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徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

文学散歩「生誕140年柳田國男展」―日本人を戦慄せしめよ―

2015-10-09 12:30:00 | 日々彷徨


 深まりゆく秋、神奈川近代文学館を訪ねる。
 今年は、日本民俗学の祖、柳田國男(1875-1962生誕140年にあたる。
 彼には多くの著作があるが、とくに「遠野物語」などは一般によく読み親しまれたものだ。
 いまでも広く読み継がれ、その中身は、岩手県遠野に伝わる説話、伝説を詩情豊かな文章で綴っており、ときに怪奇幻想を超えたその世界は、文学作品としても評価が高い。
 「遠野物語」から「海上の道」まで、柳田國男の思考の根底にあるものは、常に貧困や差別といった問題意識だった。
 それは、現代社会が抱えうる課題に通じていると言える。

今回の展覧会は、柳田國男の民俗学の出発点ともなった、幼少期の原体験から日本人の源流を考究した最晩年まで87年間の生涯を4部門に分けて概観するものだ。
第1部「小さい家」から、第2部「遠野物語」誕生、第3部「「旅」と採集、第4部「日本文化の源流」~「海上の道」へ~で、関連資料を一堂に集めた貴重な機会にめぐり合えるというものだ。
そもそも、柳田國男の生涯の関心事は、「日本人はどこから来たか」ということではなかったか。

遠野物語」69話に出てくるオシラサマは、桑の木の棒に娘や馬の顔を書いたり掘ったりしたものに、布製の着物を着せて祀るものだ。
養蚕の神、女性の病の神などとして信仰されている。
遠野市立博物館蔵の、このオシラサマの展示なども興味深く観た。
柳田國男は、もともと若い時から文学に親しみ、抒情詩人として高い評価を得ていたが、最終的には文学者としての道を選ばず、官僚を志し、全国の山村を視察する中で、その土地土地に根ざし育まれた文化や風習に触れ、それがやがて民俗学という新しい学問を体系化していくことになったのだった。

本展は神奈川近代文学館にて、11月23日(月・祝)まで開催中。
記念イベントしては、10月17日(土)詩人・吉増剛造氏の講演、10月31日(土)評論家・山折哲雄氏の講演、11月7日(土)作家・京極夏彦氏の講演、また10月11日(日)21日(土)には語り部・大平悦子氏の遠野ことばで聴く「遠野ものがたり」や、ギャラリートークなど多彩な企画が催されるのも楽しみだ。


文学散歩―いのちを描く絵本作家・佐野洋子展―

2015-09-07 16:30:00 | 日々彷徨

                
季節の変わり目だからだろうか。
このところ、降ったり止んだり、晴れたり曇ったり、寒暖の差も大きく、変わりやすい空模様が続いている。
早秋の文学散歩は神奈川近代文学館だ。
9月27日(日)まで、「100万回生きたねこ」などの絵本作家、エッセイストとして知られる佐野洋子展が開かれている。
早いもので、もう没後5年になる。
多彩な原画でたどる絵本の世界だ。
ちょっと懐かしく、幼き日の郷愁を誘う世界だ。

第1部では自作の絵本から、約10作品を取り上げ、作品に込められたメッセージを探りつつ、他作家との共作による多様な表現の一端を展観する。
第2部ではエッセイを中心に、童話や小説なども含めた仕事を紹介しながら、作品を通して佐野洋子の人生の軌跡をたどる。
会場には、絵本の原画のほかに、数々の著書の表紙、挿絵原画、今回初公開の原稿、日記を含む自筆資料や写真、愛用品など多数を展示している。

     






  ライオンは、えものをとってくると、きって、やいて、にて、ソースをかけて、ごちそうを、しました。
  ねこたちは、めを まるくして、こちらをながめ、よだれと、いっしょに、ごちそうを たべました。
  「さすが、ライオンだ。」(「空とぶライオン」より)
     
佐野洋子の作品にはライオンのほかにねこ、豚、熊などがよく登場する。
「100万回しんで、100万回も生きたとらねこ」の話は、ミーニャという筆者の飼い猫がモデルだそうだ。
実は佐野洋子は猫が嫌いな人で、猫を飼ったのも息子のためだそうだ。
しかし、猫の瞳や体型の美しさ、静かさを認め、絵本に描くのは、人間の姿だと生々しく、形として綺麗だからとも述べている。

1938年中国北京生まれの彼女は、デザイン美術を専攻し、白木屋デパート宣伝部のデザイナーとしてスタートした人だが、以後童話集の挿絵を始め、童話、絵画を創作、1990年には詩人谷川俊太郎氏と結婚生活(再婚~1996年離婚)を送ったこともある。

今も絵本は読み継がれ、1980年前後からはエッセイも執筆し、自由闊達で天衣無縫な筆致と批評精神の溢れる世界を支持する人は多い。
 9月12日(土) 谷川俊太郎(詩人)と広瀬弦(画家、絵本作家)の記念対談
 9月19日(土) 工藤直子(詩人、童話作家)の記念講演会
をはじめ、ギャラリ-トークなどのイベントが予定されている。

次回はアメリカ映画「ヴィンセントが教えてくれたこと」を取り上げます。


あの『銀の匙』の作家・中勘助展~生誕130年、没後50年~

2015-06-10 13:00:00 | 日々彷徨


  ―生きもののうちでは人間が、一番嫌いだった―(中勘助)
 空模様のさだかでない梅雨に入った。
 文学散歩は、神奈川近代文学館で開催中の中勘助展だ。
 中勘助は、1885年(明治18年)東京神田の生まれで、文豪夏目漱石に師事し、その漱石の賞賛を得て小説「銀の匙」東京朝日新聞に連載された。
1 913年(大正2年)のことである。
 この小説、岩波文庫のミリオンセラーだそうだ

「 銀の匙]は多くの読者の共感を呼び、ロングセラーとして現在も読み継がれている。
 近年では灘校教師の橋本武氏が、この小説1冊を使って行なった中学3年間の国語の授業が注目された。
戦後、教科書不足の時代、橋本氏はこの奇跡の(!)授業を実践し、残されたノートからは、教材作りにかけた彼の情熱がうかがわれ、このきわめて独創的な授業のあり方は、現在のスローリーディングのきっかけとして注目を集めているそうだ。









「銀の匙」
は、教材化の過程で中勘助が、質問を寄せた橋本氏への返信の一部も紹介され、またタイトルに使われた実在の銀の匙が、彼の遺愛品の一部として展示されている。
この小説は、子供のまなざしで描いた子供の世界で、子供の体験を子供の体験として、ここまで真実を描きえたことに、夏目漱石は「見たことがない」と絶賛したほどだ。
中勘助の表現は、幼い子供の心の、細かい陰影にまで入っていて驚かされるのだが、和辻哲郎氏も、勘助の描写は深い人生の神秘につながるものだとまで言っている。
一高、東京帝大で漱石の教えを受けた勘助は、作品の品格を褒め称えられる一方、誤字の多さに注意するよう促されるなど、漱石にいろいろと気にかけてもらっていた様子がよくわかる。

余談になるが、中勘助20代の作品「銀の匙」のほかに、「犬」「提婆達多」といった、とても勘助の作品とは思えない異質の傑作もあって、あらためて彼の才能のきらめきに嘆息するばかりである。
「中勘助展」7月20日(月)まで。
7月11日(土)に「銀の匙」朗読会(南谷朝子)、6月21日(日)、7月12日(日)にはギャラリートークなど記念イベントもある。
中勘助は文壇を嫌って孤高の道を歩み、日々の暮らしと内省を綴った日記体随筆などの執筆を続けたが、この企画展では、彼の文学と知友の人々との交流の様子が、貴重な資料によって紹介されている。
中勘助と聞いて、そう、もう一度彼の作品を読み返してみたくなるではないか。


「時計屋さんの昭和日記」~横浜都市発展記念館にて~

2015-06-06 05:00:00 | 日々彷徨


 戦後70年である・・・。
 昭和の時代を生きた、ひとりの時計屋さんがいた。
 この人は横浜で暮らしながら、戦前、戦中、戦後の復興まで、ほとんど毎日日記を書き綴っていた。
時計の修理や販売を生業としながら、一市民の目を通して昭和の時代を見続けてきた。

 その名は「下平時計店」で、横浜の磯子で時計店を営んできた。
 1994年に76歳で亡くなるまで、下平氏は奉公でこの時計店で働くようになった12才の時から、日記を切れ目なくつけてきた。
 その下平氏の関連資料、写真、日記などとともに、いま横浜市中区の横浜都市発展記念館で、28日(日)まで特別企画展が開かれている。













日記の舞台は、根岸競馬場、伊勢佐木町の映画館オデオン座をはじめ、戦中の昭和17年4月の本土空襲跡、焦土と化した横浜市街の写真など、変わり果てた街がやがて復興の色を見せてくる様子を、日記と写真で展観する。
戦争の時代、人々はどう暮らしていたか。
この時に生きていたらどうだったか。
「一青年のみた戦中戦後」の横浜を知る良い機会だ。
市街に大量に投下されたM69焼夷弾は全長50センチ、2.4キログラムのものがあられのように降ってきたのだ。
その焼夷弾やタバコ巻器、パン焼き器、防火バケツなど、当時の実物が戦時下の人々の暮らしをしのばせる。

当時、隣り組というのが出来て、食料の配達や勤労奉仕が各戸に分配され、市民は強制的に国家に統制されることになっていたのだ。
国家統制、ああ、聞くだけでも悍ましい,そんな時代は二度と来てほしくない。

昨年存在が明らかになった日記をもとに、激動の時代(1930年~1951年)の横浜の暮らしを、一人の青年の目を通して追っている。
どれも臨場感豊かに描かれていて、読むものをひきつける。
あの戦争は、一体何だったのか。
戦争からは、何も生まれない。
日本は永久に戦争をしない国であってほしいものだ。
そんな思いを感じずにはいられない企画展だ。
時間があったら、ぜひ立ち寄ってのぞいて頂きたい特別展だ。


没後50年谷崎潤一郎展―その絢爛たる物語世界―

2015-04-17 13:00:01 | 日々彷徨


 彼の年来の宿願は、光輝ある美女の肌を得て、それへ己の魂を刺り込むことであった。
その女の素質と要望については、いろいろの注文があった。
啻(ただ)に美しい顔、美しい肌とのみでは、彼は中々満足することが出来なかった。
江戸中の色町に名を響かせた女という女を調べても、彼の気分に適った味わいと調子とは容易に見つからかった。
まだ見ぬ人の姿形を心に描いて、三年四年は空しく憧れながらも、彼はなおその願いを捨てずに居た。(谷崎潤一郎「刺青」より)















春の文学散歩は、結構見応えのある特別展だ。
神奈川近代文学館で、4月4日(土)から5月24日()まで、文豪谷崎潤一郎展が開催されている。
実をいうと、近代文学館での谷崎展の開催は、1998年以来二度目のことになる。
1910年(明治43年)に、谷崎はデビュー作ともいわれる「刺青」「麒麟」などの作品を発表し、その耽美的な作品群は、自然主義全盛の当時の文壇に大きな衝撃を与えた。
以後79歳で世を去るまで、「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」などの数多くの名作を紡ぎ出した。

谷崎の作品は、すべて自らの人生で見出した様々な美を源泉として生み出されており、とくに美しい女性への崇拝(偉大なるフェミニズム)が、作品の大きな鍵となっている。
彼は人生の途上で出会ったものを貪婪に味わいつつ、ある時は悪魔的な美、またある時はモダンな暮らし、関西の風土に見出した伝統美の世界を、徹底的に描いた。

本展では、今年初めに公開されて大きな話題となった、妻松子への膨大な量の恋文を含む未公開書簡の88通のうちの一部、最初の妻千代との間に生まれた娘の鮎子あての書簡225通も見つかって、その一部など、まことに貴重な資料が館内ところ狭しと展示されている。
展示品の中には、親交と絶交を繰り返した作家佐藤春夫宛ての書簡もあって、とても興味深い。
谷崎は30年千代と離婚し、千代と佐藤春夫の結婚を通知する挨拶状を、3人の連名で知人に送った、いわゆる「妻譲渡事件」で文壇の話題を独占したが、今回、その新たに発見された佐藤春夫宛ての書簡は、33年3月23日に発信されたものだった。
この時期は、谷崎が「春琴抄」を執筆していた時期で、当時は二番目の妻丁未子と結婚していた。
翌年に、すでに人妻だった松子と同居し始め、35年に松子と三度目の結婚をし、熱烈な恋情を吐露する恋文は、それはもう一女性にかしずく男奴隷のような文豪の姿を垣間見せる。
大作家にして、この華やかな女性遍歴が、次から次へと幾つもの名作を生み続けていったのだった。

娘鮎子への書簡は、父親の娘に対するひたむきな谷崎の愛情がうかがわれ、ほほえましい。
先の見通しの見えない混沌とした時代に生きながら、律儀な父親の一面を伝える、巷間、悪魔主義の作家といわれる潤一郎の姿が浮き彫りにされる。
谷崎が、ほかの女に気を取られて千代夫人を悲しませ、その夫人に哀憐と思慕を寄せる佐藤春夫を激しくなじる春夫あての書簡など、実に生々しい。
この谷崎潤一郎の「妻譲渡事件」がもとで、佐藤春夫は「秋刀魚の歌」を発表した。
佐藤春夫の詩は、春夫の失恋の歌なのだが・・・。
この詩の中には、谷崎と千代の愛娘鮎子の幼き日の姿も描かれており、この事件の後何と鮎子は学校から追放されるという事態にもなったのだった。
「妻譲渡事件」の経緯については、小生のブログ2007年9月21日付け「秋刀魚の歌」に詳述した通りである。

本展では、谷崎が亡くなる前に構想していた小説の創作メモをはじめ、愛用のマントなど、多彩な資料総数400点余りで、彼の生涯と作品世界を紹介している。
見どころ一杯の谷崎展である。
話はちょっとそれるが、最初の妻千代の実妹石川せい子は奔放な性格で「痴人の愛」のナオミのモデルが彼女であることはよく知られている。
「痴人の愛」は、一種の私小説だが、せい子は、「妻譲渡事件」(小田原事件)にも介入してきて、文豪を悩ませる女性だ。

本展とは別に講演、ギャラりートーク、朗読会(5月10日(日)寺田農「春琴抄」)も予定されており、文芸映画を観る会では、4月24日(金)25日(土)「春琴物語」(1954年大映)5月15日(金)16日(土)「刺青」(1966年大映)が上映される。
過去二回もノーベル文学賞最終候補に挙がりながら、残念ながら受賞には至らなかった。
いまでも谷崎潤一郎人気は根強いものがあり、かなり若い女性が入館に訪れている。
日本文学史の中に登場する、文豪と呼ばれる作家はそんなに多くはない。
時は春、いよいよ春本番で、温かな季節がめぐってきた。
貴重な機会といえる。


「聖地巡礼」―野町和嘉写真展―

2015-03-24 16:15:00 | 日々彷徨

  •  桜の花がほころび始めたある日、ふらりと立ち寄った写真展である。
     これまで主として、ドキュメンタリー写真を撮り続けてきた写真家・野町和嘉、ナイル川全流域から、エチオピア、チベット、アンデスに至るまで、地球規模のスケールで、「大地と祈り」を見つめた作品群を展示公開している。
     1995年から2000年にかけては、イスラム教最大の聖地メッカとその巡礼を、世界で初めて徹底取材し、写真集として世界各国で出版された。

     2005年、彼が30年以上にわたって撮り続けてきた『祈り』の集大成「地球巡礼」も、10ヶ国語版で世界に同時刊行されたそうだ。
     いまなお活躍の舞台を中国、チベットなどアジア地域に移し、数々の受賞歴に輝く、野町和嘉の写真展だ。
     
     今回は約160点の作品を二期に分けて展示しており、過酷な大地に生きる人々の祈りの現場を紹介している。
    第一期3月29日(日)まで、第二期4月2日(木)~4月19日(日)、横浜市栄区の神奈川県立地球市民ぷらざ(TEL045-896-2121)で。
    たとえば「霧の中の沐浴」「水葬」「火葬場に登る満月」といった、どちらかといえば、日本人になじみの薄い情景など、どれも大画面一杯に活写しており、エキゾティックな作品がなかなか印象的であった。
    ささやかではあるが、、『祈り』をテーマにした見ごたえのある充実の写真展だ。

「鎌倉・映画・文学~鎌倉を彩る名作の世界~」―川喜多映画記念館企画展―

2015-03-06 20:00:00 | 日々彷徨


 春とはいえまだ風の冷たい日であった。
 鎌倉の川喜多映画記念館へ。

 鎌倉は多くの芸術家に愛された街である。
 本企画展では、鎌倉ゆかりの文学の映画化作品を中心に、1月4日(日)から3月29日(日)まで、企画展と映画資料の展示と合わせて映画の上映も行われている。

 これから上映予定の作品は次の通り。
 3月10日(火)~12日(木) 「わが恋わが歌」 (中村登監督/岩下志麻主演)
 3月13日(金)~15日(日 「ツィゴイネルワイゼン」 (鈴木清順監督/原田芳雄主演)
 3月24日(火)~26日(木) 「晩春」 (小津安二郎監督/原節子主演)

 また別に、シネマ・セレクション・アンコール上映として次の作品が予定されている。
 3月17日(火)~19日(木) 「制服の処女」 (レオンティーネ・ザガン監督)
 3月20日(金)~22日日) 「舞踏会の手帳」 (ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)







今回個人的に興味をそそられたのは、3月6日(金)~8日(日)まで、午前11時から特別上映されている、久米正雄監督「現代日本文学巡礼」だ。
よく知られているところでは、「月よりの使者」など幾度も映画化された、昭和初期の鎌倉文士を代表する作家・久米正雄監督した貴重な記録映画で、当時の文士の生活や執筆風景をうかがい知ることができて、関心のある人には興味深い。
1927年のモノクロ無声映画だが、久米自身が多く登場しており、木登りする芥川龍之介や、将棋を指す菊地寛ら往年の文士が登場するシーンは、どれも貴重で懐かしい。
久米という人は、よほど映画が好きだったと見える。

また3月7日(土)午後2時には、今まど子氏(作家・今日出海長女)のトークイベントなどをはじめ、ミニイベントがシネサロンで開催中だ。
毎月定例として第二日曜日午前11時に、学芸員による展示解説(ギャラリートーク)も行われている。
企画展は1月からの開催なので、すでに終了しているものもあるが、まだ間に合う映画の上映時間など詳細は、鎌倉市川喜多映画記念館へ。
・・・淡い春の日差しを受けて、記念館の窓の外の庭には紅梅が見ごろだった。


須賀敦子の世界展―晩秋の神奈川近代文学館にて―

2014-11-02 05:00:00 | 日々彷徨


文学散歩です。
深まりゆく秋、「ミラノ  霧の風景」1990年)で彗星のように登場した、イタリア文学者でエッセイスト、作家の「須賀敦子の世界展」が開かれている。
須賀敦子(1929年~1998年)の文学者、翻訳家としての活躍は生涯にわたり、数々のエッセイは多くのファンを魅了した。
小説を書き始めた作家生活としては10年に満たなかったが、98年に惜しまれながらこの世を去った。
没後16年、彼女の足跡をたどる本や展覧会で、再び脚光を浴びている。

イタリア文学を日本に、日本文学をイタリアに、イタリア文学の優れた翻訳家としての須賀敦子は、とても几帳面な字で、誰が読んでもその平易な文体は優しい透明感にあふれている。
本当にいい文章とは、こういう文章を言うのではないだろうか。
書簡や蔵書、写真、愛蔵品が陳列されているが、9月24日からは一部展示を入れ替えて、新たに発見された友人夫妻への手紙の中から8通が選ばれ、その中で彼女は自分の文章の欠点を自ら嘆いている。
若き日の謙虚な須賀敦子の姿がそこにみられる。

作家の高樹のぶ子須賀敦子を、幸田文、白洲正子と並ぶ三大女性エッセイストにあげている。
それは「潔さと美意識」において共通しているからだそうで、どこまでも「書く人」になりたかった彼女の洗練された文章は、よく磨きぬかれ透徹した文体を形成する。
文学者として脚光を浴びるようになるまでの道のりは、決して平坦なものではなかったが、戦時下の青春、フランス留学、イタリア留学、べッピーノ・リッカとのわずか6年足らずの結婚生活と・・・、起伏と波乱に満ちた人生の軌跡をうかがい知ることができる。
彼女の息吹に触れる、数少ない機会である。
須賀敦子手書きの「イタリア中部地図」には、生前29歳から13年を過ごしたイタリアで、彼女がよく訪れた各地の地名が見られる。

神奈川近代文学館は、10月14日で開館30周年を迎えた。
本展は、須賀敦子と文学を総合的に紹介する初めての展覧会だ。
幼い頃から本に親しみ、「ものを書く人になりたい」という夢を抱き続けた彼女の人生は、深い思索から紡ぎだされたものだろう。
ものを書く、いや、書けるということは素晴らしいことで、そこにはいつも新しい発見と新しい刺激がある。
神奈川近代文学館の秋のこの特別展記念イベントしては、11月3日(月・祝)湯川豊文芸評論家講演、11月8日(土)には女優・竹下景子による「ヴェネツィアの宿」の朗読会、毎週金曜日にはギャラリートークなど、多彩な催しが予定されている。
本展は11月24日(月・振休)まで開催中だ。
枯葉が舞い、10月27日には東京で木枯らし1号が吹いたというから、寒い冬はもうそこまで来ているようだ。


芸術の秋―モントリオール交響楽団演奏会―

2014-10-15 05:30:00 | 日々彷徨


 深まりゆく秋・・・。
 芸術の秋である。
 音楽も素晴らしい芸術だ。

 ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団のコンサートを楽しんだ。
 よこすか芸術劇場は、ずいぶんと久しぶりの気がする。
 ファン・ダリエンソタンゴに酔いしれた、あの時以来ではなかろうか。
 だとすれば、もう10年以上は前のことになる。

 この日の演目はオール・ラヴェルで、ダフニスとクロエ」交響的断章、「マ・メール・ロワ」組曲(美女と野獣の対話など)ラ・ヴァルス」それから、もう馴染み深い「ボレロ」と、アンコールを入れて2時間20分の公演だった。
 初めての曲もあって、思わず聴きほれた。

 さすがにオーケストラを聴く醍醐味は、生演奏に限る!
 この楽団は今年創設80周年で、「フランス以上にフランス的」と称賛されるオーケストラだ。
 その色彩とリズムにあふれたダイナミック・サウンドは、華麗で優美、研ぎ澄まされたシャープな演奏は、心に響いていつまでも余韻が残った。
舞台狭しと100人近い団員で構成されるオーケストラは壮観で、そのサウンドとなれば素晴しいのひとことに尽きる。

 本当にたまたま、S席13000円のチケットを幸運にも無償で手にすることが出来て、この上ない至福の時を過ごした秋の日でした。
 いやあ、ときにはクラシック音楽にどっぷりなんていうのも、悪くない。
 まことに結構なお味で・・・。


♬♬ ワンコインで楽しむ『午後の音楽会』 ♬♬―平田耕治タンゴトリオ―

2014-07-08 18:30:00 | 日々彷徨



梅雨まだ明けやらぬ、昼下がりの音楽と洒落てみる・・・。
久しぶりのタンゴである。
ロマンティックなミニライブも、悪くはない。
ちょっぴり贅沢な気分になる。

今回は、平田耕治バンドネオンに、ピアノ・須藤信一郎ヴァイオリン・那須亜紀子のトリオによる、ミニコンサートだ。
曲目は、アストル・ピアソラ「リベルタンゴ」、アンヘル・ビジョルド「エル・チョクロ」、J.ガーデ「ジェラシー」など、アルゼンチンタンゴ(モダン、クラシック)、コンチネンタルタンゴ(ヨーロッパタンゴ)まで、12曲余りを70分で聴かせてくれるノンストップコンサートだ。
もう少し、聴きたいなあと思うあたりががいいのかもしれない。
幾つかのパターンを、素晴らしい音色で楽しませてくれた。

バンドネオンの平田耕治は、13歳でバンドネオンを始め、16歳の時単身ブエノスアイレスに渡り、故カルロス・ラサリに住み込みで師事、2007年には日本人バンドネオン奏者として初めて、ブエノスアイレス市立エスクエラ・デ・タンゴのオーディションに合格した。
以来これまで、アルゼンチンはもちろん、フランス、カナダ、グルジア、韓国、シンガポール、タイに招かれて演奏会を開催、海外でも常に高い評価を得ている、気鋭のバンドネオン奏者だ。
日本では東京、横浜、湘南地区
を中心に、大変意欲的にライブやディナーショウを展開している。
飾らない人柄と高い音楽性に恵まれ、いまでは耳の肥えたタンゴファンを魅了している。

この秋にはニューヨークへ招聘を受けており、今が旬というのか、ますます輝きを放つ、数少ない日本の若手の期待株だ。

横浜市栄区の文化センター、りリスホールでは、毎月1回特別な1時間と称して『午後の音楽会』シリーズを催している。
結構遠方から、はるばるこの音楽会を楽しみに出向いてくる奥方も多く、隠れた人気になっている。
小さくても中身の濃い、よきコンサートだった。
喫茶店でのコーヒー1杯分の料金で、珠玉の時間を過ごせるのだから、贅沢な話である。
希望すれば、公演スケジュールを郵送してくれる。
     リリスホール: http://www.lilis.jp    ( TEL:045ー896-2000)