この地図では、倭迹迹日百襲姫命の墓になっていますね・・・
箸墓古墳について、調べましたけどウィキペデイアが詳しいようです。
よく言われている、卑弥呼の墓とか倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓では
時代が合わないように思います。おいらは、レイラインから被葬者は「倭姫」と思います。
殉葬跡が存在しないということは、その理由の一つでしょう。
ウィキでは、「築造時期は3世紀後半以降から4世紀前半までと考えるのが一般的である。」と書かれています。
倭姫の生まれは、283年頃と推測しますので、4世紀前半ぴったりです。
兄、もしくは弟である、景行天皇の古墳は、 全長約300m。一方、箸墓古墳は、全長約280メートル。似てますね。
地理的に近くにある古墳も調べましたけど、倭姫に関係する所は見つけられませんでした。
彦坐王、サタヒコ、アジサハヒメと同様、亡くなってから古墳が出来るまでは別の場所、
倭姫の場合は、伊勢に御陵があります。そこから奈良まで運ばれたのでしょう。
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