予想通りだった。
五輪招致で、東京はあっけなく敗れた。
招致を期待していた人たちには、残念な結果だった。
2016年の開催国は、ブラジルのリオデジャネイロに決定した。
南半球では初めてだというから、これはこれでよかったのではという気がする。
昨年北京で開催されたのに、7年後にまたアジアで開催というのはありえない話だったし、いまの東京はリオデジャネイロを圧倒するような話題にも乏しい。
選手村予定地の狭いことも、言われていた。
それに、この不況のさなかに、開催賛成を叫ぶ世論も支持率も低く、後押しが寂しかった。
審査会場での、リオのあのすごい熱気はどうだ。
とても、日本の比なんかではない。
内憂外患、難問山積のさなか、1泊3日のデンマーク行きに超多忙の鳩山総理まで担ぎ出した。
なにせ東京都は、これまで3年間も招致運動をやってきて、使われた税金が150億円である。
それが、あっという間に水の泡と消えてしまった。
ため息がもれる。
この、壮大なるムダ遣い(?!)に、損害賠償責任はないのだろうか。
石原都知事は、これで何を残したか。
150億円の中身を知って、驚くばかりだ。
内訳は、接待費、プロモーションビデオ、ノボリの広報活動費、招致委員会の旅費、それにプレゼン衣装1着30万円のスーツ50着などだ。
宿泊する高級ホテルは、1泊10万円するそうだ。
コペンハーゲンに行くだけでも、鳩山総理の分まで含めると、政府専用機の燃料代や整備費、クルーやSP政府関係者の宿泊費など、IOC総会の「応援ツアー」だけで総額1億円は下らないといわれている。
本当に、とんだ‘カネ食い虫’とは、よくいったものです。
公権力の上に立つと、個人的な事情や政治的な思惑があって、五輪招致にとことんこだわったのか。
新銀行東京の乱脈経営といい、築地市場の移転問題といい、都知事の失政が次々と明らかになっている。
オリンピックが成功すれば、歴史に名が残るからと、よこしまな計算が働いたのだろうか。
一体、誰のためのオリンピックを考えていたのか、だ。
今回の落選は、予想通りの落選だと、巷ではもっぱらだ。
政治の力学がどうとかこうとか、言い訳ばかり言っている。
負けは負け、敗者は敗者だ!おのれのいたらなさをこそ、知るべしではないのか。
唯我独尊・・・、何という見苦しさか。
いつも、この人はこうだ。
150億円は、返済されるのか。
これだけのお金があれば、保育所や託児所がどれだけできるか。
八ッ場ダムの問題が、建設中止と決まって、その負担金525億円を返せと言い出したのは、どこのどなたでしたか。
ドブに捨てたと見られている、150億円の損害を賠償する責任はないのだろうか。
鳩山総理のコペンハーゲン行きも、結局上手く利用されたのだ。
東京が落選したとして、都知事のおひざもと都庁では、職員たちがホッとしているという。
それもそのはずで、職員の9割までが、東京にオリンピックが来るわけもなく、来てほしくないと言っていたのだから。
それで、もし東京開催が決まったらどうなっただろうか。
凄まじい混乱が、待っていたのではないか。
五輪開催には、実に3100億円の予算が組まれていたそうだ。
都の財政だって、大変だ。
職員たちは、知事が2020年五輪に再チャレンジを言い出すのではないかと、ハラハラしているのだ。
もっとも、そのときには石原知事ではないだろうが・・・。
とにかく、個人の政治的な(?)野心に、巨額な税金がムダ遣いされてはかなわない。
知事は、「開催が東京でなくて、大変残念に思う」と言ったが、それで済まされる問題ではない。
このムダ遣いの責任と賠償問題、とことん追求していくことが必要だ。
・・・ところで別の話だが、横浜市の開国博Y150が先月閉幕して、入場者数が惨憺たる結果だった。
見込んでいた500万人に対して、入ったのはわずか4分の1の124万人だった。
中田前市長は、任期途中で辞職してしまったが、157億円もの総予算をかけながら、見込んでいた入場者収入も24億円では、トホホ・・・というわけだ。
前市長の謝罪の弁もなく、市議会では検証のため参考人招致を決めたが、当人は応ずる気配がない。
アトラクションなど内容に乏しく、すぐ見終わってしまうのに、2400円もの入場料はいかにも高すぎると言う声をいたるところで耳にした。
前市長を支えていた、副市長は責任を取って辞任したが、中田氏は説明責任を果たすべきではないだろうか。
八ッ場(やんば)ダムの由来を調べてみると、狭い谷で猟をする場所を矢場(やば→やんば)と言ったり、谷川の流れの急なところを谷場(やば→やんば)と言ったとか、八つの猟場を八つ場またはやん場と呼んだとか・・・。
諸説紛々で、いずれもさだかではないようだ。
「やば」より「やんば」の方が発音しやすいから、「やんば」と呼ばれるようになったのではないかとも言われている。
それはさておき、その揺れる八ッ場ダムが膠着状態だ。
国交省と地元住民が、話し合いのための、同じテーブルに着くのはいつのことになるのか。
その日はくるのだろうか。
「ダム工事中止」についての、あるテレビの世論調査の結果を見た。
それによると、「支持する」は33%、「支持しない」は34%、「わからない」が33%だった。
この数字は、何を物語るか。
ダムは本当に必要か。
そのことが、公共工事見直しの一歩になると国交相は言う。
公共工事より、人、生命、子供を大切にするのか。
それとも、ここまで進めてしまったコンクリート工事を大事にするのか。
政府主導の実現というのは、国民(住民)との対話は欠かせない。
ムダなダム工事の中止は当然としても、それを実行する手順などは何も決まっていない。
国民にも知らされていない。
両者の言い分はもっともだ。
国民の暮らしをよくしようとするからには、民主主義はプロセスが大切なはずだ。
八ッ場ダム建設に反対する、地元民の反発をどう見るか。
群馬県というと、町議、代議士、知事まで、自民党でなければ政治家ではないというお国柄ではないか。
八ッ場ダム地元の温泉街の観光協会会長は、今年の7月、ある大新聞のインタビューで、「ダムの建設をやめてもかまわない」と明言した人だ。
それなのに、総選挙の後で態度を一変、ダム建設推進派に変わった。
どうしてだ。何ゆえの変節か。
何か、圧力があったのか、勘ぐられても仕方がない。
国民を欺いてはいけない。
え~ッと思うような、仰天の情報がある。
国交省の職員が、ダム建設を落札している企業37社に、52人も天下りしているのだ。
さらに、7つの公益法人に25人、随意契約者へも大勢が天下っていて、何と57社に99人、合計176人もがこのダムを食い物にしているというのだ!
当然、受注企業の中には、自民党に献金しているところもある。
地元民の、ダム中止への反発を煽って、民主党の公約なんぞ立ち往生させるというなら、ダム工事は存続だ。
民主党政権には大打撃だろうし、何やら怪しげな思惑が見え隠れする。
ダム建設推進派と別に、建設中止派もいることを忘れてはいないか。
中止派の住民は、前原国交相と会って話し合いの場を持ちたかったらしいのだが、推進派にもみ消された。
中止派が、町長ら推進派の強い圧力に屈し、村八分を恐れたか。
そこには、不気味な静謐が漂っている。
マスコミも、これらの動静は全く報道しようとはしない。
何故だろうか。
いま、新聞、テレビの報道を100%うのみにすることはできない。
裏で、何が動いているのか。
176人もの天下りは、何を意味するのか。
前自民政権の、大いなる負の遺産を前に、民主政権は重責を担っている。
どうしたって、改革が必要なのだ。
変りゆこうとするもの、変わるべきものがある・・・、だから政権交代なのだ。
船出したばかりの民主党政権だが、はじめは試行錯誤の繰り返しだ。
それを、批判的にあげつらう報道の多い中で、いかにして国民目線に沿って報道していくことができるか。
報道は、いつも、公正に真実を伝えてくれているのだろうか?
群馬県長野原町の町役場には、24日夕方から25日朝にかけて、「八ッ場ダムを中止しろ」のコールが、鳴りっぱなしだったというではないか。
電話は、一夜だけで約500本あって、もうパンク状態だったそうだ。
ダム建設中止か。継続か。(いや、ムダ建設なら中止の方がよいが)
ダム工事などの公共工事に限らず、このような住民騒動は、ほかにも各地で起こりうることだろう。
それも、また当然だ。
表と裏、上と下、180度の転換だ。
私たちが、実質、初めて経験する政権交代とは何だ。
平成維新、これが、まさに政権交代なのだ。
利水、治水の両面でも、このダムが不要不急であることに異論はない。
完成させようとすれば、莫大な費用がかかり、すでに予定事業費の7割のお金が使われている。
だからといって、不必要なものに、さらなる費用を注ぎ込むのか。
総事業費4600億円は、利子を含めたら2倍に膨らむのだ。
ああ、この壮大なムダ遣い。(?!)
幸い、ダム本体の工事には着手していないのだから、止められるならいましかない。
しかも、地元の思いを汲んで、見直すか、継続するかを決めなければならない。
前原国交相は、国民との約束を履行すべく、建設中止を明言した。
それでも、地元の理解が得られるまで、廃止手続きは進めないとしている。
前原氏は、地元住民に説明を尽くしたいとしているが、地元では‘白紙’の状態での意見交換を求めていて、はじめに中止ありきでは話にならないと言って、譲る気配はない。
一体、どうなるのか。
八ッ場ダムには、60年近い歴史がある。
ダム建設にさんざん反対していた住民たちが、疲れきって、やむなく建設を受け入たのだ。
それは、耐え難い苦渋の決断であった。
そこまでして、水が必要だったのか。
しかし、長い年月の間に、いろいろと状況は変わってきた・・・。
半世紀以上をかけても、ダムは完成にいたっていない。
この公共工事は、誰のためになされたのだろうか。
政権がかわって、工事中止は決まったのだ。
これまでに、何故ダム建設を止めようという発想は出てこなかったのだろうか。
生活をまもるために、泣く泣くダム工事を受け入れた人たちこそ、公共工事という名のもとでの悲しき犠牲者だ。
ここにいたるまで費やされた事業費が、たとえ捨て金になったとしても、この工事は中止されるべきではないだろうか。
これは、公共工事を見直すための、大きなモデルとも言える。
高い授業料となって、他の地域のずさんな建設事業も止まるだろうし、八ッ場ダムの経験が生かされることを祈りたい。
ムダな工事は、止めるべきである。
政府は、住民の生活を守る観点から、十分な説明責任を果たすとともに、一日も早く住民の生活の再建策を講じるべきだ。
国土と住民の心を荒廃させ、疲弊させることのない、真摯な対応こそ急務だ。
個人的にも、吾妻渓谷のあの美しい景観を、残してほしいと思っている。
国や市が住民の生活再建や補償に乗り出しても、一度人生を否定された思いをつのらせている地元住民の心は、容易に癒されるものではない。
将来に展望のない生活を強いてきたのは、ほかならぬ政治の責任だ。
嗚呼!
友愛の民主政権が、この一件、どういう結論を引き出すのか。
とくと拝見したい。
国民の大いなる期待を担って、鳩山新政権が始動した。
先月30日の総選挙で当選した、衆院議員の8月分の歳費が、480人全員に支給されたそうだ。
8月の在任期間は、投開票のあった、30日と31日のたった2日間だ(!)。
それで、歳費と文書交通費の名目で、合わせて何と230万1000円が満額支払われたのだ。
これ、日給計算にすると、1日では115万円、全議員分で約11億円という途方もない巨額な支出だ。
こんなムダ遣いが、堂々とまかり通っているなんて、どう考えたっておかしい。
とてもとても、一般社会常識では考えられない。
確かに、歳費というのは、法律で一人当たり月130万1000円と規定されている。
8月の在任期間は僅か2日間だ。
「日割り」なら1日あたり14万円だが、「日割り計算」などという制度は国会にはない。
だもんだから、たとえ1日でも2日でも、満額支給なのだそうだ。
その2日間といったって、実際は挨拶回りなどに忙しく、勤務実態ゼロの議員が大半だ。
これじゃあ、丸儲けだ。
また、政治活動(電話、交通費など)に支給される事実上の「歳費」と呼ばれる、月100万円の文書交通費が別途支給されるのだ。
こういう議員歳費の問題は、2年前の参院選の時も問題になった。
あの時は、投票日が7月29日だったから、たった3日間なのに全額支給はおかしいと、批判の声があがった。
しかし、議員たちは与野党で無視してしまった。
国民には、納得できない。
返納については、公選法が禁じる寄付行為として認められていないというから、一体どうなっているのか。
法律上、日割り計算できないというなら、法律を変えればいいだけなのだ。
議員自らのことなので、自分たちに有利なように、日割りや返納といった制度の導入に、あまり意欲的ではないのだ。
これこそ、全く「ムダ遣い」もいいところだ。
これまで、民主党はムダ遣いの削減、撤廃を叫び続けてきたのだから、身近なところから改革してもらいたいものだ。
そうでないと、国民の理解は得られないだろう。
八ッ場ダムをはじめ、全国の143のダムの見直しも当然のことながら、「ムダ遣いをなくそう」を合言葉に、歴代二位タイで世論の支持率71%という高さを誇る(?)、鳩山政権の一挙手一投足に、いま国民の誰もが熱い視線を投げている。
民主党、どうするか。
まず、隗より始めよだ。
それはそれで結構なことだ。
希望と理想に(?)向かって、だけれども・・・。
好きな人と出会いたい。
素敵なデートもしてみたい。やっぱり、人並み(?)に・・・。
でも、お金がない。
結婚だってしたいができない、そういう若い男性が多い。
実際に、増えているのも確かだ。
若者の生活にゆとりがない。
ワーキングプアだ。
生活が楽ではないから、お金もたまらない。
石川啄木の心境だ。
「お金がなかったら、結婚などしないほうがいい。いや、してはいけない」
顰蹙をかうような、ずいぶんとひどいことを言った総理大臣がいた。
そして、自分はお金があったから結婚できたが、時期だけは人より遅かったと・・・。
何を、とんちんかんなことを言っているのだ。
あるお年寄りの話を聞くと、そんな馬鹿な話はない、自分たちは金もなかったが、それでも家庭をもてたし、今では孫たちも元気一杯だと一笑に付した。
何でもありの、今の豊かな社会から見れば、あの懐かしい歌の文句ではないけれど、空っぽの三畳一間で愛を育んだ若者たちもいたのだ。
お金なんかなかった。
でも結婚したし、それが出来た。
結婚式をやらない、またやっても地味婚で済ませてお金をかけない。
そういうスタイルだって、近年多いではないか。
人間、やってできないということはない。
確かに、上質な幸福というのは難しいかもしれない。
何も、上質である必要はない。
お金がなくて、貧しくても、幸せはあるものだと先人たちは語る。
豊かさに目がくらんでいると、小さな幸せさえも、手に入らない。
そんな気がする。
幸せになるつもりで結婚しても、すぐ離婚するカップルも多いことだし、結婚と離婚を、ゲームのように繰り返す男女のいかに多いことか。
人生、生涯独身だって、考えようで案外幸せかも知れない。
しかし、沢山の兄弟や友人に恵まれている場合はともかく、たった一人で晩年を迎えるのは寂しいものだ。
妻や夫に先立たれて、残された男や女たちは、周囲に誰かがいても、よかれあしかれ孤独なもの・・・、きっと誰か、何か支えを求めたくなることだってあるだろう。
これだけは、言える。
どんなにきれいごとを言っても、人は、所詮ひとりでは生きてはゆけないものだ。
ただ、結婚となると、出会いも必要だし、お金はないよりあったほうがいい。
でも、お金がすべてだと思い込んでしまうと、先が見えなくなる。
いま、働こうにも仕事さえ見つからない。
こんな雇用情勢の中では、生活する、生きていくだけで精いっぱいなのだ。
何と、かなり若い女性の路上生活者が、急速に増えているといわれる。
男性も女性も、生きにくい世の中だ。
世界的不況とはいえ、どうしてこんなことになってきたのだろう。
日本で、100歳以上のお年寄りが4万人に達したときいた。
これは、驚きだ。
生きにくい世の中で、少子高齢化だけはどんどん進んでいる!
できれば、戦争のない平和な世に生まれ、健全に育ち、心豊かに生き、いつまでも安心して等しく幸せでいられるような、そんな社会を誰もが願っている。
お金がなくたって、結婚できるような・・・。
さんざん聴かされて、いささか陳腐な話かもしれないが、誰かが言っていた。
「人間、生きるのに、そんなに幸せになれなくたっていいと、自分で思うことだ」とも・・・。
衆議院総選挙は、マスコミの大方の予想通り、民主党の圧勝で終わった。
有権者の怒りが、日本の歴史を動かしたのだった。
高笑いをする者がいた。涙する者がいた。
始まりがあり、終わりがあった・・・。
自民党の惨敗は、目をおおいたくなるひどさだ。
自民の面々は、誰もが茫然自失、まるで魂が抜けたようであった。
誰かも言うように、日本人は、こっちが駄目ならそっち、そっちが駄目ならあちらというように、その時の風に弱い。
その風がやんだときに、我に帰る。
時間がたってみないと、結果なんてわからないものだが・・・。
衆愚の選択は、正しかったか。
でも、今度の選挙結果を受けて、朝日新聞が緊急世論調査をしたところ、民主党中心の新政権に「期待する」と答えた人は74%に達し、「期待しない」は17%だった。
また、政権交代が起きて「よかった」とする意見は69%で、「よくなかった」は10%だった。
全体として、政権交代を歓迎しつつも、民主党の政策、力量を不安視する意見も少なくない。
国家を破壊し、好き勝手放題に庶民を裏切り続けた政権に、鉄槌が下った。
人はこれを、国民による「無血革命」「平成維新」などと呼ぶ。
政局の大逆転に、どこかの国のように一滴の血も流さずに、である。
歴史的使命(?)をとうに終えていたはずの、自民党終焉の構図がこれだ。
政権交代、それは歴史が大きく動いた日だ。
半世紀以上も延々と続いた、自民党の一党支配は、ついに国民の手によって突き崩され、明治維新のような歴史的事件が政治の現実となった。
このことは、政治の主役が、日本の歴史では初めて国民の手に渡ることを意味する。
これまで、官僚と手を組んでいた自民党が、税金を好き勝手に使ってきた。
これからは、国民が自分自身で使い道を判断する政治に変わる。
いや、変わらねばならない。
主役は国民になる。
その代わり、国民の側にも責任は重い。
民主党の鳩山代表は、会見で「政治は国民主役の政治に変えていく」と強調していた。
今後は、国民との約束がどのように果たされるか、見ものである。
新政府発足当初は、いろいろと予測できない混乱も起きるだろう。
自民党にだって、かつては始まりがあった。
民主党政権も、初めての政権だ。
最初から、何もかもがうまくいくわけがない。
時間もかかるだろう。
しかし、待ったなしの案件は急がなければならないのは、当然のことだ。
今回の、民主大勝をもたらしたのは、影の将軍によるところが大きい。
良くも悪くも、いろいろあるだろうが、民主党代表代行の軍師としての功績はさすがだ。
彼の力がなかったら、これほどの勝利はなかっただろう。
すでに来年の参院選を見すえていて、どう動くか。
もともと寄せ集め状態の民主党が、どんな人事を行い、どのように機能していくか、とくと拝見したい。
誰かさんのように、日本をダメにする無能な人物を、当選させてしまうような選挙民は、あとになってああでもない、こうでもないと、政治に文句を言う資格などない。
どこの党の誰に投票しようが、選挙民自身の結果責任なのだ。
このことは、もって瞑すべしだ。
これまで、日本の政治をさんざんに腐敗させた「A級戦犯」たちは、きついお灸をすえられて当然だ。
そして、そういう「戦犯」を国会に送ってきた国民とて、同罪だ。
政治家を選ぶ、国民の「民度」も問題だ。
人を見る確かな目もなく、一時の空気のつくる風に、吹かれて舞うような・・・。
国民の選んだ政治家たちの、いかに多くが、どれだけ日本をダメにしてきたことか。
麻生首相は、歴史的な惨敗を導いた当事者として、自らの責任を総括して、もっと明確に語るべきだ。
この国を統治する最高責任者として、これまでの数々の失政を、どうして素直に国民に謝罪しないのだろうか。
自分の非力と無力を、自分で認めて、そのことを国民にわびる言葉は最後まで聞かれなかった。
自民党の建て直しは、難しいだろう。
結局は、消滅の道(?)をたどることになるのか。
・・・そして、もしかすると、政界再編の新たな動きが出てくるかもしれない。
さあ、民主党の言うところの財源論だが、予算の組み替えはうまくいくのだろうか。
霞ヶ関は、戦々恐々としている。
日本の総予算は、一般会計、特別会計合わせると207兆円といわれる。
あまりにどでかい話で、ぴんとこない。
まずは、麻生政権の決めた、補正予算の一部執行停止ということか。
・・・というと、例の「公営マンガ喫茶」の建設費117億円のカットだ。
そのあたりから、じわじわと始めていく。
問題となるのは、10年度予算のようで、これからが組み替えの本番だといわれる。
公共事業の見直しなど、既得権益が絡んでくる。
あの八ッ場ダムなんか、これも大変だ。
官僚の抵抗は激しくなるだろうが、それでも民主党はやる覚悟だ。
約束した、目玉政策が実現できないときは、新政権も覚束なく、再び野党へ逆戻りだ。
はたして、うまく出来るのだろうか。
イタリアの新聞は、民主党圧勝の報道で、鳩山代表を日本のケネディと例えたそうだ。
鳩山新首相は、16日の特別国会で誕生する。
これから4年間、政権与党としての、民主党の手腕が問われる。
新政権の、「愛」をかかげた政治を、しっかりと見守っていかなくてはならない。
何故なら、彼らを選んだのは国民なのだから・・・。
くどいようだが、国民の責任は大きい。
厳しい残暑の中、選挙戦たけなわだ。
毎日、‘騒音’を撒き散らして、選挙カーが住宅街を駆け抜けていく。
これに苦しむ住民の‘犯罪’が、頻発しているということだ。
「家で食事をしていたが、演説がうるさくて腹が立った」と、自宅の近くで街頭演説中だった、候補者の男性運動員からいきなりマイクをつかみ取って、拡声器を通じて「うるさいんだ」と大声で怒鳴った50歳の会社員が、警察に逮捕された。
選挙演説を妨害した疑いだ。
そうかと思うと、「選挙カーの声がうるさかった」からと言って、演説中の候補者らにバケツの水をかけたアルバイト男性や、選挙運動のビラを配っていた運動員につばを吐きかけた男も、公職選挙法違反の容疑で現行犯で逮捕された。
彼は、「ビラを差し出され、邪魔だった」と述べているというから、とにかくいろいろあるものだ。
選挙の時期になると、毎度のことながら、候補者の名前を大音響で連呼し続ける、あの選挙カーに悩まされる人がいかに多いことか。
「あと少しです。頑張ります!」と絶叫する相手に、「おい、頼むから頑張らんでくれ!頑張らんでいいんだ!」と悪態をついて窓を閉めたという、男の話も聴いた。
選挙カーって、いたってうるさいものなのだ。ほんとうに・・・。
すぐに通り過ぎるので、はて何を言ってるのかと耳を傾けても、容易には理解できない。
言葉が、とにかくよくわからないのだ。
人に聞いても、やっぱりよくわからないという。
それに、あの騒音で、テレビの音などはほとんどかき消されて、迷惑と言えば迷惑な話だ。
いつも夜勤の人たちは、貴重な睡眠時間を妨げられる日が、何日も続く。
そんな選挙運動って必要なのかと、疑問を呈する善良な市民もいる。
今回の衆院選に、市長、市会議員の三つの選挙が予定されているところは、これに各党の候補者が何人も入り乱れて、かなりの騒々しさである。
だから、選挙の時期にイライラがつのる人は多い。
まったくだ。
あの選挙カーの宣伝(?)に、何ほどの効果があるのか。
苦情も多く、腹立たしく思っている人のいかに多いことか。
手を振って、大声で名前を連呼する日本の選挙制度(?!)は、そろそろ改めてもいいのではないか。
あの選挙カーの、借り上げ費や燃料費、運転手代など、みんな公費で支払われる。
過去の選挙では、候補者が実際に使った分以上の金額を水増し請求していたことが、次々と明るみに出て問題となったことがあった。(領収書なしというのもおかしい)
2005年の都議選のときは、過大請求が発覚した60人が、総額352万円を都に返還したそうだ。
同じような不正請求が、全国各地の地方選でも、衆院選や参院選でも繰り返されているらしい。(いまでも?)
テレビで大事なニュースが放送されているときに、選挙カーの演説が邪魔になって、肝心のところがよく聞こえなかったことは幾度もあるし、うるさいなあと思ったことだって数え切れない。
近所の知人が、いみじくもこぼしていた。
「自分の少ない稼ぎの中から払った税金で、しかもいい加減な過剰分まで負担させられているとしたら、やってらんねえや・・・。ふざけんなよ!」
あるテレビのアンケート調査では、「選挙カー廃止」を支持する視聴者は9割近くもいると紹介していた。
選挙のための個人演説会だってある。
政府広報もある。
テレビ、ラジオの政見放送もある。
それで、十分ではないだろうか。
そうすれば、莫大な選挙費用はかけずにすむのではないか。
ビラやチラシだって、ポストに入れられて迷惑だという声もある。
人の迷惑になるばかりか、国民の税金のとんでもないムダ遣いはやめたほうがいい。
いたるところにバラ撒かれている、税金のムダ遣いをなくすだけで、「子ども手当て」の財源ぐらい確保できる。
投票所ごとの看板やポスターも、一考の余地があるだろう。
国民や市民の、政治のための代表を選ぶ「選挙」に、そもそもお金がかかることが、根底からおかしい。
何故、お金のかからない選挙ができないのか。
公職選挙法も結構だが、いつまでたっても、おきまりの日本の選挙制度は、後進国みたいだ。
考え直すべきではないだろうか。
朝夕は、冷たい秋の風を感じるようになってきた。
それでも、日中は、まだまだ残暑が厳しい日が続きそうだ。
二大政党が政権をかけた衆院選が公示され、暑い夏の‘決戦’がスタートした。
自民党の「責任力」か。
民主党の「チェンジ」か。
自民党は、何が何でも日本の国民の生活を守る(?!)と強調し、民主党は、日本の歴史を塗り変える日がいよいよやって来たと訴える。
暑い、熱い、戦いだ。
この暑さのなかで、案じていたように、早くもダウンした大物議員もいる。
戦も命がけだ。
くれぐれも、御身大切に・・・。
総選挙の序盤情勢の調査では、依然として民主党の優位が続いていて、それも単独で過半数(241)を大きく超え、300議席台をうかがう勢いだ。
自民党は、選挙前の議席(300)の半数にも届かず、それよりもさらに後退する可能性のあることがわかった。
つまり、明らかに、政権交代が国民に大いに期待されているということだ。
民意は、正直だ。
この4年間を振り返ってみて、どうか。
小泉政治はどうだったか。
あれほどに吹き荒れた小泉旋風で、郵政民営化はどうなったか。
そして、景気はどうなったか。
社会保障はよくなったか。
すべて、公約にうたった自民党政治はどうだったか。
果たして、政治はよくなったか。
麻生総理からは、これまでの総括の声も、反省の弁も聞かれない。
確かに、自民党の支持率低下については、自身の一連の発言が、多くの人々の信頼を失ったことだけは、素直に認めざるをえなかったようだ。
それだけだろうか。
自公政権の、これまでやってきた失政は棚上げだ。
それで、最後の最後まで、民主党に対する批判ばかりを繰り返している。
首相として、きわめて情けない姿だ。
いま、テレビで大写しされる画面に見る麻生総理の表情は、一段と険しい。
何かに怒っているようでもあり、憤っているようにも見える。
よく聴いていると、「ザイゲン♪、ザイゲン♪」「セキニン♪、セキニン♪」と鳴き続けている鳥がいるのです。
この残暑のさなか、短い夏を惜しむように、降りやまぬ蝉時雨と重なって、それはもう消え入りそうな声で・・・。
聞くところによれば、どうもアホウ鳥の新種らしく、アソウ鳥ではないかと言われているそうです。(?!)
ひぇ~っ!そうでしたか。存じませんでした。
・・・今回の衆院選、自民党の三役経験者はもとより、長老、大物も、夥しい民主党の刺客と対峙し、厳しい選挙戦をくりひろげている。
まるで、小泉選挙の逆の様相を呈している。あのときの、ささやかな(?)お返しのようだ。
自民党の立候補者たちは、誰もが、厳しい選挙だと口々に言い合っている。
あの絆創膏大臣も、絆創膏を貼って出陣した。
手首に貼ったその絆創膏には、願掛けのミッキーマウスの図柄が入っていた。
ある小泉チルドレンは、大勢の面前で土下座をして、頭を地面にすりつけて聴衆に訴えていた。
ほとんど、涙声だった。
「私は、あなた方とは違うんです!」と言い放って、首相の座を投げ捨てた長老も、今回ばかりはドブ板選挙で、ひとりひとりに自ら握手を求め、頭を下げてまわる姿がテレビに映し出されていた・・・。
そして、民主党の放った若き女刺客たちの、平成の熱つ姫様のバトルも、一段と凄まじさを増すばかりだ。
日本の北から南まで、列島を縦断、「男なにする者ぞ」と戦乱の世に立ち上がった女たちからも、がぜん目が離せなくなってきた・・・。
自公政権が、自ら総括を行わないから、代わって、国民が彼らのこれまでの総括をするのだ。
政権交代が、ごく普通に行われるような、日本ならではの、そういう政党文化が育つべきだ。
民意の力が、新しい民主主義をつくる。新しい民主主義を生む。
政権交代の時代の流れは、逆戻りしてはならない。
これで、もし自民党が敗者となったら、潔くこれまでの奢りを捨て、野党に徹することだ。
麻生総理は、「政権交代のあとには、明るい未来はない」と、大言壮語している。
果たしてそうか。
この半世紀あまり、日本で、野党が選挙戦で第一党を奪って政権についたことはない。
政権党に失政があれば、別の政党に取り換える。
当たり前のことではないか。
それが出来るような、国でなくてはいけないはずだ。
国民のための、庶民のための政権選択の選挙戦が、最終ラウンドに入ろうとしている!
誰もが、みんなが見ている。
何かが、変わる。何かが・・・?
日本が、変わるか。日本を、変えるのか。
それとも、何も変わらないのか。
いや、変わってほしい。
国民の一票が、国を変える。
期待は、高まるばかりだ。
・・・何も考えないで、文章の上っ面だけを追いかけているから、おかしな誤読をする!
麻生総理が、長崎の原爆祈念式典の挨拶で、「一命をとりとめた方も、癒すことのできない傷跡を残すこととなられました」と読み上げたが、「傷跡」を「きずあと」と読むところを「しょうせき」と読み違えた。
人の心の痛みなど、何も考えていない証拠ではないかと、多くの人が呆れている。
漫画読みの漢字知らずで、よくやってくれました。まったく、最後まで・・・。
残暑厳しいさなかで、駅前や街頭で、衆議院選挙立候補者の舌戦が盛んだ。
まだ政権交代もしていないというのに、公約や政策のアラ探しばかりしても・・・。
大体、マニフェストの枝葉末節をあれこれ批判したところで、訳が解らなくなるばかりだ。
選挙の争点は、何もマニフェストの優劣ではないはずだし、自民、民主のそれを比較したところで、いたずらに混乱をまねくのがおちなのに・・・。
そもそも、自公政権の失政、悪政を断罪(?)すべきなのに、大事なところから有権者の目はそらされてしまうではないか。
どちらの手当てが得か、財源はどうするのかと、皮算用にばかり話が集中する。
そんなことを、あまり大ごとに扱うのはいかがなものだろうか。
政権公約の検証となれば、確かに大事なことには違いない。
だからといって、これまでの自民政権、自公政権が、公約を忠実に守ったことってどれだけあるだろうか。
思い出されることが、多々ある。
選挙が終わったとたんに、消費税アップを強行した橋本内閣、後期高齢者医療や裁判員制度導入について、小泉内閣の選挙で問われたこともなかった!
安倍内閣はどうだったか。
北朝鮮の拉致問題の全面解決、消えた年金の名寄せ完了はどうなったのか。
はっきり言って、何もかもが、ほったらかし状態だ。
こういうことを、デタラメというのでは・・・?
いかに、自民党の公約がいい加減だったか。
それで、他党のことなんか言えたものではない。
民主党の財源論が、いろいろと問われている。
民主党は、まだ野党だ。
財源の明細書なくして、正確なものは出来っこないし、そんなことにいま労力を費やしている暇などない。
何をどう充実させるか、政策の優先順位が大切だ。
政党にとって重要なことは、どういう社会が生まれるかといった、思想や理念ではないですか。
思想なくして、数値目標なんて・・・?
官僚と癒着している自民政権ならともかく、いまはまだ野党である民主党に、官僚が手の内をみせるか!
150兆円といわれる特別会計の中身も、官僚は隠したままだと言うではないか。
ひどい話だ。
そんなことも分かりきったうえで、財源の詳細を明らかにしろと、矢の催促だ。
これでは、まるでヤクザみたいだ。
自民党と民主党では、理念が全然違うし、予算の組み立て方も、配分の方法も全然違うはずだ。
自民党は、過去60年以上も、官僚の協力のもとに、各種の団体に予算を流し、代わりに票や献金をもらってきたのではないか。
それでもって、庶民の暮らしは二の次だ。
だからこそ、庶民の不満が積もり積もって、政権交代の声が高まっているのでは・・・。
民主党は、予算の組み替えも、配分先も、団体ではなく個人に切り替え、国民生活本位の政治を目指そうとしている。
目指す政治の尺度が、自民党とは違うわけで、大体比較のしようがないのではないか。
著名な評論家も言っているように、こういったことを同じ土俵上で点検、議論するのは自民党的発想で、もう要するに政権交代させたくないだけなのだ。
有権者は、だまされてはいけない。
麻生総理は、民主党を経済の成長戦略がないと批判している。
そして、日本を守り、国民生活を守る、景気を回復させると息まいている。
でも、この20年、自民党が景気を回復させたことがあったというのだろうか。
不況をここまで悪化させたのは、自民政権では・・・?
それこそ、経済失政だ。
そして、驚くなかれ、国の借金は600兆円から800兆円にまで膨らんでしまった!
これで、民主党に対して、成長戦略がないなどと言えますか。
一握りの大企業を優遇した自民政権が、庶民の個人のふところを寂しくしてしまって、それでは景気がよくなるはずもない。
自民政権は、10年間で、家庭の可処分所得を100万円増やすと謳っている。
しかし、厚労省の統計だと、1世帯あたり平均所得は100万円もダウンしているそうだ。
それを、この先どうやって増やすというのだろう。
選挙前になると、飴玉をちらつかせて、子供をだましているみたいな・・・。
だから、悪政の目くらましと言われても仕方がない。
自民、公明のマニフェストをご存知ですか。
年金政策で、受給資格の加入期間を現行25年から10年に短縮すると、突然言い出した。
そんな大事なことを、いままで何で放置していたのか。
国会で、とうに審議を終わっていてあたりまえの話だ。
これもまた、選挙目当てなのか。
100年安心と言って、手をつけていなかったのは自公政権だ。
この4年間に、実現できなかった政策までマニフェストに載せて、ひとことの説明とてない。
自民党もいろいろと言うが、おのれのこれまでの失政の反省も総括も棚上げして、野党を突っついている。
こんなことで、国民、有権者が納得するだろうか。
先日の党首討論も、いささか物足りない内容だった。
これからも、テーマを絞って中身の濃い討論を期待したい。
今の政治の閉塞状況を招いたのは、間違いなく自民政権だ。
重ねて言いたい。
800兆円もの財政赤字を積み上げて、歴代の自民党政権はその責を負わないのか。
その総括と反省はどうなっているのか。
たとえ、民主党政権ができても、この膨大な国家の借金は引き継がねばならないのだから・・・。
・・・間もなく、有権者の審判が下る。
何かの前兆か・・・? とも思いたくなる。
激しい雨が降り続いたかと思うと、真夏の日射しが照りつけて、暑い。
夜になっても降り止まぬ、蝉しぐれ・・・。
どこかで、打ち上げ花火の音がする。
そういえば、今日も浴衣姿の若い女性を電車で見かけた。
学校も職場も夏休みに入って、大人も子供も、街に人が溢れている。
そんな中で、各党の熱い選挙戦が活発に繰り広げられている。
今度の選挙は、政権交代か継続かが、焦点だ。
戦後64年たって、本当の民主主義が実現する可能性が、いやがうえにも高まってきた。
自民も民主も、各政党の公約のマニフェストが出揃った。
でも、自民党のマニフェストは、具体的な予算の額とか、手順などはほとんど書かれていないので、あいまいさを残したものとなった。
野党の民主党でさえ、子供手当てなどの分野を最優先に、所要額や達成の時期を明記した工程表まで掲げて説明している。
政権党である、自民党のマニフェストは、あまりにも大づかみで、これでもって民主党を、「財源が不明確だ」などとはよく言えたものである。
この点は、自民党とて、自党のことを棚に上げて、不明確のそしりを免れない。
まあ、どちらも一日でも早く実現して欲しい政策ばかり並んでいる。
国民への呼びかけも、必死だ。
どん底不況の長期化で、庶民の暮らしは日に日にままならない。
政権奪取を目指す民主党のマニフェストは、国民生活重視の内容だ。
教育、医療など国民生活に直結する内政を、新しい方向に持っていこうとする意欲が見られる。
要は、実行できるかだ。
民主党は、総予算207兆円の組み換えを、根幹とする。
予算編成を政治主導で行い、官僚のやりたい放題にストップがかかる。
国民のための政策決定が、期待できる。
利権と選挙のために、ムダと借金ばかり積み重ねてきた自公政権ではできない、画期的な政治改革となる。
是非、そうなってもらいたいものだ。
これに対して、自民党も民主党との対決軸を明らかにしようと懸命だ。
具体的には、よくわからないことが多い。
ここにきて、自民党の、口汚い、なりふりかまわぬ民主党批判はどうだ。
自民党の失政で、国と地方の借金はいまや1000兆円にも膨れ上がっている!
この責任をどう取るのかと問いたい。
他人や他党のことを、とやかく言う資格はない。
これを、破廉恥というのではないか。
バラまきはバラまきでも、自民党のそれは対象が個人ではなく業界だ。
個人に渡すと、パチンコに使ってしまうなんて、妙なことを言っている。
国民は、なめられているのだ。
それで、責任政党だと豪語している。
半世紀以上も、国民の税金を、政財官でいいように山分けして、湯水のようにその甘い汁を吸い続けてきたのではありませんか。
何が、どこが、責任政党なのか。
これこそ、もう噴飯ものだ。いい加減にしてくれと言いたい。
それにしても、麻生総理は、相変わらず高齢者を馬鹿にするような発言を繰り返している。
元気な高齢者は、働くしか才能がないなどとおかしなことを言って、顰蹙をかっている。
60歳を過ぎて、遊びや手習いを覚えても遅いから、元気な高齢者には働いてもらって、どんどん納税をしてもらえば、日本は全く違ったものになるなどと息巻いている。
お年寄りを、社会のお荷物ぐらいにしか考えていないのだ。
国のトップが、これである。
80歳を過ぎて遊びを覚えるのも、60歳を過ぎて社会人大学へ通ったり、パソコン教室に通う人は、馬鹿にされているのだろうか。
これとて、とんだ差別発言だ。
物事を始めるのに、遅すぎるということはないと言うではありませんか。
民主党の鳩山代表の85歳の義母は、韓流スターに会いたいからと、韓国語の勉強を始めたそうだ。
年をとって、向学心の旺盛な人は沢山いる。
65歳を過ぎて働いている高齢者の中には、生活のために働いている人も多い。
しかし、働きたくても、いまの世の中働くところもないのが現実だ。
高齢者を馬鹿にしていると、選挙のとき、有権者の票は、自民にそっぽを向き、みんな民主に流れていく。
その民主党の発表したマニフェストに、自民党が、ああでもない、こうでもないと言って、吼えまくっている。
確かに、財源論とか、いろいろある。
だからといって、野党を‘口撃’ばかりしていたってはじまらない。
相手の揚げ足を取るしか、攻め口がないのだろうか。
麻生総理には、何もしゃべらせないようにいした方がいいのではないか。
天下分け目の決戦を迎えようとしているときだ。
どうにも失言の止まらない、お粗末な(?)宰相を担いでいてどうするか。
国民を、馬鹿にしてはいけない。
何の経綸もなく、ただ首相になりたかっただけの人を担いで、どうするか。
民主党政権では不安だとかなんだとか言って、民主党に揺さぶりをかけるためには、自民党は何だってやる。
メディアまでが、それに加担することぐらい何でもない。
だって、彼らだって権力の一部だ。
何かの材料さえあれば、民主党の大勝を阻止するぐらい平気でやる。
投票日まで30日あるのだから、楽観はしないほうがいい。
まだ、この先何が起きるかわからない。
ここへきて、自民党を囲む状況は一変した。
これまでの、自民党の頼みのパートナーだった、賢明な(?)自民支持者たちも、そして無党派層の人たちも、一斉にそっぽを向き始めている!
選挙の結果は、やる前から見えているような気がする。
昨年の秋、早く国会を解散していればよかったのだ。
でも、それをしないで、ずるずると任期満了間際まできてしまった。
自民の候補者たちは、必死のドブ板をしたところで、目に見えて厳しい戦いになる。
これまで天国でも、明日からは地獄・・・、状況はどんどん悪化し、逆風の吹き荒れる今回の選挙戦だ。
勝利の女神は、どちらに微笑むか。
麻生総理は、自らを責任政党ととも言っているが、これまでどれだけ無責任の限りをつくしてきたことか。
国民は、過去を知っている。
決して、忘れてはいない。
4年前の小泉選挙で、公約した郵政民営化での「バラ色の未来」はどこへ・・・?
美しい国をずたずたにしてしまった。
あのときの、公約とは全く正反対の現実である。
郵政選挙で、自民が大勝した後の日本は、格差や貧困の拡大で、お先真っ暗な国になってしまった。
これが、現実の姿だ!
麻生総理は、政権交代は手段であって目的ではないと言っているが、今回は明らかに政権選択の選挙だ。
政権交代か、政権継続か、その一点だ。
善良な国民は、さんざん騙され続けてきたのだ。
これまでのような、政治家(?)の‘嘘’にはくれぐれも騙されずに、責任を持って一票を投じないといけない。