子には、父親の下心がミエミエで、なにか苛立ちをかくせない。
別れた母親のもとへ行って、、もう一度家に帰ってきてくれと、落ち着かない。
父と娘、過去ある女素子、そして集まってくる常連たち(ミッキーカーチス、ダンカン、斎藤洋介ら)のドタバタやらも、どこか憎めない。
ダサくささが加わって、作品はいかにもアトホームだ。
多少の耳ざわりなギャグが気にならないこともないが、監督の若さゆえだろう。
役者も、結構一筋縄ではいかない個性派をよく揃えた。

人は誰もが孤独で、淋しいのだ。
皆が誰かを求めている。誰かに寄りかかりたい。
男も女も、そんな淋しい連中が、あたたかな温もりを求めて集まってくる。
夢を追い、いとおしさを胸に抱いて、孤独をかみしめる男の姿がある。
何かを求めて、身を投げ出したくなるような、女の切なさがある。
それもこれも、この世のどこにでもありそうな、一見頼りない風景だ。
その風景のなかで、人は出会いと別れを繰り返していく・・・。
人生の小さな離合集散には、いつでもどこでも、何かドラマがあるようだ。

下心と下心がすれ違う。
そして、やがて可笑しき男と女・・・。
何気ない会話から、ユーモアがあふれてきて、笑ったと思ったら切なくなる。
ダサいのはダサいなりに、だからそれが妙にいとおしい。
小さな喫茶店に、心のあたたまる世界が広がっているような・・・。
たとえ上手くいかなくても、人に寄りかかりたくなる。
気にかけてくれる人がいれば、少しは楽になる。
同じ方向を見ながら、でもどこかチグハグで、それでもお互いに元気をもらい受ける・・・。

人によっては、胸にキュンとくるドラマかも知れない。
勘違いと勢いから始まった、ひと夏の出来事だ。
それも、何とも不器用な人間たちの・・・。
そうなのだ。
それは、裕次郎の見た、たぶん、夏の日のほろ苦い白日夢だったのだ。
映画「純喫茶磯辺」は、文字通り、午後の紅茶でもすすりながら観る、大人のコミックである・・・。